エッセイ 「傘の行方
「よかったら、この傘使って下さい」
後ろから優しく声をかけられた。
その日は午後から雨の予報だっだけど、昼間はそんなの信じられないほど晴れていて、傘なんて持ち歩いてるものならチンピラ二人組に「おい見ろよ、あそこにとんだチキン野郎が歩いてるぞ」と罵られるに違いなかった。
だから僕は傘を持たず家を出て、いつも作業するカフェに向かったのだ。
店に入って1時間ぐらいすると雲行きが怪しくなってきて、最初はやっぱり天気予報ってのは凄いもんだと悠長に構えていたが、本格的に降り出すと一人だけ傘を持たず入店してる自分が恥ずかしくなってきた。
チンピラの二人組同様、僕も傘を持った人間を見ては「ビビりすぎだよこんな晴れてんのに」にとせせら笑っていたのだが、今度は店中の客に「いやいや、天気予報で雨って言ってたからさ、なんの知識もないのに調子乗って勝手な判断せんとき。言う事だけ聞いときな」と冷笑されている気になってくる。
雨が止むまで店内で待っていたいがこの雨はそういうタイプの雨ではない、しっかりとした止む気配のないタイプの雨だった。
僕は現状を切り抜ける方法を考える。このまま走って家まで帰るか、隣のコンビニで傘を購入するか。まず走って帰るのには距離が遠すぎる。途中でずぶ濡れになってしまい、傘を差してない違和感を無くす為には「このバカやろー!」なんて叫びながら走り、周囲の人達に「あっ敢えて雨に濡れてるんだ、そういう気分なだけなんだ」と、思わせる演技をしなければならない。だからと言って傘を忘れたという認識がある中で、失敗したと思いながらコンビニで購入する傘の値段は、Uberで注文するハンバーガーくらい高く感じる。
そんなことを考えていると、雨が少し弱まった気配がした。窓に目を向けるともうほとんど降ってないように見える。僕はこのタイミングしかないと、急いで会計を済ませ店を飛び出した。しかし実際外に出てみると、まだ全然しっかりと雨は降っていた。ガラス越しに見たら降ってないように見えるパターンの雨なだけだった。
もう終わったと思った。店内からは、猛獣の檻に飛び込んだ阿呆がどうなるかを眺めるような視線を感じる。
「よかったら、この傘使って下さい」
後ろから優しく声をかけられた。
振り返ると若い女性の店員が、笑顔で白いビニール傘を差しだしている。一瞬戸惑った表情を見せた僕に気づき「お客さんの忘れ物なんですけど、もう二ヶ月ぐらい置きっぱなしなんでよかったら」ともう一度笑いかけてくれた。
僕は丁寧にお礼を言って慎重に傘を受け取ったが、正直このタイミングで渡される傘は、現金で二万円を貰ったぐらい嬉しかった。傘を開き、僕は晴れやかな表情で雨の中を踏み出した。
傘に流れる優しい雨音を聞きながら、この傘は次に返すべきなのか、それとも店の傘じゃないから返されても迷惑だと思われるのか考え始める。
どちらにせよ、次にお店に行ったら彼女にもう一度お礼を言った方がいいのだろうか?不要な傘を渡しただけなのに、あまりしつこくすると傘きっかけで、僕が彼女を好きになってしまったと思われやしないだろうか?いやそもそも次に店に行った時点で、「あの馬鹿好きなっちゃたよ」と思われる可能性があるのではないだろうか?今まで僕の存在など気づかれておらず、傘をきっかけに度々店に来るようになったストーカー予備軍の男だと認識されるのではないだろうか?
傘を叩く雨の音は、また強く激しさを増して響き始めた。
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