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自分の今までと、これからの想い

はじめまして。
東京都立川市をホームタウンとする
フットサルクラブ 立川アスレティックFCの
宮崎 勇樹(みやざき ゆうき)と申します。

いつもはXにて、ネタ要素多めで色々呟いたりして
情報発信しているのですが、そもそも何者なんだと
思われた方もいたのではないでしょうか。

そこで、この場を借りて少しでも私を知ってもらえればと思います。
後半部分では、少し今後に向けた想いも書いています。

大変長くなりますので、お時間あるときに
暇つぶし程度に、目を通して頂ければ有り難いです。

※本投稿は私個人の見解です。クラブ公式の見解ではありません。
あらかじめご了承ください。

生い立ちと、原点との出会い

出身は兵庫県です。とはいえ神戸等の都市部ではなく淡路島で、
地元はかなり田舎で育ちました。
夜になると、開いてる店が近所には全くない程度の田舎です。

小中高と島で育ち、大学で香川県に進学。
なぜ香川県を選んだのか、香川が絶対というわけでなかったのですが、
学力的にそもそも候補が少なかったことに加え、授業料が安かったから。
今思い返すと安直な理由で選んだなと思います笑

ただ、この選択が自分の人生にとっての
大きな分岐点になりました。

当時、サッカーをした事は無かったものの、
推しのJクラブがあった私は、他の人と違う経験がしたいと思い、
Jクラブの運営のボランティアを大学4年間させてもらっていました。
(社会人になってからも続けていたので、トータル約8年)

元々プロスポーツの文化が馴染みが薄かった地域柄という事もあり、
お客さんとの距離感も近く、繋がる事の楽しさを感じていました。

今まではスポーツは”選手”だけの目線でしか見えていませんでしたが、
ここでプロスポーツの”運営”に携わり、全体像からすれば、
ほんの少しだけですが「こういう仕事もあるのか」と知る事ができました。
これがスポーツチームで働く別のカタチを知った瞬間であり、原点です。

小学校で野球、中高ソフトテニス、大学で野球と、
意味不明なスポーツ競技歴

ですが、新卒でスポーツ業界に行く事は全く考えておらず
周り同級生の空気感に流されるように、大学卒業後は一般企業、
クルマのディーラーへ就職しました。


一般企業を経てアスレへ

ディーラーで働き始めて数年、コロナが蔓延し、自分の人生や
今後のキャリアについて、考える時間を持てるようになりました。
その時に、頭の中で何度もフラッシュバックしてきたのが
先述の運営ボランティアでの記憶でした。


試合会場に来る人は、もちろん勝てば大いに喜びながら会場をあとにし、
負けたとしても「次また応援に来るわ!」と、ポジティブな感覚を持って
帰られる方が多く、また次の試合で「今日は勝つで!」と元気に会う。

スポーツに興味のない人からすれば
「スポーツを見て一喜一憂するのは、所詮は自己満足」と
思う人もいるかもしれません。

でも、日常では仕事や勉強を頑張り、週末になれば
好きなチームや選手を応援しに行く。
そんな不思議な魅力がスポーツにはあり、
そんな業界で働きたいと、本気で思うようになりました。


私の好きな歌にこんな歌詞があります。

「僕らならできるって 思いながら闘って
 新しい未来をイメージすればいい」
 ーナオト・インティライミ「Brave」

一見、これから戦う選手たちへのエールのようにも見えますが、
私にとっては、夢を追う人への応援歌のように感じていました。

確実に実現するという根拠はないものの、
何故か、この業界で働く、未来のイメージは出来ました。
自分ならできるー。この直感を信じることにしました。
そこから、アクションを少しずつ起こしていきました。

そもそも、プロスポーツクラブって、求人出してるの?
そんなレベルからスタートしました。
休日を使い、やっとのことで色々な競技、チームの方と
お話しして当時痛感したのが、法人営業の経験が皆無であった事。

当時面接で多く言われたのは、
対個人の営業だけでは戦力として採用するのは難しい。
コロナで世間が苦しいタイミング、求められたのは
最低条件として、法人営業の経験や実績。

そこで思ったのは「だったら法人営業を経験を積めばいい」。
コロナの影響で先が全く見えない情勢もあり、悩むことはないと思い、
1度目の転職をし、大阪の企業で法人営業の仕事につきます。

ただし、スポーツ業界に行くにあたり、自分の中で
タイムリミットを設けました。それが30歳です。
一部を除き、どんな業界でも若い人を求められることが多い現代で
30歳までに入れなければ、客観的な評価の総意として
その業界で働くことは難しいだろうと自分では考えたからです。


当初設けたタイムリミットも近づく中で、偶然アスレの求人に
辿り着きました。応募し、実際に運営業務の一部分も
体験させてもらいながら、皆本代表との話し合いを経て、
採用していただけることになりました。そして現在に至ります。

今でも、業界経験だけでなく、フットサルの経験・知識ゼロの
私を採用して頂いた皆本代表には、感謝しかないです。
(決して、皆本代表をヨイショしている訳ではないです(笑))


大学時代にプロスポーツ運営に関わっていなければ、
コロナがそもそも蔓延していなければ、
思い切って転職していなければ、
アスレが求人を出してなければ、
どれか1つでも欠けていれば、
今は全く違う道を歩んでいたと思います。

本当にタイミングに恵まれて、今ここにいると思っています。


アスレのクラブスタッフとしてのこれから

ここまで長々と書き綴りましたが、重要なのは
これから自分が何をどうしていくかです。

ここからが、アスレのクラブスタッフとしてのスタートです。
かといって、他のスタッフみたく、競技経験がある訳でもなく、
立川やアスレにそもそも縁もゆかりもない人間に、
果たして何ができるのか。

運営委員として活動するため、試合の円滑な進行を実現する事はマストで、
それ以外にも考えた結果、最初のステップとして、

情報発信の頻度を多くし、アスレをもっと身近に感じてもらう。

これは、まず私自身で最低限クリアすべき課題だと感じました。
実際にこの課題には取り組んでおり、1人のクラブスタッフのアカウントとしては
少し過剰なぐらいの発信をしているかもしれません。

アスレでも、他のクラブ同様にSNSを活用しています。
もちろん広報は、日々いろんな情報を細かく発信してくれていますし、
選手も、自身のSNSで色んな発信をしてくれています。

他のクラブスタッフも各個人でSNSを開設し、それぞれの業務と
並行して、日々試行錯誤しながら投稿しています。
ありがたいことに、多くの方にご覧いただき、私個人でも、
この1か月でSNS経由で色んなご意見を頂けています。

もちろん、全てのご意見を実現するのには時間がかかったり、
色々な制約があって、断念せざるを得ないこともあります。


ですが、こちらから発信しない限り、ご意見を頂く機会は限られてきます。
私自身、もっと意見を気軽に言える場として、SNSを通して
もっと色んな発信をしていきたいと思っています。

そのため、可能な限りで発信のペースを落とす事はないように
努力していきます。


最後に

ここまでご覧いただき、ありがとうございました。
クラブスタッフの立場で、ここまで長文を書いて発信するのはどうなのか、
という感情を持たれる方も、いらっしゃると思います。

ですが、Xの140文字では伝えられない想いもあり、
今回note形式での発信とさせていただきました。
これも、私なりの発信の仕方だと考えています。

このクラブに入社してから1か月が経ちました。
たったの1か月だけで、何言ってるんだと思われるかも知れませんが、
私は立川アスレティックFCが大好きです。

これから、もっともっとクラブが成長していく姿を
皆さんに届けられるように取り組んでいきます!

ファイナルシーズン最終戦終了後のロッカールーム




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