地図の近代化に先駆けて〜人間と空間3
『計測の科学』によれば、メートル原器以前の計測の単位は様々であった。たとえば北欧のサーミ族にはポロンクセマという距離の単位があり、これは「トナカイの排尿」という意味だという。個体差も体調もあるだろう、などとは言うまい。トナカイが三回も排尿する距離、それで事足りるのだ。「世界図」と「世界地図」の違いについて聴講しながら、そんな話を思い出した。
大学に戻ってうれしいことの一つは、やはり大学図書館である。すでに何回か触れた『コロンブスの図書館』は、この夏休み第一等の出会いだった。
この本の主人公エルナンド・コロンブスは、「いよーくに(1492)がみえるぞ、コロンブス、アメリカを発見」のクリストファー・コロンブスの息子だ。これまで知られていたエルナンド唯一の業績は、父の偉業の顕彰『コロンブス提督記』の執筆だった。だが『コロンブスの図書館』が明らかにする彼の活動は多彩で、地図に関していうなら、『スペイン地誌』の一大プロジェクト、そして海図の作成が挙げられるだう。
(『コロンブスの図書館』を返却してしまったので、以下の記述は記憶に頼っている。思い込みや勘違いがあるかもしれない。)
『スペイン地誌』とは、スペイン各地にどのような町があり、特産物は何か、というような情報を実地に調べ上げるプロジェクトである。最初はエルナンド自身が歩き回って調査したが、それではとうてい足らず、調査員を雇ってスペイン中を探索した。測量というほどのことではない。どちらの方角に何歩歩いた、という、それこそ個人差も地形差もあるだろう、という話ではあるが、それで良いのだ。AからBが北に何歩、AからCは北東に何歩、だけでなく、BからCは東南東に何歩、と三点で補正するところが、マーシャルのスティックチャートを思わせる。
日本古代の『風土記』のような『スペイン地誌』だが、『風土記』が各地の自己申告であるのに対し、これは、スペイン王宮の官吏であるエルナンドによる「調査」である。各地の領主にしてみれば、懐を覗かれる思いがあっただろう。王宮に勢力がある時期は、「通行証」を出して調査員の便宜を図ったが、領主の反発が強まると、「スパイ扱い」で追い返されたりする。地理調査のもつ政治的側面が垣間見えておもしろい。
もう一つが海図の作成である。エルナンド自身、父に伴って航海にも出ており、「偉大な父がどこに行ったのか」を正しく記録することは、彼の大きな課題の一つだった。クリストファー本人も、到達した地点が、想定したインドとしては近すぎる、という感覚を持っていたらしい。講義で指摘されたように、緯度は容易に計測できるが、経度は、とくに海上では難しい。父が到達したのが、南にどれほど下ったところかはわかるが、では西にどれほど進んだといえるのか。これを明らかにするために、エルナンドは天文学、数学から航海術まで、実に熱心に研究した。
同時に彼は、ポルトガルとの「世界二分」交渉に参加する専門委員を統括してもいた。そこで彼は、ポルトガルの主張する経度が、彼自身の計測値より、じゃっかんスペインに有利になっていることに気づく。そこで彼は自分の信念よりも国益を取ろうとする。なかなかの策士だ。今日の測位システムからは考えられないようなことが起こりえた時代である。
もちろん、「トルデシャリス条約」の世界地図に名を残したのはエルナンドではなく、彼の叔父、クリストファーの弟バルトロメ・コロンだし、海図の世界に画期をなしたのは、メルカトルである。だが、それらを可能にした「知の蓄積」の一角を、エルナンドが担っていたことは間違いないだろう。
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