安善駅と浅野駅
2つの人名に由来
神奈川県の横浜市と川崎市をまたぎ、京浜工業地帯の工場群へと旅客や貨物を運ぶJR鶴見線という路線がある。
その中に安善駅と浅野駅という2駅が隣同士で並んでいるんだけど、数年前にとある短編歴史小説を書いていた際、ひょんなことからこの2つの駅名が持つ因縁を知った。それが少々面白かったので、ここに記しておきたい。
先に明かしてしまうと、安善駅は安田善次郎(1838〜1921)、浅野駅は浅野総一郎(1848〜1930)という人物の名前が、それぞれ駅名の由来となっている。では、彼らは一体何者なのか。
京浜工業地帯の父、浅野総一郎
鶴見線の発祥は、1926年に開業した鶴見臨港鉄道だ。これを立ち上げたのが、浅野総一郎率いる浅野財閥であった。
総一郎はセメントの建設資材としての需要にいち早く気付いてセメント会社を設立し、「セメント王」と称された。ちなみに、同社の流れを汲んでいるのが現在の太平洋セメントだ。
その後、彼は臨海工業地帯の必要性を唱え、のちに「京浜工業地帯」と呼ばれる東京〜横浜にかけての土地を埋め立てた。この上に工場群が林立することとなる。
この過程で総一郎が設立した浅野造船所は、のちに日本鋼管が引き継ぎ、それが現在のJFEエンジニアリングおよびユニバーサル造船へと繋がる。
また、中高一貫の進学校として有名な浅野中学校・高等学校も総一郎の設立だ。元々は、科学に長けた優秀な人材を浅野財閥に供給することを目的として作られた学校だった。
金融財閥を築いた安田善次郎
ただ、京浜工業地帯の立ち上げは総一郎の力だけでは不可能だった。そうした中、彼を支援したのが安田善次郎だ。
おそらく、総一郎よりも善次郎の方が世間的には有名だろう。この人物は安田財閥の祖であり、現代でも様々なところに名前を残している。
彼の創業した会社は今も、みずほフィナンシャルグループ、損害保険ジャパン、明治安田生命保険として残っており、東京建物については同名のまま現在に至っている。
僕は明治安田生命保険が大スポンサーとなっているJリーグを欠かさず観ているので、何となく善次郎のお世話になっている心持ちがある笑
東大にも確かな足跡が残る
善次郎は政治活動家によって刺殺されたことでも知られ、僕が小説を書くための史料を当たっていて彼の名を目にしたのはその件だった。
殺害の動機は、「巨万の富を築きながら、それを社会のために生かしていない」というものだったんだけど、実は善次郎は様々な機関に寄付をしていたことがのちに分かった。
彼は「名声を得るための寄付ではない。こうした徳行は隠れて積むものだ」との信念から、匿名を条件に寄付していたんだよね。だから、莫大な富を社会に還元していたのに、それが世間には知られていなかったわけだ。
そうした寄付の中でも最も有名なのは、東京帝国大学への大講堂建設費だろう。それによって建てられた講堂は、善次郎を偲んで、彼の死後に「安田講堂」と呼ばれることになる。
鶴見線の駅は人名だらけ
この記事を書くにあたって改めて調べたところ、鶴見線はほかにも、下記のように人名由来の駅名ばかりのようだ。
鶴見小野駅:小野信行(大地主)
武蔵白石駅:白石元治郎(日本鋼管創業社長、浅野総一郎の娘婿)
大川駅:大川平三郎(製紙王、日本鋼管2代目社長)
扇町駅:人名ではないが、浅野家の家紋が扇であったことに由来
前述の通り、京浜工業地帯は浅野総一郎が埋め立てて開発した“新しい”土地なので、元々の地名が存在しなかった。そのため、この埋立事業に関わった経営者たちの名前が冠されることになったらしい。
ただ、その中でも浅野総一郎と安田善次郎の関係性は最も親密であったものと思われる。2人はいずれも富山出身で、善次郎が総一郎を支援した背景には、ビジネス的・社会貢献的な観点だけでなく、個人的な友情もあったと言われている。
その2人の名前にちなんだ駅が仲良く並んで現在に残っているのを見ると、なんだか感慨深くてほっこりするね。