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「自分」を苦しめているのは「自分」

ずっと人の目を気にして生きてました。

自分の人生に今後関わらないような人のことも

「どう思われたんだろう」

とか

「あんなこと言って恥ずかしい」

とか

「嫌な気分になったかも」

とか。

もちろん職場の人や友人にも。

今思えばただ「自分を守りたかっただけ」なんですよね。

「いい人と思われたい」

とかそういう。

そして過去にあった嫌なことをふとした瞬間に思い出しては

「あー!!!!」

ってなったり。

そしてそれをずっと考えて、そしてついでに違うことまで引っ張り出したりして。

それのぐるぐる繰り返し。


人の顔色伺うことも上手になって言われてもないことまで予想して嫌になったり。


ほんっとうに生きにくかったし、でもそれが自分の良さだとも思ったりしてました。

「人のこと考えないで生きていくより、察しながら生きた方がいい」

って。


もう、今思えば「何言ってるの、私」という感じなのですが、そう思うことでまた自分を守っていたし、あの頃の私はそれでも一生懸命生きていた。

「あの頃」と書いたのは今はそうではないということです。

変わったとは言っても同じ人間なので、時々ふわっと過去の自分が戻ってくることはあるけど、前ほどじゃない。

どうして変わったのか、と言えば去年とんでもなく酷い1年だったんですよね。

職場もプライベートも恋愛もことごとく。

一つ事件が起こって終息すれば、また次、また次って・・・。

ありえないくらいのビックウエーブが次から次。

最終的に

「親が死んでないし、大好きな友達にも何もなかったんだからよかった」

って思えるくらいいろんなことがあったんですよね。

でもそうやって辛いことがめくるめく起こってくると自分も変わらざるをえない。

いつまでも「辛いよー、しんどいよー、なんで自分ばっかり」とか言っててもどうにもならないんですよ。

どんどんしんどくなっていくだけ。


開き直ったと言えばそれまでなんですけど、もう人の目とかどう思われてるとか考えてる場合じゃなくて、そんなこと気にしてるなんてアホだ!と思えるようになった。

そんな中で出会った「嫌われる勇気」という有名な本。

あれを読んで本当に変わったんですよね。

「こっちが何かしたところで、それをどう思うかは相手の課題なんですよー」

ってアドラーさんが。

考えてみれば当たり前ですよね、そんなこと。

こっちがいいと思ってしたことでも10人が10人「いいね!」ってなるわけない。

一人くらいは「綺麗事じゃん」とかそういう感じになってくるわけですよね。

そう考えると私は全員に愛されようなんてできもしないことを考えていたんですよ。

それは自分が傷つかないためのものではあるんですけど。


そうしてると「あ、自分を苦しめてたのは自分なのかもしれないなあ」と気づいたわけです。

過去の嫌なことフッと思い出したり、って誰かが私の脳内に思い出させたわけじゃなくて「自分で」思い出したんですよね。

それをぐるぐる考えてるのも「自分」

いつまでも引きずるのも「自分」

「自分」でずーーーーっと「自分」を苦しめることを考えようとしてたんですよね。

本当に今思えばどんだけMなんだっていう話なんですけど、その時はそうするのが当たり前というかそういう感じだったんですよ。


でも、今冷静になってみると本当にバカだったなあ、って。

自分で自分を傷つけて、ズタズタにして「痛いよー、苦しいよー」って当たり前ですよね。

それでイライラしたり、自分がかわいそうになったり、ってもう本末転倒ですよね。

ということで少しずつ嫌なことを思い出しそうになったら違うことを考えたり、「あの人どう思ったんだろう」って思いそうになったら「まあ、どうでもいいか」と思うようにしたり、余計な詮索とかするのをやめたり、顔色を見て勝手に判断するのをやめたり。

言われたわけじゃないことを気にしないようにしたんです。

言えば「自分がどう見られても私は私で関係ない」と思うようにしたというか。

誰かにどう思われても、それで自分は何も変わらないんですよね。

自分の世界に生きている自分は誰にも曲げることも変えることもできない唯一無二の存在。

私が私の味方でいればそれでいいんですよ。

私が私を信じていればそれでいいんですよ。

誰かに嫌われてもいいんですよ。


誰かの目なんか気にすることなくて「ま、いいや」でスルーしていけばいい。

苦しむために生まれてきたわけじゃないんだから。

苦しむのも楽しむのも自分次第。


気づくのが遅くなってしまったけど、この先はもっともっと楽しく自由にのびのび人生を楽しめる気がしています。

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