「年号覚えるなんて、くだらないじゃないですか」
『四次元年表』をつくっています。
こう自己紹介する私の、どちらの言葉が、あなたの意識に引っかかるだろうか。「四次元」?、「年表」?、あるいは、この変な組み合わせ?
あるインフルエンサーが、教育批判の流れで言う。
「AIの時代ですよ、調べたらすぐ出てくることを、いちいち覚えてどうするんです。年号覚えるなんて、くだらないじゃないですか。」
私は彼のことが好きだが、彼は私のことを知らないので、私が作っている年表について彼に対して抗弁するのは意味がないとわかっているが、たぶん彼の言葉は、「年表」というものに対する、世間一般の誤解を代表していると思うので、今日はそのことを考えてみたい。
きっかけはもう50年も前のことだ。当時はまず「私たちの町の歴史」を習い、つぎに「私たちの国の歴史」、そして「世界の歴史」と進んでいったが、いっけん「連続的な視野の広がり」と見えるのカリキュラムに、残念ながら有機的な連続性はなかった。覚えることだけがたくさんあった。「年表」は「テストに出るから覚えなければならないこと一覧」にすぎなかった。そんな中で、ある日、私は気がついた。まったく別の場所に記載されていた二つのできごとが、同じ年であるということに。
1600年 イギリス東インド会社設立
1600年 関ヶ原の合戦
「歴史」は切り刻まれている。分断されている。・・・そうだ、あたらしい年表をつくろう。教科書のあっちやこっちにばらばら書かれているような年表ではなく、世界がどんなふうに動いてきたのかが、一目でわかるような年表を。だが、それは子どもにはなかなかな大事業だった。紙と鉛筆でこなすには膨大すぎる作業だった。はじめて自分のパソコンを手にした1995年、Excelも私を満足させてはくれなかった。でも2021年、今の技術なら、そう確信した私は、50年前の私に向けて、『四次元年表』を作り始めた。そのためにプログラミングを学んだ。2024年、突如AIが現れて、私の乏しい技術を補ってくれるようになった。人生の集大成として「年表」をつくる。切り刻まれた歴史を統合するために。
私が「年表」をつくるのは、もちろん、覚えるべき年号の一覧表としてではない。私はまず、「できごとの前後関係」を正確に把握することを目的にしている。イギリス東インド会社設立と関ヶ原の合戦が同じ1600年なのは、「調べればすぐにわかる」。が、その二つはどちらが先か? 1600年には、ほかにどんなことがあったか? それらの前後関係は? それを知るためには月日の情報も必要だ。日本の陰暦と西暦を対照することも必用だ。あるいはヒジュラ暦とか、マヤ暦とか。
収録された事象の前後関係が意味をなすかどうかは問わない。それを問うのは私ではなく、そこからなにかを読み解く「だれか」である。その「だれか」が、『四次元年表』で調べればすぐにわかる、といってくれることを目指している。
これは気の遠くなるような作業だ。私一人でできるものでもない。私の脳裏にあるのは、Wikipediaの成功だ。大勢の人が、それぞれの知見を持ちよって、情報を拡充していく。だから『四次元年表』は閉じた完成品としてではなく、日々更新されていくデータベースとして公開されている。
そして2025年
実はMetaQuest3sを買った。私の最終目標は、「年表の中を歩く」である。そのために、2025年はVRに挑戦する。もちろん、単に前後関係だけなら、長い長い一本の年表をつくるだけだが、『四次元年表』は時間軸だけでなく、空間軸も置いている。それが「四次元」という言葉の目指すところである。それについては、また、別の機会に。
四次元年表