昔に戻りたいとか言うけれど。

過去に戻れるとしたらいつがいい?とか耳にしたりするけど、自分に置き換えても特に戻りたいなんて思わない。
思い返したら死にたいような失敗も浅はかだったなと思う選択もひどい傷つけかたしたなっていう別れもあるけど後悔はしていないし、戻ってやり直したいということでもない。

その経験と反省(と開き直り)が今の自分を作ったと思うし今までの自分の人生はなかなか、綺麗ではないけれど面白いジェットコースターみたいな人生だったと思う。
こんな感じでこれから死ぬまで超スピードで登ったり下ったりするんだろう。

ただ、自分のやりたいようにやってきた人生で、0対100で辛い思いをさせたなって人が1人だけいる。それだけはわたしの罪だと思っている。余談だけど。

そんなことも薄れるくらい幸せなことが続いてそれは数ヶ月にも及んで、そんな風でいいのか、こんな幸せなことが続いてていいのかってある部分では冷静に感じていた時、幸せの一つが無くなった。
2ヶ月お腹の中にいた命はうまく育たなかった。
医学的にはこの期間に育たない命は母体に理由はなく個体の生命力がなかっただけと言われている。2ヶ月を過ぎ赤ちゃんの姿が見え、心拍が確認できると流産の可能性がだいぶ下がるらしい。
私の卵の中は空っぽだったから命がいたとも言えず、思えず、落胆はしたけどなんだかすぐに割り切れた。仕方がないと。

流産の処置は2通りあって手術で子宮内を綺麗にする方法と自然に排出されるのを待つ方法。どちらも一長一短はあるが、自然に任せていつまでかかるかわからない突発の腹痛と付き合って最悪綺麗に出切らなければ手術になる可能性よりも早く処置してもらって気持ちを切り替えたかった。
手術は1泊2日で、あっという間に終わったが手術の前処置として2回行われた子宮口を広げる処置は、ネットで仕入れた前情報ほど痛みはなかったもののまたやるって言われたら逃げ腰になる位、気持ちいいものでは無かった。

退院して3日経つが術後の痛みもそんなになく、ひどく痛む人もいるらしい中私は痛みが少ないタイプの人間だったように思う。ありがたいことだ。

でも3日目になって自分の情緒が不安定になる瞬間を感じることがたまにあって、あんなにこの前まであっけらかんと割り切れていたのに、今まで好き勝手やってきた罰なんじゃないかとか、産休育休を考えると職場に影響が出るなとか、迷惑かけるなとか、復帰してキャリアが維持できるのか、なんて考えて、このタイミングでの妊娠を後悔しかけた瞬間があったことも事実で、それをこの子は感じたんじゃないかとかいろんな思いが頭をかすめて気がつくと泣いてたりする。
喜んでくれていた彼もパパにしてあげれなかったなっていうよくわかんない罪悪感がある一方、男の人は肉体的なダメージ一つなくていい身分よねって一瞬よぎったりするような不安定さを自分でも呆れながら感じていた。
でも一方では、そんなわけないし、誰のせいでも何が原因でもないって言うことをちゃんとわかっている自分がいる。

次のチャンスはこれからもあるけど3ヶ月以上先(手術後3ヶ月はダメと言われている)でうまくいったとしても1年以上は先のことになるんだな、長いなぁとか、そうなればこの酷いつわりを経験することになるのかという怖さと、さらにまた辛さだけ味わって流産した時の絶望感を想像すると心が折れそうだった。
今そんなこと思ったって無駄以外の何物でもないのに。

世の中の女性の何割かが経験することではあるけど、生まれてくるとおもっていた命がダメになってしまったんだからこれくらいの感情の落ち込みは健全なんだろうと、やっとここで文章にすることで落ち着いた。
私だけが特別に不幸なわけではないけど個人としては十分に辛い出来事だったしきっとこの位落ち込んで面と向かって人に言えない気持ちをここに吐き出すのは気持ちを整理する上で重要だったんだと思える。
名前も知らない誰かが読んでくれると思うだけで心に溜めていたなんだかわからないモヤモヤした苦しさが形になって自分でも理解できた。

まだ何回かこんな浮き沈みが繰り返されるんだろうけどそれが前に進むことにつながるのかな。

改めて子供を授かるということは本当に奇跡のようなことなんだと、心の底から思える。世の中の人間すべての人がこの奇跡をもって生まれてきたんだっておもったらちょっと前向きな気分になった。



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