黄ばんだセロハンテープ
地元のTSUTAYAが閉店する。あと二日ぐらいしたらなくなってる。どうやら閉店の波が来ているらしい。
私は郊外の町に住んでいる。田舎とは言えないがイオンが中高生の遊び場になっているようなところ。駅前にはTSUTAYAがある。
TSUTAYAは中学生の頃、とてもお世話になった。塾帰りに文芸本とかレンタルCDとかを同じ塾に通っていた友達と見て遊んでいたと思う。たまにアニメのDVDをレンタルしてた。今でも週刊誌を立ち読みしてるぐらい日常。
店内の閉店告知ポスターには21年間ありがとうございましたと書いてあった。私が生まれる前からあるTSUTAYAがなくなる。でも特別な気持ちにはならなかった。そういうものだと思っている。さすがに20年間も生きていれば、前まであったのに今ではなくなってしまう、というような体験はいくらでもあるだろう。多分、変化に慣れすぎている。喪失とも言う。
実際、わたしが音楽を聴いたり、小説を読んだりするきっかけのそばにはTSUTAYAがあった。最近、そういった入り口がどんどんなくなっているように感じる。
小説だったら「気になって眠れない!」だとか「どんでん返し!」とか「感動!」とか(後ろ2つは今ではもう胡散臭さを感じるようになっている。感動に関してはサプリメントみたいな使われ方、つまり有効性を示して、ちゃんとリターンがあると確約するし物語の意味を画一的なものにしてしまう機能があるだろうから好きではない)、そういった帯文やカテゴライズ。棚にはTSUTAYAがピックアップした小説が並んでいて、中学生だったわたしはそれを頼りに買っていた。だからすごい感謝もしているし、嫌だなぁとも思ってる。
レンタルコミックで君に届けとかホスト部とか借りてた。CDなら東京事変とかandymoriとかサカナクションとかアジカンとか、その当時の邦楽ロックも借りてた。音楽に関しては兄の影響もあって、みんながワンオクを聴いてても、やっぱりサカナクションが良いなとか他人と違うところに行こうとしてた。全体で言えば全然メジャーなんだけど、その当時は違う世界だったんだよね。レンタルランキングを見て、借りたりとかね。
そうやってさ、レンタルに関してはすごいお世話になってたわけ。大学生の時だってそうだし。それに結構面白いんだよ?暇つぶしにフロアをうろつけばアーティストの紹介があってポップが貼ってあって、借りてみようかなって気持ちになるの大切だよやっぱり。別にストリーミングを批判するわけじゃないけどさ、音楽を聴くまでの過程がそれなりに楽しかったんだよね。あなたへのおすすめとかをAIにされるより、これ聴いて!みたいに勧められるのは違うよ。だって、あなたへのおすすめって出てきたアーティスト(?)ミュージシャン(?)音楽好きのにーちゃんねーちゃん(?)は、なんか黙ってお勧めされたみたいで平べったく感じちゃうんだよね。あくまで自分が能動的に聴きに行くっていうか、自分が興味がないと意味がないっていうか、でもそれって凄く強い動機がないと、聴き流しちゃうことが多くて。でも「これいいよ!」って言われたら能動じゃなくて反応って形で聴けるんだよ。この差って割とない?なんていうのかな、聴くモチベーションみたいな。
それで邦楽ロックいいなってなったし、そこからは自分で好きな音楽が増えていったりするんだよ。だから最初の入り口は誰かがいないとダメなんだと思うんだよね。その場所はきっとネットじゃない。ネットは情報がありすぎて何も選べなくなるから。なんでも選べる状況に置かれると何も選べないんだよ。
そりゃあネットは便利。アマゾンなんて便利すぎるくらい。わざわざ買いに行く必要ないよって言われたら、まあ確かに、ぐらいの譲歩はしてしまう。でもそれって最初から買いたいものが決まっている人のものじゃん。なんか本読みたいなとか、新しい音楽でいいのないかなって時、何も決まってないけど、とりあえずって、それぐらいゆるさがちゃんと残っていたほうがいいじゃん。戻れなくなるのがどれだけつらいか、みんな分かっているんじゃないの?利便性はこわい。それ以外の価値のあり方を否定してしまいそうな危うさがあるから。
そういえば、アダルトDVDコーナーに入ったことがあって、そこで一番驚いたのは老人の割合が多いことなんだよね。いや、入ったわたしも物好きなのは間違いないけど、大学が午前で終わったから暇で、そんな気が起きただけだから。借りる気とかはなかったから。それで、まあ平日の昼間だし、そんな感じの客層なのもわかるわ~ぐらいに思ってたんだけど、TUTAYAが閉店したら、その老人はどこにいくんだろうって思った。この辺ってアダルトなお店もないし、DVDがうっているようなお店もないし。老人が徒歩とか自転車で来れるところはここしかないと思うんだよね。あとは自動車とかになるだろうけど、もう運転していない人もいるだろうし。そうするとね、なんかかわいそうになってくるんだよね。ここにいる人たちは誰にも性的な意味で必要とされずに、ただ漠然とした自分の性欲を発散させるために、ここが必要で、それで私と同じように、いい選択をしようとあれこれ色々と見て楽しみを増やして。でも、それももうおしまい。私と違うのは、もうそのDVDを見ようとする機会がなくなってしまうかもしれないってことなんだろうね。わたしはサブスクで音楽を聴けるし。でも老人がインターネットに強いと思えないし、エロDVDを見たいからといって誰かを頼れるほど子供でもないと思う。だから、やっぱり可哀そうに思えてしまう。
なんかどんどん話が逸れていっちゃうな。それにわたしってTSUTAYAにちゃんと思い入れがあるじゃん。特別な気持ちにならなかったとか言ってたのに。
閉店セールでレンタル落ちのCDを沢山買った。もちろんあのポップがちゃんと付いている。これは記憶を残していくってことなのかもしれない。沢山みてきたあのポップ、これを見る度にTSUTAYAがあったことを覚えてられる。少なくとも完全に忘れることはない。なくなっちゃわない。1枚200円。昔と比べると買ったCDは洋楽が多い。それに当時は知らなかった、生まれる前の邦楽ロックのCDを買った。当時は知らなかったことも、音楽を探しているうちに知るようになった。
車に乗って早速聴こうと思って、CDを開いた。これまで多くの人に借りられてきたそのCD、歌詞カードは沢山人が開いたのか、セロハンテープで補強されていた。自分が借りる前にいくつもの人が借りて、誰かがカードを破っちゃったんだと思った。汚いなと思ったけど不快じゃなかった。
OMOIDE IN MY HEAD!
ジャーン
まあ最初はイギーポップファンクラブが流れたんやけどね