寺山修司、『デスノート』のLの葬式を開く!
えっ、そんなバカな⁉︎ 寺山修司は1983年5月に47歳で亡くなってるはず。『デスノート』のLが死んだのは2005年、「少年ジャンプ」連載でのことだ。ありえない! 実は、これは私の小説「TRY48」の中の話でした。文芸誌「新潮」に連載中…。
小説の執筆経緯についてはこのnoteの初回に記しました。
あ、小説「TRY48」の第1章がこちらで全文無料公開されてます→
ぜひ、ご一読を。かつてのカリスマ寺山修司が今も生きていて、80歳代半ばで、アイドルグループをプロデュースする! という内容。これが創刊117年の老舗の純文学雑誌「新潮」に掲載されると、けっこうな反響を呼びました。
で、同誌の2022年1月号に掲載の「TRY48」第2章が<寺山修司、『デスノート』のLの葬式を開く>というわけです。寺山といえば、1970年に漫画『あしたのジョー』の力石徹の葬式を主宰したことが一つの伝説となっています。寺山が長く生きていたら、『デスノート』のLの葬式を開いたんじゃないか? もしかしたら、ありえたかもしれない偽の歴史を「偽史」と言いますね。世界的に大ヒットした映画『フォレスト・ガンプ』がそうでした。
ガンプという不思議な男の一代記。架空の人物を通して壮大なアメリカの「偽史」を描いていました。たとえばガンプはケネディ大統領と会見している!
子供時代にプレスリーと会ったり、ジョン・レノンと一緒にテレビに出たりもしました。そういや、ウディ・アレンの『カメレオンマン』という映画があって、そっちはもっとラディカルです。
ウディがカメレオンマン=変身する男に扮するんですが、全編が実在の記録映像と偽の映像のコラージュでできている。ものすごく凝っていて、爆笑ものです。ああ、こういうのを小説でやってみたいなあ、と思いました。
寺山修司は1983年に亡くなり、4年後に『朝まで生テレビ』が放送開始された。司会の田原総一朗もパネラーの大島渚や野坂昭如も寺山と同世代で、交流がありました。おまけに寺山は猛烈に口が達者で討論が大得意だった。ああ、あともう少し生き延びていれば『朝まで生テレビ』に出たのは確実で、朝ナマ文化人として新たな脚光を浴びたはずなのに…。そこで私の小説では『朝まで生テレビ』のスタジオで大島渚と野坂昭如のあいだに座る寺山修司が映り、座を奪う発言をします。そう、『フォレスト・ガンプ』や『カメレオンマン』の手法と同様ですね。
あ、YouTubeにこんな映像が上がってました。
そう、伝説の野坂昭如vs大島渚の殴り合い騒動です。ここにも寺山修司を登場させたい。野坂と大島のはざまに現れて二人のバトルに参加させたい…。こういうのを思いついて、夢中で執筆している時がもっとも楽しい、小説を書く至福の楽しみですね。
で、さて第2章のクライマックスは2005年2月に開かれた『デスノート』のLの葬式の場面です。当時、寺山は69歳でした。前回に続いて、また我が友ホリーニョがいち早く小説を読んで、ファンアート…テラヤマ絵画、略して「テラ絵」を描いてくれました。素晴らしい。ありがとう、ホリーニョ❗️🤣
『デスノート』のLの葬式とは、いかなるものか? もう一つの世界で(別の「世界線」って言うんでしたっけ?)…生き延びた寺山修司は、いったいどうなるのか? 「新潮」2022年1月号、掲載の「TRY48」第2章、ぜひ、ご一読ください!
(追記)「TRY48」第2章が全文無料公開されました! こちらから読めます。ぜひ、ご一読を😄
https://www.shinchosha.co.jp/shincho/special/try48/no_02-1.html