🅂16 相対性の罠

「A little dough」 第４章　支出して生活する　🅂16　地位財と非地位財

　前回はロバート・Ｈ・フランクの著書「幸せとお金の経済学」から「地位財」と「非地位財」という考え方について記載しました。フランクは所得・社会的地位・車・家といった「地位財」ではなく、休暇・愛情・健康・自由・自主性といった非地位財に支出することが、充実した人生に繋がる可能性を高めると述べています。更に私たちが「地位財」を求め続けてしまう原因として局所的な「コンテクスト」の存在をあげています。「コンテクスト」とは、「物事や人が置かれている状況や関係」を表します。
　前回記載したフランクの思考実験では、地位財に関する私たちの判断は、より多くの人が比較優位を選択しており、その原因として局所的なコンテクストによる影響をあげています。

幸せとお金の経済学

➤局所的なコンテクストの正体は…
　前回ロバートが示した思考実験を少しアレンジしてみます。ここでは地位財である「家の広さ」だけを考えてみます。

►（実験）　以下のどちらかの世界を選択します。
Ａの世界；自分は約50坪の家、他の人は約65坪の家に住んでいる
Ｂの世界；自分は約50坪の家、他の人は約35坪の家に住んでいる
　この実験では、自分の住む土地はどちらの世界でも50坪と変わらないものの、自分以外の人が住んでいる土地の広さが「±15坪」ほど違うというコンテクストになっています。前回示したロバートの実験例に倣えば、私たちは他の人より15坪広いＢの世界を選択する可能性が高いと推測できます。

►ミュラーリヤーの錯視　次に下の図をご覧いただきたいのですが、これは第１章で記載したミュラーリヤーの錯視の図です。

ミュラーリヤーの錯視

上図AＢの横線の長さは同じです。ただ私たちの脳の認知としては、図Aの横線が短く図Ｂの横線長いと判断しています。これが「ミュラーリヤーの錯視」であることは第１章🅂１で説明した通りです。こうした錯視を起こす原因は両端の羽根の向きにあり、外向きなら横線は短く見え、内向きなら長く見えてしまいます。

　上記の実験では、どちらも自分は約50坪の家に住むことになります。ただAの世界では「他の人は約65坪の家に住んでいる」、Ｂの世界では「他の人は約35坪の家に住んでいる」というコンテクストが、「ミュラーリヤーの錯視」でいう「羽根の向き」と同じ役割を果たしています。
　どちらの世界でも「50坪の家」そのものは同じですが、Aの世界は「▲15坪の劣位」を伴い、Ｂの世界は「＋15坪の優位」を伴うこととなります。それはちょうど、図A図Ｂにおいて横線の長さは同じでも「長く見えたり」「短く見えたり」するという認知、即ち錯視と同じように脳が単なる事実だけでなくコンテクストまで読み込んでいる為に起こる現象なのです。

➤そして相対的欠乏を感じる　
　上記実験の延長です。私たちがAの世界で実際に家を購入しようとする時、周辺の区画はすべて65坪ですが、たまたま自分の購入しようとする土地は50坪か65坪を選択できると仮定しましょう。また、どちらも坪単価は百万円とします。
　このケースで50坪の土地を選択しようとした場合、「周辺の区画がすべて65坪」という状況が暗黙の基準となり、「▲15坪」という不足感を生み出します。そしてこの「▲15坪」が、相対的欠乏とよばれるものです。
　実際家族４人で50坪の土地があれば、４LDKの家屋と駐車場と小さな庭が用意できそうですし、資金手当てができれば良い買い物ではないかと考えていても、「周辺の区画がすべて65坪」というコンテクストが「▲15坪」という「相対的欠乏」を感じさせてしまいます。

　ミュラーリヤーの錯視の図を引き合いに出しましたが、錯視といえども両端の羽根の向きは横線の見え方に影響を与えています。同じように劣位・優位も50坪の家の感じ方に影響を与えています。こうした感覚を「錯覚にすぎないから、はじめからないものとして扱う」というのは、言うは易しですが実行するのは至難の業です。しかし、65坪の土地を選択すればそのために1500万円の過大な出費を余儀なくされることになります。更に、こうした地位財獲得競争は際限なく続く可能性が高いのです。

➤比較価値の先の「フレーミング効果」
　前回こうした相対的欠乏を過大に感じてしまう私たちの認知の原因として「報酬系回路」の存在をあげました。「生存を最優先する競争社会において、自己の不足感はそのまま自己評価の低下につながってしまう」というものです。その結果マイナスを必要以上に嫌い、プラスであることを求め続けます。
　また上記の事例では周辺の状況が暗黙の裡に一つの基準になっていたように、私たちは意識する間もなく比較という行為を行っています。本来比較するという行為は、複数の選択肢からより良いものを選ぶことを目的に行われるものですが、現実にはこの行為を行った途端に「フレーミング効果」という現象に陥る可能性があります。

 「フレーミング効果」については上記第１章🅂16を参照いただきたいのですが、情報の「枠組み（フレーム）」によって、私たちの受け止め方や反応が変わってしまうことをいいます。例えば「死亡率20％」というか「治癒率80％」というかによって、受け手側の印象がすっかり変わってしまう、というようなことが起こります。
　第1章でも取り上げた「パン焼き機」の例があります。このパン焼き機は発売当初全く売れなかったのですが、メーカーが新たに容量を増やし値段を1.5倍にした製品を売り出したところ、瞬く間にヒット商品になったといいます。売れた商品は旧型の小さい方でした。
　「キッチン用電化製品」というカテゴリーの中では、「パン焼き機は家庭に必要か」という疑問が立ちはだかり売れなかったわけですが、容量と値段が違う新たな選択肢によって「旧型vs新型」という単純な比較構造（フレーム）ができた途端に売れ始めたのです。消費者は「容量の小さい方なら価格も安くてお得」と考え、本来検討すべき「パン焼き機の必要性」は置き去りにして、簡単な判断に全てを委ねたということになります。

➤「相対的性の罠」に陥らないために
　こうした「相対性が作り出す罠」はいたるところに存在しており、上記の実験における相対的欠乏もまた、50坪と65坪という広さを比較するフレームが生み出したものです。「比較」という行為が、「複数の選択肢からより良いものを選ぶ」といった目的の為に行われるのであればよいのですが、現代社会では売り手側のマーケティング戦術として「消費者にとって不必要な比較やフレーム」があちらこちらに仕掛けられています。
　こうした「相対的欠乏」や多くの「相対性の罠」によって、私たちがあまり価値を感じていない商品を購入することは、私たちが労働によって得た資金を地位財に投入し続けることになり、結果として「働けど働けど幸福になれない」という残念な事態を生み出していることになります。
　
　あくまで私見ですが、現代社会で私たちが共有すべき価値観は「報酬系回路の目的を際限なく求めていくことではない」と考えます。その意味では、「局所的なコンテクストから生じる相対的欠乏を客観的に受け入れ、その結果として生活に資金的な余裕が生まれること」こそ重要なポイントです。
　充実した人生を送るためには、こうした余剰資金をあえて非地位財に投下していくといった意識的な消費行動が必要になってきます。結果的に「相対的欠乏」感をそのまま地位財の獲得競争に向けても、際限のない競争環境に身を置くだけで、自己の不足感は埋まることはないと思います。むしろ私たちは、フランクが助言しているように、そうしたリソースの多くを非地位財に向けることで、充実した時間や幸福感の伴う人生を実感すべきなのです。