🅂2 サンクコストの誤謬（1）

「A little dough」 第１章　自分をどこまで信用する？　🅂2

▽ファイナンスに関する認知エラー事例はたくさんありますが、最もポピュラーなものが、このサンクコスト（埋没費用）だと思います。埋没費用と書くとなんだか特殊な費用のような気がしますが、単に「過去に支払った費用で、今更返してもらえない費用」という意味でしかありません。「過去に支払った費用が、返してもらえない」というのは、普通に考えて当たり前の話ですが、これが何故認知エラーを起こすのでしょうか？

▽カーネマンとトヴェルスキーの研究事例で考えてみます。
①Ａさんは、大好きなアーティストのコンサートに行こうと思っていた日の前日に、1万円を落としてしまう。
②Ｂさんは、大好きなアーティストのコンサートの前売り券を1万円で買い、前日にこれを無くしてしまう。
この後の二人は、どういう行動を選択するでしょうか？

▽研究結果によれば、Ａさんは、チケットを購入してコンサートへ行く可能性が高く、ＢさんはＡさんに比べると再びチケットを購入してコンサートに行く可能性は低くなるそうです。この結果に対して「そりゃ、そうだろう」と思われる方も多いかと思いますが、経済合理性を基本に考えるなら、ＢさんはＡさんと同じ行動をとるべきだということになります。１万円を落とすのも、１万円のチケットをなくすのも経済的損失としては同じ、と考えられるからです。このようなコストをサンクコストと呼び、「これから判断すべき事象の根拠にしてはいけない」と経済学部の学生さんたちは教えられるようです。

▽一度チケットを買ったＢさんが再びチケット買うのに戸惑いを覚える理由は何でしょうか。カーネマン等はこれを、メンタル・アカウンティングを使って説明できるとしています。

▽「メンタルアカウンティング」とは、「心理会計」とよばれているものです。入手経路や使用目的ごとに頭の中で分類しながらお金を使うという考え方で、行動経済学者のリチャード・セイラーが提唱しました。例えば、お金の価値は本来なら入手経路とは関係ありませんが、宝くじで得た10万円と働いて得た10万円には、心の中で違う色のラベルを張ってしまいます。そして「今日は焼肉でも食べたいな」といった誘惑にかられた時に、「宝くじで得た」というラベルが強く背中を押してくれます。「宝くじの儲けを焼肉の支出に使う」という因果関係が心の帳簿上ですんなりと成立し、ちょっとした贅沢を自然に許容できてしまうのです。

▽しかしこれもお金がそれ自体に何の色を持たないことを考えれば、認知エラーを起こしていることになります。経済合理性を基本に考えるなら「過去の調達事由は、現在の選択の判断材料にすべきではない」ということです。この例はある意味サンクコスト（埋没費用）の収入版（埋没収入）ともいえ、「ハウスマネー効果」などとも呼ばれます。ハウスとはギャンブルを行う場所のことで「ギャンブルで儲けたお金はギャンブルに消える」とよく耳にしますが、そこからきたネーミングのようです。。
とはいえ宝くじで１０万円当たったら、私も焼肉くらい食べたいと思うので、経済合理性というのはむしろ理不尽でいけ好かない感じはします。

▽では、メンタル・アカウンティングをカーネマンの事例で考えてみます。Ｂさんはチケットを購入した時点で、メンタル・アカウントが開設され、チケット代１万円の支出がすでに記帳されています。更に１万円支払ってコンサートに行けば、都合２万円の支出となります。1万円ならともかく２万円の支出は予定外で予算オーバー！ということから、チケットの再購入は控えることになります。一方でＡさんは、別次元の不注意で１万円を失くしているため、コンサートに関するメンタル・アカウントは開設されていません。ですからコンサートの支出には特段の抵抗がなく、めでたく一万円を支出してコンサートを楽しめるという訳なのです。

▽私たちは日常の行動を通じてお金と関わっています。お金の客観的な価値は正しく理解しているつもりですが、それでも日常行動の積み重ねが「ストーリー」を作り、その「ストーリー」はさらに私たちを納得させる「必然性」を醸し出すのです。メンタルアカウンティングは、その「ストーリー」の顛末を帳簿形式で記載しているようなものです。そこにどういうストーリーを書き加えたかで、私たちの判断が変わってしまうということです。前回「ミュラー・リヤーの錯視」の図を掲載しましたが、あの２本の直線についた装飾の羽根が錯視の原因になっていました。同じようにサンクコストにおいても、過去のストーリーがメンタル・アカウンティングという形をとって、あの羽根の役割を果たしているのです。