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エイブラハムをかじっただけの男と弟子 その98 旅の途中

ソ ラ :先生、僕たちの願望に終わりはないと聞きました。では、僕たちにゴールというものはないのでしょうか?

エス太 :ないね。これが達成できたから、終わりというようなものではないんだ。
何かを達成しても、そこからまた、新しい願望が生まれ、次の旅が始まる。
人生は、この繰り返しで、ずっと続く旅なんだ。

ソ ラ :そうなんですね。でも、人生がずっと続く旅なのだとしたら、僕たちは何を目指して行けばいいのでしょうか?

エス太 :その旅の途中にこそ、悦(よろこ)びがあるんだ。
その旅の途中を楽しむために俺たちは生まれてきた。

ソ ラ :旅の途中にこそ、悦びがある?

エス太 :そうだよ。例えば、陶芸家、芸術家でもいい。
作品を作り、徐々に作品が完成していく、その作っている過程が楽しいんだとエイブラハムは言う。
作品が完成したら、また、次の作品を作り始める。
俺たちの人生も同じだ。
何かを願い、その現実が創造されるまでの過程にこそ、悦びがあるんだ。

ソ ラ :確かに。作品が完成しても、その喜びは一時(いっとき)のものだという話を聞いたことがあります。

エス太 :実際にそうなんだよ。もし、旅行に行くとして、最後は自宅に帰ってくるだろ?
最終目的地が自宅なんだとしたら、旅行になんて行かずに自宅にずっといたらいい。
でも、人は旅行に行くだろ?
それは、そこでしか味わえない体験やコントラストにこそ価値があると知っているからなんだ。
人生も同じだよ。俺たちが生まれてきた理由、それは、地球(ここ)でしか味わえない素晴らしい体験があると知っていたからなんだ。

ソ ラ :なるほど~。

エス太 :ソラ、ここまで、エイブラハムを学んできたお前なら、きっとこの先の様々な体験の中に悦びを見つけられる。

ソ ラ :僕に、できるでしょうか?

エス太 :できるよ。お前はもう、エイブラハムをかじっただけの男だからな。

ソ ラ :先生〜。


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