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劇場版プロセカ 感想と空想
タイトルの通りです。
大体映画本編の流れに沿って書いてると思います。
2回見ました。26回見る気は流石にないです。
劇場版を含めたプロセカ共通のテーマについて
先に言いたいことだけ書いておきます(というか過去ツイからの引用です、11月時点で概ね予想できた内容で、しかしだからこそ、そうであって良かったな~、という肯定的なニュアンスです)
プロセカ4周年の副題が「Brand New "Your" World」なのも、ゲーム関連でやたら公募が多いのも、映画予告編で挫折してる第三者描写があるのも、一つの思想が通底してるからなんだろう(そして映画はまさしくそういう話になるのだろう、とも)
— 東風谷アオイ🦔 (@A_kotiya) November 1, 2024
プロセカに通底している想い、要は夢や在りたい姿に向かって努力する様を肯定し色々な形で寄り添い応援することなんだろうけど、その想いは作中のみならず外にいる我々プレイヤーにすら齎されており、眩しい(こういう指摘、既に他の人がしてそうだ)
— 東風谷アオイ🦔 (@A_kotiya) November 1, 2024
映画全体に関するざっくり感想
初音ミクによる上映挨拶は面白かった。存在そのものが。あの場面だけ写真撮ってSNSアップしていいよってのも、マーケティング戦略として理にかなってるというか、話題性に一役買わせようとしているところがありましたね。僕はアップしませんでしたが(逆張りやめろ)
キャラデザが発表された当初、だいぶ不安視していたのですが(あんまり……だったので)、いざスクリーンで動いている様子を見ると、あのとき抱いていた不安はどこへやら、といった調子で殆ど気になりませんでした。
推しが動いていると……嬉しいね……。(推しユニ以外だと桃井愛莉さんが動いていたのが、良かった)
作画は平均して並、低・中・高が良くも悪くもバランスよく混ざってた。とはいえ、決めてほしい場面ではちゃんと決めきれていたので、そこまで気にはなりませんでした。
これは推しユニ補正かもしれませんが、ニーゴは際立って安定していたと思います。他ユニより動きが少ないからなのかな。
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作品の内容も良かったです。かなり。掛け値無しで。正直本編外のどんちゃん騒ぎでかなり期待値は低く設定していたのですが……。仮にフラットに見ていたとしても、十分楽しいと感じていたはず。
それにしても、現時点で26人居る(各セカイのバチャシンをカウントするならそれ以上に)コンテンツで、全員をほぼ余すこと無く描写し、本筋にもちゃんと織り込んで、ライブパートも全ユニット用意しつつ、長すぎず短すぎない尺に収めた手腕はすごい。すごすぎる。すごいことなんですよ。(どこに対する熱弁?)
作中で発生していた停電について
停電だけならまだしも、スマホを含めた電子機器が殆ど使用不可能になっていたのは実に興味深いですね。
停電の原因がバツミク関係の想いの持ち主であることは分かりきっているので(脚本でもそう書かれてるらしい)、そこには触れず、ではなぜ停電が発生したのかを考えてみようと思います。
一番はミクが電子の歌姫であることから、セカイから現実に干渉する際に周囲の電力を借りている、みたいな事が考えられるわけですが……それだとありきたりなので、もう一歩踏み込んでみます。
つまり電気は、人と人との繋がり、コミュニケーションの可能性を示唆しており、想いの持ち主達が対話を拒絶した(コミュニケーションの可能性を否定した)ために、それを現実化した=電気が失われたのではないか、と。
現代社会において、コミュニケーションをする場として、リアルな空間である対面から、SNSやボイチャ等、ネット空間を利用する場面が一定の割合を占めています。電気はそんなインターネットを存続させるための、無くてはならない要素です。繋がりの基盤と言っても過言ではないでしょう。
また、(後述すると思いますが)コミュニケーションは想いを叶えるうえで重要です。人は一人では生きていけなくて、夢を現実にするには他者の存在が不可欠です。
そんな中で、バツミク関係の想いの持ち主は、ミクに対してネガティブな言葉を投げかけ、否定的な態度を示しました。
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故にミクは、否応なしに、彼ら彼女らの側から(電気とともに)離れることになります。セカイの暴走――滅亡によって。
そうだ、もう一つ失われたものがありましたね。「初音ミク」です。
「消えろ」と言われたから消えた、としたらそれまでですが、初音ミクの消失にも、停電と同様、意味があると思っています。つまり、電気と同様に、ミクの存在もまた、コミュニケーションに必要な要素と言えるからです(勿論、電気のときより若干汎用性は低いですが)。
例えばですが、貴方の眼の前に突然、誰かが現れたとします。日本語は通じるようですが、一体何を話せば良いのか、さっぱり分かりません。しかし、迂闊な事を口走ってしまえば、相手の地雷を踏んでしまう可能性があります。そんな時、不意に貴方がミクの画像を見せて、相手が反応したとしたら、どうでしょう?ミクの存在を糸口に、何かしらの会話を始めることができるでしょう。
つまり、初音ミクとは相手とコミュニケーションを行う際、話題の共通項足りうる存在なのです。それが失われたということは、共通項の喪失=コミュニケーションの可能性の消失ということでもあるわけです。
セカイそのものについて
というか、セカイって何なんでしょうね?
作中では「誰かの想いでできている」と言われていました。「本当の想いを見つけた時、歌が生まれる」とも。ゲーム本編では、5つのセカイ(+コラボでちらりと現れたセカイ)が登場していましたが、劇場版を見ると、どうやらそうでもなさそうです。
……なんてとぼけてみましたが、誰かの想いによって「セカイ」が生まれるのなら、ゲーム本編で登場している5つのセカイの他にも、様々なセカイが存在して当然だよね。ということをサービス当初から考えていたので、それが映画本編にてはっきりと描写されたのがだいぶ嬉しかったです(長年抱いていた想像が当たっていたので)。
もう少し飛躍した空想をすると、あの停電とともにミクが消えた現実で、バツミクが伝えたかった想いを、一歌達が各々の力で代わりに形にして伝えようとする行動は、僕らが見ていた5ユニット以外――渋谷以外の全国各地でも、それぞれ想いを形にしてきたセカイの持ち主たちが、一歌達と同様に奮闘していたんじゃないかな、と(信じたい)。
閑話休題。
セカイとは何なのか。どうして、現実世界を停電させたり、ミクを消し去ったりできたのか。バツミクが居たセカイだけが特別なの?
僕が思う答えとしては「あらゆるセカイは、現実(や他のセカイ)に干渉することができる」「停電やミクの消失は、セカイが有する現実への干渉作用が悪い方面で現れてしまった」になります。
ちょい説明を端折りますが(後で追記するかも)、
①セカイは想いから出来ている、つまりセカイと想いはイコールです。
②本当の想いを見つけると歌が生まれる、つまり想いと歌(に限らずあらゆる創作物)はイコールです。
③そして想いは、他者の想いや自身の考えにより、様々に変化します。
つまり、セカイが想いで出来ている以上、他者からの干渉による変化は不可避であり、生きて他人と関わるだけでも、セカイは刻々と変化しています。(ゲーム本編中で、イベストを追うごとにバチャシンが増えたのも、想いの持ち主達の変化の現れでしょう)
そして、その中でも、歌(に限らずあらゆる創作物)は想いそのものでもあるので、より強く影響を及ぼします。
(そして、歌(に限らずあらゆる創作物)はセカイそのものでもあり、他のセカイへの入口とも捉えられる)
(めちゃくちゃわかり易い実例が、映画公開直前に実装されたマイセカイですね。あれって想い(こういうのが作りたという構想)が形になって(家具を作成し、配置して)セカイを作るという、ここで書いてきた構造(繋がり)が大体そのまま出されているので……)
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この考えを拡張すると、現実も多くの人々の想いの集合体であり、セカイの一種です。また、バツミクが居たセカイは、複数人の想いから多層的に構成されたセカイで、ある意味で現実にも近しいです。故に、他のセカイよりもより直接的で広範囲に、セカイからの影響が現れたのではないでしょうか。
バツミクのセカイについて(あの根は何なのか、何故窓なのか)
あの根は(映画クライマックス後にちらりと見えてたので分かりやすいですが)ウィッシュツリーの成れの果てっぽいですね。
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本来なら、願いと祈りを吸い込んで成長し、想いの純結晶を実らせるはずが、呪いと悲しみを吸収してしまうと、ああなってしまうのは、なんとも悲劇的です。
「消えたい」という諦めが真であるなら、セカイの滅亡は自明的です。その結果、現実にも影響が及んだのは、セカイがそういう性質を有しているからというのもありますが、ディスコミュニケーションとはまた別の……自他の負の感情が、別の誰かに悪影響を及ぼしてしまう(有り体に言えば、空気を悪くしてしまう)感じを想起しました。
もう一つ。バツミクが居たセカイはなぜ窓ばかりだったのか。
一つは、ミクが電子の歌姫であることから、窓=ウィンドウ=パソコンに表示されるあの四角い枠からの連想ではないか。という仮説。
もう一つは、ある学者たちが発表した心理学モデル「ジョハリの窓」が元ネタではないか、と考えています。
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ジョハリの窓の詳しい解説はここではしません(詳しくはChat GPTとかに聞いてみてください)が、簡単に言えば「自ら見る自分」「他者から見られている自分」という軸を通じて自己理解を深めるための一助とする考え方、「本当の自分を見つけるための方法論」です。
なんだか今回の映画のエピソード(や本編のメインストーリー)に近いと思いませんか?本当の自分を見つけることもそうですが、それに不可欠な要素として他者が在ることも。
そんな自己開示を図るための窓が、無数にあるセカイ。まさに多くの人々の想いが重なっているのだと、視覚的に分かりやすい表現でしたね。
そして何より、あの窓に飛び込んで映画が始まる演出、示唆的ですよね。(加えてスクリーンの上下が広がっていくあの演出、すき)
この記事の途中にこんな文章がありました。
現実も多くの人々の想いの集合体であり、セカイの一種です。
これは作中の現実に対する言及でしたが、それが窓の中=誰かの想いの中にあるというのが、まさにメタファーというか。
セカイは複数人の想いが重なって生まれることもあります(レオニとかモアジャンとか)が、これはまさに合作や共作、他者と協力して一つのものを作り上げることを暗喩していると言っても過言ではないです。
つまり、あの窓が個人ではなく複数人の集まり、ユニットが元になっていても不思議ではなく、その窓が見せる光景はセカイ=想い=作品であるわけで。窓が開いて映画が始まったのは、この作品が、劇場版プロジェクトセカイを形作ろうと決心し協力し尽力した人々の想いの結晶であり、それはセカイの1つでもある、ということを指し示しているのではないでしょうか。
(そして、作中のみならず、この現実も一種のセカイであり、我々は自身の想いを叶えるために自己のセカイを見つめ、他者と対話し、現実セカイに働きかけを行うことが可能で、それは自己実現であったり社会貢献であったり、様々な形を成して、我々や他者の前に現れるのです)
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本当の想いを見つけることは難しい。本当の想いを叶えることは、もっと難しい。出る杭は打たれ、情報が飽和し、八方塞がりな現代社会では尚更。
(故にバツミクは、「これでやっと、始められる」と呟かずにはいられなかった)
だからこそ、こんな現実で、必死に藻掻き、想いを見つけ叶えようとする人が居ると応援したくなるし、自らもそう(想いを貫きたい)在りたいと希うわけですが、本作はそんな人達に寄り添い、また一歩を踏み出す勇気を与えてくれる、そんな素敵な作品でした。
配信されたらまた見てみたい。待ってます。
p.s.
普段は東方をメインに色々と二次創作SSを書いています。
去年の春に(何故か)プロセカと東方がコラボしたことを記念(?)して、以前書いた東方×ニーゴのクロスオーバーを無料公開しています。よかったら読んでみてください。下地となっている思想(作品設定)は、この記事で記述してきた内容と相違ありませんので。
(プロセカメインのSSもあるのですが、ちょっと情報が古すぎるので、気になる方が居たら探してみてください、ということで)