映画やアニメの舞台は「聖地」ではない
作品の舞台を聖地(Sanctuary)として扱うリスク
地方創生の文脈のなかで、コンテンツツーリズムにも注目が集まっています。特にアニメの舞台となった場所を「聖地」としてアニメファンが訪れる様子は、従来の観光客・観光行動とは異なっているため、メディアにも取り上げられるケースが多く見られます。
一方でそのような作品の舞台を「聖地」と呼ぶ事には筆者は違和感を覚えています。確かにファンにとっては憧れの地、思い入れのある場所ではあるのですが、その土地に暮らす人々にとっては日常が展開される場所です。もともと聖地とは宗教的な言葉であり、エルサレムがそうであるように絶対的な価値が共有されている場所です。しかし作品の舞台ではそこに関わる人々の「思い」が異なっており、それぞれの努力・協力でバランスが保たれています。
ファン・地域・製作者はたしかにそれぞれにコンテンツに敬愛の思いを持ってはいるものの、そこには濃淡や温度差があります。例えば製作者は著作物への投資回収を第一義にする一方、地域は長期的に来訪者が絶えないことを期待します。ファンは物語への愛着を第一に考えているはずで、敬愛の中身も異なっているというのが実情だと思います。実際、各地を取材するとそのギャップが表面化した結果、それぞれの関係値が決して良好とは言えない状態になっている事例にも出くわします。
舞台を聖地と呼ぶ事で、そういったギャップがあるのだという前提が覆い隠されてしまうというのが問題意識の1点目となります。さらに見落とせないのが、作品の舞台になったからといって必ずしも「聖地」となるとは言えないこと、そして「聖地」と呼ばれるような成功が無ければ、地域がコンテンツを活用できる可能性が、あたかも薄いように聞こえてしまう点も気になっています。
「聖地」化を目指さなければ見えてくる可能性
日本では毎年200本前後の新作テレビアニメと、80タイトル前後の新作アニメ映画が生まれています。しかし、その中でヒットする作品はごく一部に限られており、舞台として選ばれる場所も制作会社からほど近い関東近郊となる例が多いのが実情です。地方が舞台に選ばれる確率、そしてそれがファンが「聖地」を目指して押し寄せてくるほどのヒットとなる確率は極めて低いと捉えておくべきなのです。(上記、日経新聞の記事はファンが登録したスポットの数が紹介されており、舞台となった作品の数では無い点に注意が必要です)
そもそもテレビや劇場と言った全国レベルのマスメディアに依拠する地域コンテンツ展開の方がレアケースであり、地域発の観光資源のコンテンツ化こそが取り組まれるべき課題である、ということは繰り返し確認したいと思います。
手前味噌ではありますが、昨年度から学生たちと企画・運営しているオンライン小説創作ハッカソン「阿賀北ノベルジャム」では、今年度は6作品が完成しました。新潟県の阿賀野川北部に拡がる地域を舞台にしたジャンルを問わない多彩な物語が、県内外の作り手によって、合計11作品生まれたことになります。
セルフパブリッシングとして販売されるこれらの作品はAmazon Kindleストアをはじめとした電子書店で購入できるものの、街の書店に配本されるわけではありません。まだまだ存在感は小さく、聖地云々とは縁遠いというのが正直なところです。けれども、物語の中で発掘され、再編集される地域の魅力や課題が、たとえ人数は少なくとも読み手に伝わり、この地域と何らかの「関係」を持つきっかけになれば有り難いと思っています。
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