続“終わり”が始まる日。
長いようで短かった、“終わり”に向かって走る日々。
アクセサリー屋の販売員で店長だった私が、“元”アクセサリー屋の販売員で店長になるまでの日々です。
新型コロナウィルスの影響もあり、閉店するお店、終了するブランドも多い中、実際にどんな気持ちで閉店を迎え、次に進むに至ったか。心境や支えてくれたヒトなど、忘れないうちにここに残したいと思います。
前回の記事はこちら↓
前回の記事では、事業終了の発表がされ、“終わり”が現実となってスタートする瞬間までを書きました。今回はその続きから。電話のやり取りが響き渡る都内の某大会議室より。
事業終了を告げられた瞬間から、猛烈な尿意だけがリアルだった2時間弱。その後、会議室を埋め尽くした同僚たちの電話の声で、私はやっと現実を認識しました。
“私も電話を掛けなければ。その前にトイレ。”と思い、やっと席を立つと、出入り口には普段あまり会う機会のない上司が立っていました。私がトイレに行きたい旨を告げると、その上司はこんなことを言いました。
「携帯とか持ってないよね?Twitterとか、ダメだからね。」
それを聞いて、“あぁ、そうか。これはそういう話なんだ。私は渦中の人なんだな。”と、ここでもう一段階輪郭がはっきりしたように思います。
そうして無事にトイレにも行き、手元の名簿と改めてちゃんと向き合いました。勤務シフトを確認し、まずは店舗に電話。学生さんは授業の時間だから、電話に出られない子には着信を残し、時間ができたら折り返しをもらえるようにLINEを入れ…と計画を立てていきます。タイムリミットがある中、目の前のやるべきことに集中できるのは素晴らしいことでした。その上親切なことに、名簿には台本も付いていました。その台本に沿って、最初の1人に努めて冷静に経緯説明をしているとき、ふと思いました。
“私が聞きたかったのは、こんなことだろうか。”
つい先ほど事業終了を言い渡され、回らない頭のまま事務的な説明をされていた最中の私は、あまりに響かない言葉の数々に、トイレに行くことばかりを考えていたではありませんか。同じことを自分の大切なスタッフにもするところだったことに気付き、慌てて台本を見るのをやめました。なるべく落ち着いて、相手がついて来ているかを確認しながら、気持ちに寄り添うように…と意識して自分の言葉で話すうち、つい2時間前に知った事実が、私自身の心の中でもずっしりと重さを増してくるのを感じました。
スタッフ1人1人に電話をしながら、私は自分にも言い聞かせていたのです。
会社が、ブランドが無くなること。私たちのお店も、例外なく全て閉店すること。これからのこと…。
落ち着いて、泣かずに、努めて冷静に。そんなものは無理な相談でした。
みんながどれだけ一生懸命やってきてくれたか、私が一番よく知っています。みんなが毎日どれほど楽しそうだったか、私が一番よく知っています。どんなにお店が好きか、どんなにブランドが好きか、どんなにお客様が好きか、そして、どんなに愛されたお店であったか…。
目を潤ませながら電話をしていると、社長が歩いているのが見えました。沢山の店長たちの中を歩き回り、電話の隙を見て1人1人に声を掛けていました。私はなぜか、今は絶対に話しかけられたくないと思い、一瞬目が合ったものの、更に熱心に電話をするフリをして社長をやり過ごしました。後日お話ししたとき、「あのとき忙しそうだったから私も遠慮しちゃって、結局話せなかったもんね。」と言われましたが、それはわざとです。
なぜあのタイミングで話せなかったのかは、うまく言葉にできません。社長のことは好きでしたし、こんな風になったのも社長のせいだとはカケラも思っていませんでした。むしろ、私たちがもっともっともっと頑張っていたらこんな風にならずに済んだのでは、という悔しさを感じていました。だからだったのでしょうか。“謝られたくない。それは違う”という思いは確かにあり、失礼を承知で、わざと話しかけられないように振る舞いました。
そんなふうにして、着実に重さを増す心を抱えながら、スタッフ全員に電話するという任務をどうにか終えました。
その後、なんとなくそのまま帰ることもできず、特に仲の良い同僚2人と晩ご飯を食べに行くことにしました。自分たちの身に降りかかった事態の処理、この先どうするか考えた?という相談、それぞれのスタッフがどんな反応だったか…など、ありとあらゆることを話した記憶があります。途中ちょっと涙も浮かべながら。
そこへ、これまた仲の良い本社勤務のスタッフも加わり、4人であーでもないこーでもないと、色んな話をしました。このままずっとこうしていたいと、誰もが感じていたと思います。事実、誰も“帰ろう”となかなか言い出しませんでした。
そして4人で、自社のプレスリリースを読み、ネットニュースを読みました。Twitterでの反応も。残念がってくれる人たちの書き込みを追いながら、4人でまた少し泣きました。思えば、この時間がもし無かったら、私の心の重さもまた違ったものになっていたかもしれません。
気兼ねなくなんでも話せる仲間。約5年間の勤務で私が得た、一番大切な財産でした。
続きはまた次回。
ここまでの記憶が異常に濃いので、次回からはもう少しあっさり進めてゆく予定です。
ぜひまた読みに来てください。