友達の同期が自殺したらしい。
友達の、同期が自殺したらしい。
昔、三浦春馬が自殺した時に、
その友達に送った文を
読み返したと連絡が来た。
久しぶりに、自分で読み返したが、
成長した今も、
その時と考え方が変わっていない。
noteに投稿したと思っていたけど、
投稿していなかったので、
今更だけど投稿しようと思う。
その時の感情のままに打ち込んだ文章だから、
文脈、一人称など
めちゃくちゃだけど、そのままに。
三浦春馬が自殺した
現在2020年7月20日4時42分、寝れないまま朝を迎えようとしている
一昨日、三浦春馬が死んだ。
自殺だ
自殺でSNSが荒れている。
自殺については、小6ぐらいから考えている、いや、生きることについてか、
自殺は中1くらいだろうか、そもそも、なぜ生まれてきたのかを考えていた。
どこで性格が拗れたのかは自分でもわからない。漫画の読みすぎが原因か?今でも中二病だからそのせいなのか?
ただ、小6の頃から、辛くて死にたいとか、こんな世界嫌だとかは思わなかったが、そもそも生まれてこなければ、辛い目にも悲しい目にも合わなかったんだろうと考えていた。
人はこれを、それはまだ本当に楽しいことを知らないとか、生きがいがないとか、愛を知らないとかって言ってくるのだろうなとおもっていたけど、
いや、だから、そもそも生まれてこなきゃ楽しい感情も、生きがいとかも、愛とかも考えないだろ。
生まれてきたからには、そんな感情も味わいたいけど、生まれてこなきゃその感情すらないんだから生まれてこないに越したことはないだろと、かれこれ10年くらいは思っている。
そんな思想の持ち主だし、中二病も治らないので、生きるのがめんどくさくなることもあるし、辛いこともあるし生きているのをやめたくなることもある。
中1の時の三者面談で、先生に成績が悪いことを指摘された。
先生「点数取れてないね」
俺「そうですね」
先生「どうしてだと思う?」
俺「勉強してないからですかね」
先生「じゃあ勉強しなきゃね」
俺「嫌ですね」
先生「どうして?成績上がらないよ?」
俺「そうですね」
先生「じゃあ、勉強しなきゃね」
俺「嫌ですね」
先生「そんなに勉強、嫌?」
俺「そうですね」
先生「死ぬのとどっちが嫌なの?」
俺「勉強の方が嫌ですね」
みたいな会話があった。黙って、はいそうですねって言っとけば、すぐに終わったであろう面談も、嘘のつけない性格と頑固さでこんなやりとりをしてしまった。俺の内心としては、そりゃ勉強すれば成績が上がるのはわかっていたけど、別に成績を上げたいという向上心もなければ、やる気もないし、そもそも本当に死ぬより勉強の方が嫌だった。だから、先生が、死を天秤にかけた時は、こいつマジか?本当に死ぬ可能性あるぞ?と思って、けどなら死ぬとか言っちゃう寒い奴にはなりたくないし、けど死を考えてるぞと脳内でそのことばかり考えて、親と先生の前で涙いた。
今考えたら、本当に下らないけど、死を天秤にかけた先生はいまだに教師失格だと思う。けど、死ななかった。それが普通かもしれないけれど、自称死を考えてる人間としては、中二病ってだけで終わった。
自殺なんて言っちゃう人は、馬鹿馬鹿しい。けれど自殺を私は否定しようとは思わない。そいつの人生だから。楽になりたければ死ぬしかない。俺も、ほんとにキツくなったら死のうと今でも思ってる。ただ自殺する前にルールを設けた。一つめは、シェリー・ケーガン著のdeath「死」とは何かを読み切ること。二つめは全てをブッチして全財産はたいてい自然を見に行くこと。国内の自然でもいいし、できれば世界の自然が見たいと思っている。最後に自分の生きた証、物質として残すために、遺書となる自伝的なエッセイ的な、著書を書くこと。この全てをやり終えてからなら自殺して良いというルールを自分に課している。
自殺しちゃえば、全てが終わる。残された奴は悲しみに明け暮れるし。お疲れ様の声をかけてくれたりもする。お祈りの言葉をかけてくれたりもする。批判する奴もいる。なんで自殺したのか詮索してくる奴もいる。自殺について考える奴もいる。後を追う奴もいる。けど自殺した奴はそんなこと知ったこっちゃない。知りたくもないから死んだんだし。もうそいつには、責任を負う必要もない。
けれど俺の周りに自殺しようとしている奴がいたら、間違いなく俺は止める。もちろん、自殺するのは勝手だけど、俺の知り合いが死ぬのは困るから、俺の人生で死なれても困るから俺は止める。それも俺の勝手だから。俺の人生だから。
多分、死ぬのは簡単なんだと思う。ドアノブに紐括り付けて、首通して、体重かけて、眠るように逝くんじゃないかな。調べたことはないけれども。覚悟が必要なだけで。だから生きてみればと思う。死ぬのは簡単。いつでも死ねる。だから生きてみればいいんじゃないかな。って思うけれど。
俺はまだ死ぬ予定はない。
今は、自殺しようとしてる人が
たまたま付けていたテレビを見て、
死ぬのが馬鹿馬鹿しいなと思い、
自殺をやめれば素敵なことだと思う。
日曜の使者