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映画『室町無頼』所感(ネタバレなし)

自身の小説の“答え合わせ”

映画『室町無頼』を劇場で観てきた。垣根涼介さんの書かれた同名の歴史小説を原作とする作品だ。

舞台は室町時代中期、1461~62年の京都。歴史上で実際に起こった寛正の土一揆を描く。一揆の首謀者、蓮田兵衛を大泉洋さんが渋く演じた。

奇しくも僕は、自身の長編小説『ゆえに、叛逆す』でほぼ同時代(1427〜41年)を描いたので、言わば“答え合わせ”のような感覚で鑑賞した。

機能不全の室町幕府

1461~62年と言えば、応仁の乱(1467〜77)の直前期にあたる。言わば「戦国時代前夜」といったところか。

このときの将軍は8代目の足利義政(1436〜90、在任1449~73)。彼は慈照寺の銀閣を造営した風流人として歴史上有名だけど、この時代には室町幕府は政務機関としてほとんど機能不全に陥っていた。

各地の守護を任された大名は好き勝手に私闘を繰り広げていたし、野盗は至るところに跋扈していて、治安は最悪の状態にあった。

“無理ゲー”を強いられる百姓たち

もっとも、僕が『ゆえに、叛逆す』で描いた時代(本作から遡ること20〜30年前)の段階で、日本人の大半を占める百姓の暮らしはすでに酷い有り様だった。

彼らはただでさえ領主からの重税に苦しんでいた。一度でも長雨、日照り、疫病といった天災に見舞われれば最後、作物が実らなかったり、働き手が亡くなったりして、税は支払えなくなる。

すると、暮らしのために金を借りざるを得ないわけだけど、豊作が続くことなどないので、これを返せる見込みは限りなくゼロに近い。その結果、借金に借金を重ねることになり、最終的には首が回らなくなって、妻子を売り飛ばされる羽目になるのだ。

どうしようもない負のループ。当時の百姓に生まれるということは、この決してクリアできないゲーム、いわゆる“無理ゲー”に強制参加させられるようなものだった。

どうせ妻子を取られて飢え死にするくらいなら、殺される覚悟で武器を手に取って戦おう――そう考えた人々によって起きたのが“一揆”というわけだ。

証文を焼いて“セルフ徳政令”

百姓に金を貸していたのは、当時の社会で比較的に金を持っていた人々だ。具体的には、高利貸しの土倉、寄進によって金を蓄えていた寺社、商売に成功した酒屋などである。

彼らは金を貸して高利を貪り、払えないとなれば形として妻子を奪うなどしていたため、一揆の際には真っ先に襲撃を受けた。

今回描かれた「寛正の土一揆」の最終目標も、借金の証文を焼き払うことが主眼に置かれていた。言わば、自分たちの手で実質的な“セルフ徳政令”を出してしまおうというわけだ。

連判状や落書きから世相が分かる

『室町無頼』では、そうした室町時代中期のリアルな様相が実によく描かれていた。人の命は限りなく軽いし、特に百姓は揃いも揃って薄汚い格好をしており、大名連中の艶やかな着物や「花の御所(将軍の在所)」の彩あふれる装飾と好対照をなしていた。

少し典型的すぎる気もしたけど、時代感や世相を示すさりげない描写も効いていた。

たまに登場する細川、山名、伊勢といった有名な守護大名の名前とか、一揆の首謀者が誰か分からなくするために中央から放射状に名前が記された連判状とか、一揆勢の根城の壁に書かれた「このごろ都に流行るもの」で始まる「二条河原の落書」とかね。

ちなみに、「二条河原の落書」は本来、『室町無頼』の時代から100年以上前に行われた建武の新政(1333〜1335)による混沌とした政情を揶揄して謳われたものだ。ただ、まさに室町幕府の無策を嘲弄するにはもってこいの歌だから、書かれていても違和感はなかった。

主人公は赤松家の遺臣?

あと、主役の蓮田兵衛、その“一番弟子”となる才蔵がともに播磨の出身であり、お取り潰しとなった赤松家の残党(=遺臣)であることが示唆されている点も個人的には感慨深かった。

何を隠そう、僕の小説『ゆえに、叛逆す』は、その赤松家が滅びる原因となった「嘉吉の乱」を描いた歴史小説だからである。

ただし、赤松家は巡り巡って1458年に再興を認められており、むしろ寛正の土一揆に際しては討伐側の武士団に加わって功績すら挙げているため、蓮田兵衛が赤松の残党という設定はフィクションだろうね。

僕はこの作品の執筆にあたって参考にされた一次史料を読んでいないので、大きなことは何も言えない。でも、「よく分かっていない」「諸説ある」といった歴史の“溝”をいかに面白い&論理的な虚構で埋めるかが歴史小説家としての腕の見せどころだと考えているので、たとえフィクションだとしても「蓮田兵衛=赤松残党説」は肯定的に捉えたい。

ド迫力の戦闘シーンは見もの

それにしても、本作の戦闘シーンはどれも迫力があって見ものだったな。一揆勢がどんどん膨れ上がっていく様子や、束になって関所を破る場面なんか鳥肌が立ったよ。

軽々と塀に登ったり、一人で何十人も相手にしたり、殺陣はカッコいいながらもやや現実離れしたところがあった。ただ、そういう部分を除けば、結構リアリティはあったと思う。

例えば、武士と百姓の戦闘能力の差。百姓は数こそ多いものの、武器の扱いや組織的な動きの訓練を積んでいないため、“烏合の衆”であることが否めない。本作ではその点を考慮に入れた一揆側の戦略がしっかりと練られ、遂行されていた。

また、新しい刀が補充されるといった、“芸の細かい”シーンもあった。いちいち説明はされなかったけど、これは斬り合いの中で刃こぼれしたり折れたりした刀を交換するためだろう。ちなみに「何人もの人を斬ると、刀は血の脂ですぐに切れ味が失われる」というのは俗説で誤りらしい。

一揆の場面ではないけど、襲われた村の人々が集めておいた石を武器にして戦っていたのも印象的だった。実は、石というのは“間に合わせ”ではなく、一般的に使われた武器だったようなので、なかなかリアルな描写だと思う。

この作品は映画館で観て正解だったね。2025年1月17日公開で、まだしばらくは上映していると思うから、興味のある方は是非観てみてください。

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