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シロクマ文芸部 「甘いもの」
甘いものは嫌いだ、苦い記憶が蘇るから。
「ごめん、俺チョコが苦手なんだ」
彼はそうやって違うクラスの女子から差し出されたチョコを受け取らず、私は校舎の陰からその一部始終を盗み見ていた。
今思えば苦手だからと言って、気持ちのこもったチョコを受け取らない奴など無神経で最低な男だと思えるが、当時まだ高校一年生だった私はライバルが一人脱落したことや、意中の相手が他の女子からのチョコを受け取らなかったという事実にほくそ笑んでいた。
私だけが彼のパーソナルな情報を掴み、目の前の女が披露したような失敗を犯すまいと計略を練っていた。バレンタイン初回の今年は一旦を様子を見ると決め、チョコを渡すのは来年からだと考えていた私だけが、遅れるどころか一歩リードしているような優越感があった。
そして高校二年のバレンタインデーに、私は満を持して手作りチーズケーキで勝負をかけた。
「ごめん、俺チーズケーキが苦手なんだ」
どこかで聞いたような台詞を浴びせられた。
私は放心状態で固まり、なんとか歪な笑顔を彼に見せようと顔をあげたが、もうその時には私に背中を向けた彼が部活に向かっていた。
私の嫌いな女子が、中からとろ〜りとたっぷりのチョコが溢れ出すフォンダンショコラを焼いてきたと聞いた時は、馬鹿な女だと吹き出すのを必死に堪えていたけれど、部室に入る直前に女から声をかけられた彼は嬉しそうにフォンダンンショコラを受け取り、「部活の前で腹減ってたんだ」とか言って、女の目の前でフォンダンショコラをひと齧りして見せた。
中からとろ〜りとたっぷりのチョコが溢れ出すと、彼はそれを一滴も溢すまいと勢いよく啜り上げた。
彼は結局チョコやチーズケーキが嫌いな訳ではなく、私が嫌いなだけだった。
女は私を見つけると、今まで一度もしたことのない会釈をしてからスキップで何処かへ消えていった。さっきまではチョコを持った女子が全員馬鹿に見えていたけれど、バレンタインデーだというのに勝手にチーズケーキを焼いている自分がこの世で一番滑稽に思えた。
今すぐチーズケーキの入った箱を捨てたかったけど、それを他の女子に見られるほど恥ずかしいものはないので我慢して持って帰った。
帰って部屋に閉じこもっていたら母親に晩御飯だとしつこく呼ばれ、渋々リビングへ向かうとキッチンに捨てるように放り出していたチーズケーキを父親が食べていて、「このチーズケーキは酒のつまみにもいけるぞ」と、恐ろしいほどどうでもいい褒め言葉をもらった。
それから高三になると、一年の時に彼からチョコの受け取りを拒否された京子と同じクラスになり、彼の悪口からすぐに親友となった。高校最後のバレンタイン前には、彼がタイプの女からしかチョコを受け取らないナルシスト野郎だと二人で吹聴して回ったが、「誰からでも受け取る人より誠実だと思う」という彼の根強い信者達の抵抗を受けて上手くいかなかった。
高校を卒業した今でも、京子に会うと当時のことを思い出し彼の悪口に花を咲かせている。
それでもお互いにバイト先の好きな人の写真を見せ合うと、どちらの男も少し彼に雰囲気が似ている人だったりして、二人ともそれを感じながらも触れないように褒め合って、性懲りもなくバレンタインはどうするかと話し合っていたりする。