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八画文化会館の「矛盾不純」に黙っちゃいられない。
20年が経ったのだ。
愛知県漂流の立ち上げは、1997年秋だとされている。学生時代からの仲間が集まって、編集集団を作ったのがはじまりだ。
学生時代に、家族よりも長く同じ場所にいて、しゃべり、笑い、同じ時を過ごした仲間が、大学を卒業し、社会人となり、それぞれの生活がはじまると、やがて、世間の誰もがそうであるように、いつかはバラバラになっていく。
人は、それを懐かしみ、失いたくない貴重な宝物のように、ずっと手元に残しておきたいと思うものである。
そういう意味で、愛知県漂流は「青春のかたまり」と呼べる雑誌だった。
もしかしたら、彼らはまだ、青春熱の只中にいて、懐かしむ余裕はなかったのかもしれない。だからこそ、雑誌に勢いがあった。同じものをみて、同じようにおもしろいと感じた編集部のノリが、そのまま紙面に出ていた。
しかし、それは、今から思えば、離れて行く仲間と自らのココロに必死で抵抗するもがきと焦りが、爆発的なエネルギーとなって、紙面からあふれた、とも言える。
青春の熱は、他者に影響を与え、感染する。
私も愛知県漂流の熱にやられたひとりだ。なのに、八画文化会館の「矛盾不純」には、私の知らない愛知県漂流が書かれていた。編集部解散末期とその後の話。知らなかった。私は、立ち上げ当時の源流も知らない。結局、私は、愛知県漂流の何もわかっていなかった。それが、くやしい。
八画文化会館の「矛盾不純」に黙っちゃいられない。
これから、私の知っている「愛知県漂流」を できうる限り書き綴って行きたい。
つづく