虫の目、鳥の目、人工衛星の目
虫の目、鳥の目とかいう比喩表現があると思います。
視点の位置の違いのことです。
看護師時代の私は虫の目だったと思います。
いや猫の目くらいですかね。
部屋一つ見渡せるとか、一軒家の中を動き回る猫の視点。
野良猫やともう少しフィールド広がると思いますが、言うてそれでも一つの町内くらいでしょうか。
地球規模で考えると、とても狭い視野です。
それが良いか悪いかは知りませんが、私は視野の狭さに気づいてから常々視野を広げたい欲求がありました。
念頭に置いているのは
「人工衛星の目で見ること」です。
今現在だけでなく、過去も人工衛星の高さから見るように。
看護師をしている時からこの視点でいることに努めていましたが、ちゃんと視点が広がって高くなってきたかなと思えるようになったのは、病棟看護師を辞めてからです。
まあ実際人工衛星から地球を見たらどんな感じに見えるかって、割とフワッとしたイメージで言っているのですが笑
とりあえず、自分の地域だけじゃなく他県のことも見ながら、とか、日本だけでなく他の国のことも見ながら、という感じ。
最近アツいのは、国全体で見た時の医療機関の位置付け・看護師の立場とか。政治と医療機関との関係とか。今の日本になるに至った歴史的経緯、諸外国との関係性、とかそんなやつです。
実際、好奇心が向いている対象の規模がデカすぎで毎度あたふたしてます。
知らないことを調べていくと芋づる式にどんどん出てきて終わりがないし、今自分がどの位置にいるのかわからなくなることもしばしば。
大体は頭パンクして、もう限界ナリふしゅ〜‥みたいな感じで強制終了してます笑
脳みそが宇宙に行くときは「これやって何になるの?」とか思ったりしますが、良いのです。好奇心を満たすことが私にとっては必要なこと。
ストレングスファインダーという本で、私の資質は「内省」「収集心」「着想」「個別化」「運命的思考」だそうです。
まさに収集してますやん。
でもそうやって収集していくと私の悪い癖で
「もうわたしが何やっても意味ないやん‥」という、いろいろぶっ飛ばしてすぐ自暴自棄になるのですが
スティーブン・R・コヴィーさんの『7つの習慣』という本の中で「影響の輪と関心の輪」の話があったことを思い出しました(当時ちゃんとした本を読めなかったので絵本みたいなバージョンので読みました)。以下まとめたやつです。
二重の円があり、中の輪が「影響の輪」。外側の輪が「関心の輪」。
「影響の輪」の中にあるのは、今日やることや、友達との関わり方、学校の成績など、自分の努力で変えていくことができること。
「関心の輪」には、過去の失敗、背が低いこと、人からの評価、起きるかもしれない事故など、自分では変えられないことがある。
影響の輪の外のことに時間やエネルギーを割いても状況は良くならない。自分でどうにもならないことにクヨクヨ悩んだり、腹を立てるより、できるだけ多くの時間とエネルギーを「影響の輪」のなかのことに注ぎ、自分の行動を主体的に変えていくと、自分の未来を良いものに変えていくことができる、とのこと。
なるほどな〜
わたしは「関心の輪」のことで勝手にいろいろ悩んでいました。
まえ書いた記事がまさにそうやったと思います。
看護師時代はこんなことを考えながら常に疑問とか、腹立たしさがずっとあった気がする。
主語デカいのは重々承知の偏見なのですが
看護師の人ってなぜ視野が狭い傾向にあるだろうか、と思います。
ある人と話していて言われたのは
「労働時間のシステム」の影響があるのではとのこと。
シフト制で休みもまちまちとなると、会える友人も限られてきて、休みの合わせやすい看護師同士の方が会いやすくなりがち。
今は少なくなってきたけど、三交代の日勤・深夜とかで勤務されている人は、いつ外界の情報を得ているのだろうか、と。
なるほどな〜〜
たしかに、知らぬ間に孤島にいる感じ。
あと個人的に、看護師は仕事上の相談とか愚痴を誰かに言うとなると、同業じゃないと前提から話さないといけなくて手間なところがあるので、おのずと同業との関わりが濃くなっていくのかな、と思ったりしました。
わたしは看護師やけど、大学生時代からわりと看護師アンチ気味で、なおかつ脱落しかけた事もあり、学部内の友人はめちゃくちゃ少ないです。(最低限のコミュニケーションは取ってたつもり…笑)
大学時代から今でも会う友人のほとんどは看護と関係ないサークル仲間ですし
大学時代以外の友人にも医療系はほぼいません。
4年半の中で3箇所の病院にいたけど、先輩や同僚とほぼ繋がっていません笑
自分の性質上、一つのことを突き詰めるというかは、幅広くいろんなことを知りたいという気持ちがあったので、看護師の世界に馴染めなかったし、仲良くもなれなかったのかな、とか?
視野が狭いと思っていて、それに辟易していたというか。
看護の勉強以外にもやりたいことがたくさんあったけど、仕事に追われて看護ばっかになるのがしんどかった。
自分の肌感覚ですが、病棟時代には先輩方に結構ラベリングする人が多かった印象で。
「変な人」「コンプライアンス悪い人」とか。それらの中身は、「大体こういう人」といういろんな人の意識の集合で構成されている。それ以上は具体的に考えない。そうやってラベリングした方が考えなくて済むからなんやと思う。おそらく。
私もラベリングされて、「私本人」と、というかは「みんなが作った私の印象」と会話されていた感覚があった。
生意気にも、もっと視野広く持って関わらないとあかんやろ、、とか思っていた。
まぁそれ以前に世の平均より社会性が欠落している自覚はあるので、そこの問題は忘れていませんが笑
話があっちゃこっちゃ行って結論を見失うあるある。笑
まあとりあえず、私は「影響の輪」のなかのことを考えていこうと思います。
あとは、私は「看護師」に対する偏見がすごい笑
そのへんも公正に捉える必要があるなと。
人工衛星の目で見ることを忘れずにいたい。
そんな感じ。