🅂3 サンクコストの誤謬（2）

「A little dough」 第１章　自分をどこまで信用する？　🅂3

▽前回に引き続きサンクコストの誤謬を取り上げ、企業の投資を例にとって少し理解を深めたいと思います。

▽サンクコストの誤謬とは、「取り返せない費用を取り返せると勘違いしてしまう」という場合と、「取り返せない費用に捕らわれて新たな収益機会を逃してしまう」場合とが考えられます。こうした場合に引き合いに出されるのが投資案件の継続検討のケースです。例えばあるプロジェクトに２年間で１億円の投資をした結果、１年目損益が▲３千万円、２年目損益が▲２千万円、２年間で都合▲５千万円の赤字で終了したとします。そして３年目の事業継続を判断する際、以下のようなケースが想定されたと仮定します。
【１】追加投資５千万円の実施により、３年目損益予想▲1千万円、通算損益▲６千万円となるケース
【２】追加投資1億円の実施により、３年目損益予想＋６千万円、通算損益＋１千万円となるケース
【３】追加投資５千万円の実施により、３年目損益予想＋1千万円、通算▲４千万円となるケース

▽サンクコストとは「すでに支払ってしまって取り返せない費用」と定義されますから、この場合過去の累損は無視して３年目の損益予想を判断材料にするということになります。
【１】のケースでは、３年目が１千万円の単年度赤字ですから事業から撤退することになります。【２】のケースでは単年度６千万円の黒字転換、【３】のケースでも単年度１千万円の黒字転換となり、いずれも事業継続という判断になります。
さて、上記三つのケースで「取り返せない費用を取り返せると勘違いしてしまう」可能性があるのは【１】のケース、一方で「取り返せない費用に捕らわれて新たな収益機会を逃してしまう」可能性があるのは【３】のケースといえそうです。これらを順番に見ていきます。

▽【１】のケースは、サンクコストの法則に忠実に従えば、実行するのはさほど困難とは思えないような気もします。それでも誤謬を起こす可能性はなぜ生まれるのでしょうか？
それでは【１】のケースの推進担当者になった気持ちで私が説明してみます。「本事業は２年間で１億円を投下し２年経過後の損益は５千万円の赤字と今一歩という結果になりました。しかし１年目損益▲３千万円に対し２年目は▲２千万円と赤字幅は３０％強の大幅改善となり、更に今期の見通しも損益こそ▲１千万円と赤字ながら改善率は＋５０％という高い水準です。これは初期投資により一定のマーケットが着実に形成されている証で、今後の展開次第では来年度以降の単年度黒字、更には累損解消も見込める事業と確信しています」。

▽こうして「折角１億円かけて開拓したマーケットを今手放すのは勿体ない」と考えるあたりから、サンクコストの誤謬が始まっています。（勿体ない）→（もとを取りたい）→（損失にしたくない）ということですから、ここにそもそもの原因がありそうです。カーネマンとトヴェルスキーは、プロスペクト理論において利益局面と損失局面における人間の感じる価値には歪みがあることを示しています。具体的には利益局面における価値の１単位は、損失局面においては２.２５倍にも感じられるといいます。これを「損失回避バイアス」といいますが、要するに私たちは損失には過剰反応しやすいということです。

▽もともと失敗を認めたくない私たちが、更に多額の損失を伴うという事実に向き合うことになれば、当然のようにこれを回避したいという気持ちは強くなります。そんな時に、例え赤字であってもその改善率の高さと、これに基づいた尤もらしいストーリーを示せば、私たちはついついこのポジティブな展開にとび付きかねない、というわけです。
ただこうした誤謬が本当に無意識に起こってしまうものなのか、それとも故意犯的にやっているものなのかを問われると、私には後者が多いのではないかと思えてしまいます。その理由は、前提としている単年度の損益予測が、実際にはなかなか当たらないものだからです。何年も実績があるものならともかく、１～２年の実績しかないような案件では、予測は恣意的になり易いのです。結局、予測に限界があるため、「（わからないから）もう一年やってみるか」となるケースを、随分とみてきたような気がします。

▽一方【３】のケースでは、単年度黒字は達成しているものの、累積損失は依然４千万円ありますのでそのあたりで議論になる可能性があります。つまり「黒字転換してもまだ累損は解消していないじゃないか」という訳です。しかしこの主張を通してしまうと、赤字である限り追加投資ができないことになります。例えば、累損で終わった事業はすべて一旦撤退するとし、そのうえで新たな一年間で投資を行い利益を見込める事業を洗い出します。もちろんこの際、過去撤退した案件も含めます。その結果【３】の試算が正しければ、新たな案件として上がってくるだけの話です。こうした議論が出てくる背景には、企業のプロジェクト評価の曖昧さが垣間見えます。推進責任を明確にすることは重要ですが、過去の損失はその期間の評価とともに手仕舞いにする必要があります。

▽サンクコストの誤謬が起こる原因を考えていくと、結局のところ「プロスペクト理論」における「損失回避バイアス」にたどり着くような気がします。サンクコストとは「過去に支払った費用で、今更返してもらえない費用」ですが、「損失」は利益を失うことです。そして「損失」には過失や不運がまとわりつきます。正当な対価として支払っていれば何も考えずに済むのに、過失や不運が絡むと、にわかに「損失ストーリー」が目を覚まし、私たちの前に立ち塞がります。これと向き合うハードルは高く、かなりのエネルギーを消耗します。
　パーソナル・ファイナンスにおいて、支出・投資といった分野では、このサンクコストの誤謬に陥りがちです。そうならないために、私たちは自分が決して損失には寛大ではないことを、しっかりと記憶しておく必要があります。