田舎コンプレックスを拗らせまくってる話
私は自分の出身地が大嫌い。
都道府県としては大好きだけど、市町村が嫌いで他人に出身地を聞かれても都道府県で答えている。
大人になってその市町村を出て、苦手な思い出しかない故郷にはあまり帰らない。
自分の地元を好きじゃないって結構つらい。
今回は私の田舎コンプレックスについて、色々語ってみようと思う
そもそも、出身地はそんなにも田舎なのか?
田舎コンプと言いつつ、日本全体で見るとおそらく私の地元はあまり田舎ではないだろう。
最寄り駅の電車は10分に1本のペースで12両で走っていたし、歩いて10分の距離に映画館もカラオケも揃っていた。
おしゃれなカフェもあったし、休日には電車に乗ってある程度の街に遊びに行くことも出来た。
おそらく、本物の田舎出身の人が私の地元を見たら「どこが田舎なのか」と怒ってくるだろう。
でも私は地元がど田舎だと思っていた。
地元から約45分、電車に乗って行くことができる街は、煌びやかで都会に見えた。世間的にも知られた街で、おしゃれで大好きだった。何度“端っこで良いから、この街の区域内に家があれば良かったのに“と思ったかわからない。市町村合併しないかと期待しているが、そんな様子は一切ない。
子どもらしさを強要された中学生時代
私の地元は正直そこまで田舎ではない。しかし、周囲の人の考え方が田舎だった。
地元の人たちの考え方が田舎とは、どういうことか。一言で表すと考えが古いということだ。窮屈で、常に監視されているような、田舎の嫌な部分。
学生時代、私は出来の良い子どもだった。地元のトップ高校出身の母の元に生まれ、さすが◯◯さんの娘さん!と周囲に褒められることが多かった。(近所の人や同級生の親が私の母の出身高校を知っているのも田舎を感じたし、最終学歴である大学ではなく、高校で人のレベルを決めている点も私は田舎を感じていた。)
中学に入り、雑誌でおしゃれを知った私は電車に乗らないと店舗へ行けないアパレルブランドの服やメイク道具に興味を持った。
年頃の女の子だ、同級生の中にも雑誌を読んでファッションに興味を示していた子は多かったけど、大半が『都会は良いよね』と憧れで終わっている。
幸い、45分ほど電車に乗れば店舗に向かうことができた。近所のドラストでコスメは手に入る。欲しい!欲しい!!母にお願いして、街に出た際に少しずつ買ってもらった。
同じ年くらいの女の子が友達同士で街に買い物に来ているのを見て『都会の子は友達同士でここに来れるんだ』とめちゃくちゃ羨ましくなった。電車で45分の距離を友達同士で来るなんて田舎では許されない。
ちょっとお化粧をして、可愛い服を着て、都会の子は雑誌みたいな格好をして日常を送れているのかと思うと憧れた。地元ではそんな格好をしている人はいなかった。
学校は制服だし、校則が厳しい。歯向かう勇気は微塵もないので学校にはメイクも一切しない。雑誌も持って行かない。
休日に軽くメイクをしてちょっと派手な服を着て出かけるのは目立ったらしい。私はすぐ噂になった。大人の中で『優等生だったのに、非行に走った』『育て方を間違えた』なんて悪口が囁かれた。『あの子とは遊ばないようにしなさいで』と子どもに言っていた親もいた。
私は何もしていない。雑誌のモデルに憧れて、軽くメイクをして可愛い服を着て出かけただけ。本当に、それだけ。
学校の担任からも『中学生らしく過ごしなさい』と指導が入った。学校に化粧なんてして行ったことないのに、制服を決められた通りに来て、決められたカバンを持っているのに。
もちろん、母の耳にも入っていた。母は私の休日の化粧もファッションについて怒ったりしなかったけれど『都会に行く時だけにしなさい』と言った。『田舎では、中学生らしい目立たないファッションで過ごしなさい』と。意味がわからない。
“子どもは風の子“なんてわけのわからない理由で空調設備をつけるどころか真冬でも半ズボン&スカートで登校させる学校。髪の長さや持ち物の色、下着の色まで決められる校則。一度入部すると“最後までやり遂げるのが美徳“と辞めることが許されない部活動。
これらの決まり事は昭和から変わってなくて、誰も変えようと言う人がいなかった。田舎だからという理由は少しズレているような気もするが、当時の私は田舎だから考えが古い大人が多いのだと思っていた。
田舎に私立という選択肢はない
私の田舎コンプを助長させた1番の出来事は、自由に進路を選べなかったことにある。私は小学生からずっとあるスポーツを続けていたが、地元の中学にそのスポーツの部活動は無かった。
地元の中学は部活動に入らないと不良になるという謎の信念を持つ学校だったため、入学すると何かしらの部活に入らないといけない。でも、やりたいことがない。だから、私は他の学校に行きたかった。
公立はいじめなど特別な事情がない限り学区外へ進学することは許されない。じゃあ私立はどうか、そもそも自宅から通える範囲にある私立中学校は限られている。だいたいどこも片道1時間あれば通える距離だ。
正直、実家は中流家庭でお金には困っていなかった。私はひとりっ子だし、持ち家は既に全額払い終えており家賃やローンもかからない。私立中学に進学するための塾にも行ける、小学生4年、学力も問題なさそう、まだ間に合う。しかし両親の答えはNOだった。
理由は、距離が遠すぎるから。
一人で電車に乗るのが心配、毎朝早く起きて、朝夕駅まで送迎(バスもあったが迂回するルートのため倍ほどの時間がかかる)する負担、学校が終わってすぐに帰宅したとしても遅い時間になることを考えるとダメ。私立に行く経済力はあったけれど、距離の問題で私は諦めざるを得なかった。
結局、ずっと頑張ってきたスポーツも辞めた。同じスポーツをしていた他の市の友人たちは、その市の学校で部活としてスポーツを続けられた。
私が住んでいた学区の中学校にたまたまやりたいスポーツの部活が無かっただけ。そのうえ、やりたくもない別の部活に入る決まりがあった。運が悪かった。
私立がダメならせめて、高校は絶対に市外の学校に行こうと決めた。当時、高校も公立は学区が決められていて市内の高校しか受験することが出来なかったが、普通科以外の学科は県内ならどこでも受験することが出来た。
歴史という名目で何十年も前から変わっていないダサい制服を着て靴下の色まで細かく決められた高校生活なんて送りたくない。少し都会のほうに出れば、可愛い制服の高校なんてゴロゴロある。子どもらしさを強要されてやりたいことが出来なかった中学3年間。高校も潰されてたまるか。
高校生になったし、隣町なら電車でもそこまで遠くない。今度は両親も理解してくれた。
しかし、私の市外を希望する進路に難色を示したのが中3の担任だった。“制服が可愛い““校則の厳しい市内の高校に行きたくない“そんな理由で普通科以外を志望する私を受け入れてもらえず、何日も説得された。『何を考えているのか』と何度も説教された。
当時の担任は、地元生まれ地元育ち、地元より田舎にある教育大学を卒業し、地元に戻ってきた人だった。私が「地元の高校に行きたくない」と言う度に担任自身の人生を否定されたような気になっていたのかもしれない。
担任は私に地元の高校の素晴らしさを説き、進路を変えるよう説得した。時には説教された。うるせえ、高校に通うのは私だ。
担任の反対を押し切り、私は無事に市外の高校に進学した。たまたまかもしれないが、私の周りは地元が大好きで地元が1番!という思考の人が多かった。田舎には選択の自由もない。
田舎にはチャンスがない
田舎には大学も専門学校もない。地元の学生は1時間から2時間かけて都会の学校に通うか、下宿するかの選択を強いられた。そもそも、高校卒業後は進学せずに働くという人も多かった。
私は片道2時間の時間をかけて通学する道を選んだ。9時の講義に出ようと思ったら、6時50分には家を出ないといけない。私が6時に起きて準備をして、電車に揺られている頃、都会の同級生たちは8時に起きて学校に向かっていた。
飲み会やコンパに参加しても、私は終電を気にして周りより先に帰らなくてはいけない。22時すぎにお店を出て、帰宅は1時すぎ。当然、両親は怒ってもっと早く帰宅するように言った。都会の同級生はお店が閉まる23時半までいて、帰宅は0時すぎ。
都会に生まれると、大学も専門学校も多数の選択肢から選べる。朝はギリギリまで寝ていられる。終電を気にして先に帰ることもない。不公平すぎる。
就職先も苦労した。ある程度名が知れた企業は地元に支店はないから、実家からだと通勤に何時間も費やすことになる。田舎は、また長時間をかけて通勤するか一人暮らしをするかの選択を強いられる。
社会になって数年は実家でお金を貯めるなんて言ってられない。何も考えずに実家から通うことを想定して就活できる都会の友人が羨ましかった。