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【小説】made

来年の新人賞にスケボー小説を応募しようと思っています。
現時点では、未完成なのですが
もし、少しでもおもしろいと思っていただけたら♡スキお願いします。


いつも練習で滑っている河川敷の地面とは違い、大会のパークの地面には細かい砂利が一切ない。打ちっぱなしのコンクリートでできたような摩擦がない地面は、いつもよりも滑りがなめらかだ。
 さっき、本番前にウォーミングアップで軽くパークを滑った時、【春の匂い】が鼻をかすめた。【春の匂い】は、厳しい冬の終わりを告げ、暖かな春の到来を知らせてくれた。
今日の天気は文句なしの晴天だ。鼻から大きく【春の匂い】を吸い込む。自分の胸筋に空気が流れ込んでくるのがわかる。鼻で大きく呼吸をすると、自然に顔が空を向き、本番前の緊張が少しだけほぐれた。
今日、大会が行われている名古屋会場は、パークが野外に設置された、開放的な空間だった。会場に設置されたパークに立つと、開放的な空間にぴったりな四月の風が三月の風とは違い、優しく俺の顔を撫でた。
大会規定のため、スケボーを乗る際は、未成年者はヘルメットを被らなければならなかった。いつもならなびく俺の長めの前髪は、今日はスケボーに乗ってもなびかない。髪はなびかないが、スケボーで風を切る度、ヘルメットに覆われていない部分の顔に【春の匂い】を含む、心地の良い四月の風が当たる。
 今日の大会は【春の匂い】がする。俺には季節の匂いがわかる。
季節にも匂いがあると言うと、大半の人は首を傾げるか、「春には桜の匂いがする」とか、「秋は金木犀の匂いがする」と季節の匂いを花の香りで言い表した。
俺にとって桜の匂いは春の匂いではなく、ただの桜の匂いであって、金木犀も金木犀の匂いなだけで金木犀は秋の匂いではなかった。なら、春の匂いはどんな匂いかと聞かれるけれど、春の匂いは、やっぱり【春の匂い】としか言い表せない。
 去年、中三の卒業間際、気になっていた女子(舞花)に「春の匂いがわかる」と言ったことがある。てっきり「何(なん)、それ」とバカにされると思ったのに、「うちもわかる」と、舞花は頷いた。
「うちは、夏の匂いのほうが好きやわ」
季節にも匂いがあることが当たり前のことのように、舞花は俺に共感してくれた。季節の匂いを共感してもらえたのは生まれて初めてで、俺は純粋に嬉しかった。
「季節にも匂いがある」こんなことをわかり合えたのだから、俺と舞花は付き合っても絶対上手くいくと思った。中学を卒業して、それぞれの高校に入学する前の春休み、俺たちは付き合った。
けれど、季節の匂いはわかり合えたのに、季節の匂いをわかり合えただけで、季節の匂い以外に恋人として俺たちが互いをわかり合うことはできなかった。
恋人同士には、季節の匂いをわかり合うような稀有な共通点よりも、デートの時には手を繋ぐとか、学校がない土日のどちらかはスケボーの練習よりも彼女(舞花)を優先するとか、そういう人並みの共通認識のほうが重要なことを知った。
結局、舞花が好きな【夏の匂い】がする前の六月、三ヵ月足らずで俺たちは破局した。
 今日の午前中、名古屋駅に着いた時は気づかなかったのに、会場でスケボーを走らせた途端、【春の匂い】に気付いたのはなぜだろう。
スケボーに乗ると、風をいつもより強く肌で感じられる。舞花と付き合っている間、唯一、舞花とわかり合えた季節の匂い、【春の匂い】を俺は今、全身で感じ取っていた。
バスケットボールの試合で使われるような無機質なデジタルタイマーが、一刻一刻と数字を減らしていく。タイマーを一瞥して、残り時間を確認する。
終了のブザーが鳴り、二ラン目が終了した。スケボーに軽く揺られながら、俺はスタート地点に戻った。
今大会のスケートボードのルールは、『RUN方式』と呼ばれるもので競い、行われていた。
『RUN方式』とは、四十五秒の時間制限の中で、ステア(階段)や、ステア横の手摺を模したハンドレール、鉄筋台のようなレールなどのセクション(構造物)が設置されたコースを自由に滑り、自分が好き、ないし得意とするセクションを使用し、トリック(技)を繰り出す。
繰り出すトリックがメイク(成功)した場合、トリックの難易度や完成度、そしてラン全体の流れなどを審査員が総合的に判断し、得点を付ける。
今回、隼人が参加した大会では、ランは全部で三本あり、三本のランの合計得点で順位を決めることになっている。
そもそもスケートボードには、『PARK(パーク)』と『STREET(ストリート)』と呼ばれる二種類の競技がある。
まずパークとは、お椀をいくつも組み合わせたような曲線的な形状のコースをUの字を描くように曲面を滑り、トリックを決める競技だ。パークでは空中に飛び出すエア・トリックがメインとなる。
またストリートでは、街中にあるような階段や手摺、ベンチや坂道などを模したセクションが配置されたコースで競技を行う。競技は選手一人ずつで行われ、設置されたセクションを自由に使いながら、さまざまなトリックを繰り出す。
隼人が行うスケートボードは、後者のストリートの競技に該当する。
パークでもストリートでも双方、コース取りやトリックの種類は全て選手が自由に決めて良い。また、どちらの競技もメイクしたトリックの難易度や完成度、ラン全体の流れを見て、審査員が点数を付けて順位を競う。
ちなみに、スケートボードでは、競技のパークの他に、競技で使用されるコースのことや、スケボーの練習場として設置されている施設などを総称として『パーク』とも呼ぶ。

今日の隼人は調子がよかった。二本目のランが終わり、自分の得点を確認すると、三本目のランをノーミスでクリアすれば優勝できると確信した。
首元にほのかに汗が滲み始めた。隼人はパーカーの首元を引っ張り、パタパタさせ空気を入れる。身体に熱がこもっていた。
厚手のパーカーを脱ぐため、一度ヘルメットを外す。パーカーの首元が頭を通り抜ける時、右耳のワイヤレスイヤホンが耳から外れてしまい、床に落ちた。運よく転がっていかなかったイヤホンを拾い、脱いだパーカーを会場の袖に置く。
パーカーを脱ぐと、隼人の背中に二枚の葉っぱが大きく描かれたロゴが現れる。イヤホンをはめ、ヘルメットを被り直す。
さっきと変わらず、四月の風がまた隼人の顔を撫でる。しかし半袖のTシャツ一枚になると、四月の風はさっきまでの心地よさが消え、急に不機嫌になったように冷たい風へと変わった。
二ラン目までで身体が温まったので思わずパーカーを脱いでみたが、心地よいと言っても四月の風にはまだまだ寒さが潜んでいて、地元福井にあるスケートショップMad Leavesのロゴが描かれた半袖だけでは、四月はまだ肌寒かった。
そろそろ順番が回る。
急に不機嫌になってしまった肌寒い四月の風を向かい風で受けながら、隼人はスタート地点に立った。いよいよ、ラストの三ラン目が始まる。
タイマーの数字が四十五から動き出した。
スタート時点の緩いJの字になった傾斜の上から助走を付け、スケボーは下りながら滑っていく。板が宙に舞う。
助走で勢いを付けた板は、六段あるステアをゆうに飛び越え、くるりと板を一回転させるとステア下に着地した。
普段なら、学校の六段もの階段から飛び降りるのは躊躇するのに、スケボーに乗っていれば階段から落ちるのも怖くなくなるから不思議だ。戦場のカメラマンが、レンズ越しに戦場を覗くと戦場への恐怖が無くなると言っていたことと似ていると思う。スケボーのデッキ(板)の上に立てば、勾配が急な坂道だって無敵に思えて怖くない。
無事着地した板は、すぐに踵を返す。
右足は板の上、左足はオールを漕ぐように地面を蹴ってキャリーケースが引きずられるような振動を震わせながら走り、またスタート地点に戻った。
スタート時点に戻ると、走り出す前に一瞬、ほんの一瞬だけ一呼吸置き、また台車に乗って下るような、ゴォォと鈍い振動を鳴らし、滑り出す。
スピードをつけた板は、ステア横の鉄のハンドレールに対し斜めに向かって進んでいく。
さっき飛んだ六段のステアの時よりもやや高く、板はハンドレールの上へ飛んだ。
飛びながら板を半回転させる。板を半回転させると、身体の向きが正面ではなく、後ろ向きの状態になる。
後ろ向きの状態のまま、スケボーのタイヤとタイヤの間にハンドレールを引っかけた。スケボーがハンドレールに触れた瞬間、デッキとタイヤを繋ぐトラック部分がハンドレールに勢いよく当たる。トラックがハンドレールに当たると、毎年正月に聞く、除夜の鐘を彷彿させる音が響いた。
ハンドレールの上に乗れた板は、後ろをやや振り返るような体勢のままバランスを崩すことなくスライドしていった。
スライドした板が地面に着地する手前で、後ろ向きになっている身体を思い切り正面に向き直す。
板がハンドレールの上をうまくスライドできたので、最後、着地を失敗させないだけだった。
正面に身体を向き直した俺を乗せた板は、落下物が地面を叩きつける音を鳴らし、着地した。
地面を叩きつける板の音は、トリックがメイクしたことを意味し、歓声が沸いた。会場の歓声がイヤホンをしていない左耳に届く。イヤホンをしている右耳には、ウィリーウォンカの流暢なラップが流れている。
一瞬の安堵と達成感を味わい、すぐに気持ちを切り替える。
タイマーの数字を追う。
残り七秒。焦るな、と胸の中で呟き、板をまた走らせた。
最後ここでトリックが決まれば優勝できる。そう確信して、スピードをつけて板を走らせていると、なぜか初めてオーリーができた頃の情景が脳裏に浮んだ。
初めてオーリーができたのは、俺が九歳の時だった。
初めて買ってもらったスケボーのデッキは、一昨年死んだ祖母(ばあ)ちゃんが買ってくれた物で、『SKATE MENTAL』のデッキだった。
オーリーを必死に練習する俺を見守る、若い頃の祖母ちゃんの顔ではなくて、棺桶に入っていた祖母ちゃんの顔がなぜか浮かび上がる。
トリックと関係ない、死んだ祖母ちゃんの顔を思い浮かべているのに、頭よりも身体のほうが自動的で、何度も何度も、繰り返し、繰り返し、嫌になるほど練習したトリックの動作はステア横のハンドレールの前まで来れば、あとは勝手に身体が動く。嫌になるほど練習した成果は、俺の足の、爪の先まで深く染み渡っていた。
 板の着地と同時に終了のブザーが鳴る。転ばず、なんとかバランスを保ちながら着地できた板の感触がナイキの靴底から伝わってくる。
気づくと右手を握り、俺はガッツポーズを振り上げていた。
余韻を残したスケボーの滑りに身をまかせ、俺は勝利に浸った。軽く揺られるスケボーが気持ちいい。スケボーの余韻が消えると、トリックの成功を見守ってくれた仲間たちの元へ俺はすぐさま駆け寄った。


つづく

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