エッセイ 「レジ袋が上手に取れない」
レジ袋の有料化が始まりどのくらいの年月が経っただろうか。
買い物に出かける時は当たり前のようにエコバックを持つようになり、忘れた際にはレジ袋に五円も取られるのが許せなくて、両手に商品を抱え、さらには無理やりポケットにねじ込んで持って帰る。
それでもあまりに量が多い時や、持って帰る距離としては遠すぎる場合にレジ袋を購入することもあるのだが、あのセルフで取るシステムのレジ袋を、どうしても上手に一枚だけ取ることが出来ない。
さほどそれが問題になっていない様子をみると、僕以外の人は皆綺麗に一枚だけ取れているのだろうか?
正直言って信じられない。上からレジ袋を引っ張り上げるタイプがスタンダードであろうが、あれなど一枚だけを綺麗に取り出すなんて100%不可能に思える。いくら挑戦しても2枚はくっ付いてくるし、そこで無理やり剥がそうとしてぐちゃぐちゃになったり、余った一枚を綺麗に元に戻せず、上着を優しく肩にかけるような仕草で、そっとレジ袋スタンドに乗せてレジに進んでしまう。
たまに下から引き抜くタイプもあり、「なるほど!これなら引き抜くだけやもんね」と取ってみるのだが、ちゃんと数枚がくっ付き、結局は取り出し口で詰まりを起こして綺麗に取れない。期待させられた分だけイラッとしてしまう。
指の乾燥と油分のバランスが良く今日は確実に一枚だけ取れたとレジに向かっても、「お客さんこれレジ袋は一枚だけでいいの?」と店員のおばちゃんに確認され、一枚でいいと答えると、おばちゃんはまるでイリュージョンでも見せるかのように僕の渡したレジ袋を3枚に分けてしまうのだ。
レジ袋に関してはもうお手上げで、必要な時は店員さんにお願いして貰うようにしている。もちろん「セルフやねんから自分で取れよ」と思われないように、「取ろうとしたけど駄目でした」みたいなポーズだけは店員に見せている。
ただやはり常にエコバックを持っているのが一番なので、最近では仕事用の鞄にもエコバックを忍ばせている。
ここまでこの文章を書きながら、ふとある疑問が湧いた。先日youtubeを視聴していたのだが、内容は日本で過去に起こった事件や事故、社会的な出来事における政府の陰謀論を唱える企画だった。そこには人工地震など現実からは乖離したような推論もあったけれど、もし本当にそこまで政府が様々な事象に関与しているのであれば、あれだけレジ袋が取りにくいのも政府側の陰謀ということはないだろうか。
2020年7月1日から始まったレジ袋の有料化は、海洋プラスチックごみ問題、地球温暖化への取り組みとしてスタートした。しかしレジ袋を有料化するだけの政策で一体どれだけの効果を上げられるのだろうか。僕らのようにエコバックを持ち歩きなるべくレジ袋は使わないようにと心がける人間は、はなからルールやマナーを守ってレジ袋を利用していた者である。
結局それ以外の身勝手な人間達が、「面倒臭えな、なんでレジ袋に金払わなきゃなんねーんだよ」と悪態を吐きながら使い続け、適当に捨て続けるのだ。
そんな人間達にもエコバックを持ち歩かせる為の裏の政策として、あんなにもレジ袋を取りにくい仕様にしたのではないだろうか?
何を馬鹿なことを言っているんだと思うかも知れないが、よく考えてみて欲しい。現在は2024年、高速道路など限定的ではあるが、車の自動運転技術がすでに実用化されている。それなのに、あんなにもレジ袋が取りにくい訳がない。
そしてここで僕が最初の方に記した一文である。
「さほどそれが問題になってない様子をみると、僕以外の人は・・」
あんなにも取りにくいレジ袋に不満を感じているのが僕だけな訳がない。あんなにも取りにくいレジ袋が世間で問題にならない筈がない。きっと何者かの手によってその不満の声は消されているのだ。
まさかスーパーのレジ袋が取りにくいという話から、政府の陰謀論に行き着くとは思わなかったし、それで皆んながエコバックを持ち歩くようになれば別にそれでいいじゃんという話ではあるが、なんだが真実に辿り着いたような妙な高揚感を僕は得ている。
この感覚はレジ袋にもエコバックにも入れることなく、僕の胸の中で熱を帯びたまま持ち帰ることにする。