Career 〜キャリアを培い活かす〜
Bauty Japan Chiba 2024の初代ファイナリスト、アートメイク看護師の村岡あやのです✨
今回は、Beauty Japan Chibaのコンセプトの二つめ
Career ~キャリアを培い活かす〜
について考えていきます!
キャリアという言葉も広い意味がありますが、今回は私自身のライフキャリアやスキルを自分の歴史を振り返り考えてみようと思います😌
私は、3人の子の出産後、看護師になったのは、以前にお話しましたが、実は、結婚前は挫折ばかりの人間でした😂
両親ともに教員の元に生まれた一人っ子の私。両親に比べ、運動も勉強もいまいちで、コンプレックスの塊の人間でした
おまけに人の輪が苦手💦
なんだかどこにいても浮いているような子でした。
特に中学校に入ってから、人間関係もうまくいかず、不登校寸前状態でした😖
そんな辛い毎日を助けてくれたのが、書道とピアノ。
書道は小学生の頃から始め、みるみるうちに上達して、数々の賞をいただいた事があります✨
また、ピアノも小学生の時に始め、ピアノ教室では開花せずやめてしまったものの、中学校で合唱祭というものがあり、伴奏を担当した思い出があります🎹
そんな活躍のおかげで、少し、友達からも認められたり、高校も、書道の学科の高校に進む事ができ、人生って得意な事で生きて行く方がうまくいくんじゃん!!!
楽勝じゃん!!!
と甘い考えで、アルバイトや恋愛に明け暮れた高校時代を送りました🧑🎓
その頃には書道の練習すらしなくなっていたのです。
そうこうしてるうちに、上には上がいるからと、伸び悩んだ書道への熱も冷め、
大学は、親のすすめで、おばあちゃん子だった私は人のためになる事を学ぶといいと、福祉の大学に進みました。だけど、大学がつまらない!そして、行く意味が見出せず、また女子大だったため(女子の世界苦手)
親に相談せず、勝手に数ヶ月で退学!
そこから、母親との関係もすこぶる悪くなりました。
大学辞めてしまったからには働かなくてはいけない状態に。
中身も外見もコンプレックスの塊だった私は、美容やファッションの世界に漠然と憧れがあり
そして、美容師目指す💇
働きながら資格を取ろうと、安易な考えで入職した美容院。朝は6時に出勤し、夜は閉店後に練習するため10時頃に帰宅。・・・・そんな毎日で、月給12万円から通信学校の学費天引きで、手元に残るお金は・・・・貧乏なんてレベルではありませんでした。
メンタルこんにゃくな私は、精神を病み、美容師も諦め、美容学校も退学
17歳で味わったどん底。仕事の挫折と疲労と、当時彼氏の浮気が重なり、自◯未遂までに追い込まれる。
しばらく生きた心地はしなかった
生きている意味がわからなくなった
大人になるって大変だ・・・
流石に、自◯未遂した私をほっとけなくなった親が、少しゆっくり休憩をさせてくれました。
少し休憩した後に、自分が選んだ事は、親が行かせてくれた大学で学ぶはずだった福祉を、もう一度頑張ってみようと、介護施設に就職を決める
そこでは、認知症の方の介護を通し、人のあたたかさや内面の美しさを知り、先輩にも恵まれ、介護の資格も取らせてもらい、人生どん底だった若かりし私に自信を与えてくれました🥹
その後20歳で結婚し、退職
出産し専業主婦を経て、親との関係も良好に
社会復帰も介護職に就く
私を救ってくれた介護職で復帰したけど
以前も書いたように、そこで色々悔しい思いをし
スキルアップしたくて看護師に👩⚕️
病棟では、介護の経験が活きていたし、昔の習い事は、注射や、点滴などの細かい作業に活きていました
何より、一度死のうとした過去が、看護師の仕事には凄く活きていた
生きたくても生きられない命もある事に向き合い、自分の過去の行動が恥ずかしく思えたし、人の命を救うお手伝いをしていることに誇りを持っていました
そして現在、看護師の資格や美容の知識を活かし、アートメイク看護師として活動している。
間違いなく、全ての経験があって辿り着いた
点と点が繋がって、線になっているかのように、今までの人生何一つ、かけていたら、今の仕事についていないのかな・・・と思います
今、私は、アートメイク看護師になり、この技術を最大限に活用してたくさんの方を笑顔にし、希望と自信を届けるお手伝いをしています
私にとっての、キャリアを培い活かすとは、こういう事かな、と思い、自分の歴史を振り返りました😌