私の中の優生思想
インクルーシブ教育に興味があり、インクルーシブな社会に!分離教育によって差別が再生産されているのでは?と思っている私ですが、そんな私の中にも「優生思想」はあったと思います。
次男は出生4日目に、脳室内出血を起こしました。
小さく産まれた赤ちゃんは、身体が未熟なことから、様々な合併症を起こしやすいと言われています。
その中でも「どうか脳だけは何も起こさないでほしい」と連日願っていました。
それは素人ながら、脳に何かが起きると障害が残ると考えていたからだと思います。
脳室内出血を起こしたその日、主治医から説明を受けた帰りの車の中で、夫に「私に寝たきりの子どもは育てられない。そんな自信、私にはない。」と言いました。
これは確実に、私の中に優生思想があったと言える発言だと思います。
夫が返事をしたのかは覚えていませんが、車の中の重苦しい空気、暗い雰囲気は今でもはっきり覚えています。
私はそれから主治医に、次男と同じように脳室内出血を起こした子や、同じような週数で産まれた子の予後をまとめたデータはないのか?と何度か聞きました。
主治医は「子どもの脳の成長発達は未知数だから」と言うことにとどまっていたように記憶しています。
私が次男がどうなってしまうのかと考えなくなったのは、次男が生後2か月を迎えた時です。
次男は、何かしらの感染が原因で敗血症になりました。最大の生命の危機が訪れました。
私はこの時に「ああ、生きていてくれたらそれでいい」と初めて思った気がします。
敗血症を乗り越えてからは、次男の未来のことをあまり危惧しなくなりました。
今の私に優生思想はないのか?と聞かれたら、それは分かりません。
心の奥底には潜んでいるのかもしれません。
ただ、次男や私たち家族と関わってくれている方々と接していると、私の中の優生思想は顔を出しません。
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