「読んで楽しい論文」の書き方
編集履歴
- 2023.8.23 附録のリンク集に暦本先生、伊藤先生のマニュアルを追加。その他、若干の修正
はじめに
この文章は,これから初めて論文を書く初学者や,何度論文を書いても論文執筆が楽しくないという人に向けた記事です.トップ会議に通すための論文執筆テクニックといった記事はちらほら見かけるのですが,どんなに良い論文を書いても落ちるときは落ちるのでRejectされたり査読や指導教員に論文の内容が否定されると虚無な気持ちになります.目標を査読者や指導教員の攻略ではなく,論文が通ろうが通るまいが,読んだ人に「面白かった!」といってもらうことを目指しませんか?良いものを作る作業は楽しいはずです.この記事は良い論文とは読んで楽しい論文であると位置づけ,そのための大原則についてを今の自分の理解に基づいて紹介します.
(この記事は情報学分野の論文に特化している可能性がありますので他分野の方はご注意ください).
ちなみに誰が書いた記事かというと私のCVはこちらです
あと,日本人は一分で600文字読めるらしく,この記事は多分読むのに8分くらいかかります.長くてすみません…
読んだ論文を楽しいと思ってもらえることの効果
まず,あなたの論文を読み始めた人が100人いたとしましょう.100人のうち,何人があなたの論文を最後まで読んでくれるでしょうか?専門的な内容だから,どう逆立ちしても理解できない人,つまみ食い的に読みに来て自分の研究と関係ないとわかるや離れる人,読み始めてみたけど途中で寝てしまった人,色々な理由で最後までたどり着かないことがあります.仮に,あなたの論文にアクセスしてくれた人のうち10%(10人/100人)が最後まで読んでくれたとしましょう.あなたの研究の素晴らしさを100とすると,読者からの研究の評価はあっというまに100x10%=10になってしまいます.読んで楽しい論文は,あなたの研究の価値を伝えるのに役に立ちます.もっというと,あなたが将来研究者じゃなくなったときでも,あなたが作った技術を他の人に使ってもらうとき,ドキュメントが楽しくなければ,その技術の他者からの評価はやはり10%にグレードダウンしてしまいます.読んで楽しい技術文書を書く能力は研究者・エンジニアにとって,自分がやったことを100%評価してもらうための重要な能力です.他の技術者を楽しませる論文を書くスキルを鍛えましょう!
読者に読み進んでもらうために道路を平らな直線にする.
あなたの論文を手にとった読者はその時点で少しは論文を読もうとしてくれています.そこから最後まで読者をゴールに導くために必要なものの一つは一本道の平らな道路(=読みやすさ)です.読みやすさとは認知負荷の最小化です.理解するために前後をいったり来たりしなければならない文章は認知負荷が高いです.必ず,前から後ろへ順番に読めば手戻りなく話がわかるようにしましょう.説明すべき要素がたくさんあるときに,どういう順番に説明するのかを決めることを私はSerialize(シリアル化)と読んでいます.あなたの研究を構成する多様な要素が織りなす複雑な構造を一次元配列に変えるのが論文執筆です.研究要素を最適な順番に並べる必要があります.この記事の前提に従えば,最適な順番とは読者がもっとも楽しく論文を読める順番です.「楽しい」とはわかりやすくて,読んだ後に「ためになった」と感じてもらえる論文だと思います.あなたの論文の一番美味しいところを一番楽しく味わってもらえるようにしっかり順序を決めましょう,なお,一般的には,この順序決めは論文の章立てや段落のキーセンテンス(トピックセンテンス)を決めていく骨子作成の段階で行います.過去の研究を参考にしながら,自分の研究の新規性が明確に伝わるよう頭を捻りましょう!
安心して詳細を忘れられるように構造化する。
コンピュータは,どんなに複雑でも,前に書いてあった文字列を全て記憶しておくことができます.ですからどんなに複雑なプログラムでも,文法ミスさえなければ前から後ろで順にスキャンすることでコンパイルや実行をすることができてしまいます.しかし,人間はコンピュータと違って,このような力ずくで記憶する処理が苦手です.頭の片隅に覚えて置かなければならないこと(脳内stack)の量が増えると認知負荷を増大させます.前の部分を読んで納得したら結論だけ覚えて,その結論に至るロジックは安心して忘れられるようにすることで脳内stackを最小に抑えるように文章を構造化しましょう.一般的には,これもSerializeのときに行います.またどうしても複数の要素を脳内にstackする必要がある場合はキーワード化したり,(a), (b), (c)…と記号を振ったり,節や章の冒頭でN個の話が並列になることを明示的に伝え,できるだけ覚えて置かなければならない要素がわかりやすくなるようにします.また,それでも忘れてしまった場合に備え,キーワードを太字にしたり,箇条書きにしたり,節タイトルの直後に書いておくことで,後から前方参照しやすくします.
Serializeも構造化も共通する目標は「前から後ろに読めばわかる」ように配置し,その際に「納得したら忘れて良い」状況をうまく作ることにあります.この2つを意識して、論文ができるだけ真っ直ぐで平らな道路となるよう努力しましょう.
読み進めるための気持ちを高める給油地を作る
文章を読むにはエネルギーが必要です.複雑なことを説明しようとするときは尚更です.話が複雑になる部分は多くの場合,どうやって実現するか,つまりHowの部分です.今まで関わってきた学生は(自分も含めて)100%の確率で最初はHowばかり説明する論文を書いてしまいます.自分がエンジニアリングした部分はみんなにわかって欲しいという気持ちはよく理解できます.やった当人ならそこは非常に詳しく書けるので筆が進むのもよくわかります.しかし,なぜその方法を選択したのか(Why)を読者に伝えずにHowばかり書くと読者はなぜそのややこしい話を理解しなければならないのかわからず,読み進められなくなります.また,その方法を通して何をしたいのか(What)を明記しないと,読者はそのHowの中のどこが重要なのかを読み取れず,説明全体を記憶して次の節へ進まなければならないため認知負荷を著しく増大させます.Howを説明したければ,絶対にその手前でWhyとWhatを明確に伝えましょう.Howを書く筆が進んでいるときは要注意です.読者がガス欠にならないよううまくWhy, Whatで読み手をモチベートしましょう.
ちなみに論文は文学作品ではないため「明確に伝える」というのは行間を読めるようにすることではなく,文字通り「〇〇という理由で✕✕をするべきだ」と書くことです.小説などで行間を読ませるのには読者の想像力を掻き立てるという狙いがあります.しかし,論文において多様な専門性を持つ読者の想像力を刺激するのは悪手です.読者の想像からは出てくるものはあなたが行間を通じて伝えようとしたものとは似ても似つかないものになるでしょう.行間は使わず,文として明記する方が遥かに簡単に読者に同じことを想像させられます.
嘘・大げさ・紛らわしい表現を避けつつ,期待させる.
読者の読み進める気持ちを高めるためについつい自分の研究内容を実際より誇張して,やっていないことまで解決したかのように書いてしまうことがよくあります.これはoverclaimingなどと呼ばれます.overclaimingをすると目の肥えた読者は「いっていることとやっていること」の違いに気が付きます.この論文はすごいことをやろうとしている!と思って読み進めたのに,実際にはそれが実現されていなかったとき,読者は著者に裏切られたと感じてしまい,まったく楽しくなくなってしまいます.あなたの研究の素晴らしさは絶対にアピールする必要があります.読者を裏切らないギリギリの範囲で素晴らしさをアピールするために論文の導入部(1節やabstract)は頭を使う必要があります.To be a Good CitizensというCVPR2018で行われたWorkshopの資料では,2節以降を執筆するのに使った時間と同じだけ,1節(Introduction)に時間をかけよう!と書かれています.1節は最大の給油ポイントです.ここで面白い論文と思ってもらえなければ2節以降は読まれません.1節で面白いと思ってもらう.2節以降では1節の記述が嘘・大げさ・紛らわしいものではないことを徹底的に検証するという位置づけで論文を仕上げましょう.
濃密で刺激的にする.
どんなに平坦で長い道でも,どんなに燃料を追加しても,不必要に長い文章は読み手を眠たくします.図や表も同じです.単位面積あたりの情報量を最大にして,読み手に与える刺激を高めましょう.余計な装飾や冗長な英語表現は避けて,Factベースで議論を展開し,単刀直入に,より短い表現で,しかし作法は完璧に守って論文を執筆しましょう.これは1ページで査読者の質問全てに回答をしなければならないrebuttalなどで特に必要な能力ですなので,Rebuttalの書き方を解説したこちらの資料にもヒントがたくさんあります.Rebuttalの知恵を普段の論文を書く時にも反映させましょう.
つまらない研究は残念ながらつまらない.面白い研究をしよう.
包み隠さずにいうと,つまらない研究というのは良い書き方をして論文を仕上げてもあまり楽しい論文にはなりません.できればあなたの周囲にいる「最新の技術やトレンドに一番くわしい人」が面白いといってくれそうなテーマや新規性を創出するように頑張りましょう.そのための一番良い方法は,その人と日頃から議論することです.良い論文は良い研究がないと書けません.少なくともテーマが面白ければ導入部で読者に読み進めたい!という気持ちを給油することができるはずです.そして,新規性の部分でも面白い要素があれば,導入部より後ろの部分でも同様に読者をモチベートできるでしょう.
事前に他人の目を通してもらう
できれば知らない人の目に晒す前に知り合いに書いた文章をチェックしてもらいましょう.わからなくなったり面白くなくなった部分を教えてもらうだけでも役に立つと思います.また,普通は2,3人にやってもらえれば十分だと思いますが,できれば書いた文章の想定読者に近い属性の人が良いでしょう.読んでもらったら十分にお礼をしましょう.
おわりに
何かを評価することは「しようとしていることの価値」×「それがどれくらい実現できているか(達成率)」を測ることだと考えています.これは学術論文に限らず,世の中の全ての評価がそうだと思っています.例えば,クラウディオ・モンテヴェルディ(1600年頃にイタリアで活躍した作曲家)の音楽の演奏会を想像してください.演奏者は古楽器を使ってモンテヴェルディが生きた当時の音楽を聴衆に聞いて楽しんでもらいたいと思い,演奏をしています.「しようとしていること」は「当時の音楽を楽しむ」なわけです.仮に100%当時の音楽が再現できた(達成率100%)としましょう.まず,現代において400年前の演奏の完全再現は離れ業でしょう(なんといっても誰も本物を聞いたことがないのですから!)しかし,期待に反して,評論家や聴衆は「なんだかいつも聞いている音楽より迫力がなかった」といった物足りなさを感じるかもしれません.何が悪かったのでしょうか?それは演奏者が聴衆にそもそも「しようとしていること」が何かや「それはどうなっていたら達成できているのか」を十分に伝えられていなかったからでしょう.例えば演奏会の前に下記のような内容を周知した場合を考えてください.
この文章を読んでなお演奏の迫力が足りなかったという評論家(査読者)は人の話を聞かない変な人になるし,それでも迫力が欲しかったという聴衆(一般読者)は新しい楽しみを見いだせない頭の固い人になるでしょう.(あるいは当時の音楽の完全再現というテーマが魅力的でなかったのかもしれませんが…).もちろん,この文章が単に演奏会のチラシやパンフレットにかかれていただけの場合と,演奏を始める前に指揮者の話として伝えられている場合でも違います.通奏低音とは何か,トリルとはなにか,ドレミファソラシドを当時の運指で弾くとどうなるのか,重要な項目についてはデモンストレーションを交えながら解説をするステージが先立っても良いでしょう.演奏だけからでは伝わらないことがあるのと同様に,良い研究をするだけでは伝わらないことがあります.そして,相手への伝え方次第で大事な説明が目に入ったり,読み飛ばされたりします.大事なことは重要であると明記し,できればデモンストレーションで誰でも体感できるようにすることです.
さて,翻って,あなたの研究・論文は
何をしようとしているのかがその価値と共に示されているでしょうか?(1節で伝えることがこれです)
それはどれくらい達成できたでしょうか?(2節以降全てを使って検証しましょう)
どれくらい伝わるでしょうか?(最後まで読んでもらえるよう,楽しい論文にしましょう)
この記事を通して,読んで楽しい論文を書く技術を高めようと思うきっかけになれば幸いです.
附録:実践的な論文執筆テクニックのリンク集
以下に,実際のテクニックとして役に立つ情報が書かれたURLを列挙するので,ぜひ参考にしてみてください.
パラグラフ・ライティング 本記事は実践方法は語っていません.実践方法の大半はこの記事を読むことで身につくと思います.
How to Write a Good Research Paper [slides] [video] (CVPR2018のworkshop "Good Citizen of CVPR"におけるBill Freeman先生の講演(英語だが必見)
How we write rebuttals(英語)Rebuttalのやり方についてよくまとまっているのでRebuttal時におすすめ.実はそもそもRebuttal前にこれらの回答が論文に載っているべきと考えると論文執筆時に想定コメントに対してこれらの回答が最初から書いてある方が良い.その意味ではRebuttalだけでなく,論文執筆時にもおすすめ.
骨子の作り方(=Serializeの仕方)←良記事募集中です…パラグラフ・ライティングより大局的なレベルでの流れの作り方の解説が見当たらない.
科学技術論文の書き方(通称:ボスの頭痛薬) ちょっと情報学分野の論文執筆スタイルが近年くだけて来てしまっていて,ここまで格調高い書き方は今風ではないという意見もあるかもしれませんが,本来はこういうカチッとしたものが論文として好まれるということを確認してほしいです.
論文執筆の作法-正しい論文の書き方- 本当に初めて論文を書く人は目を通しましょう!
初めての論文執筆 by お茶大・伊藤先生
松尾ぐみの論文の書き方 査読を通すという観点がやはり欲しいという人向けの記事です.本質的には本記事と矛盾しません(目指すところが違うだけ).
松尾組の論文の書き方:英語論文 上記資料と合わせて,特に英語を執筆するときの参考資料.
参考文献の書き方 魂は細部にやどります.参考文献がきっちりしている論文はそれだけで美しいです.逆にここが雑だと査読も研究内容も全て雑に見えてしまいます.参考文献は美しく保ちましょう.
わかりやすいスライドデザイン(書籍) 論文ではなくスライドデザインの本です.スライドも基本的な方針は聞いて楽しい発表をすることを目指します.論文との違いはテキストを図表の中に埋め込むことで論文よりさらに認知負荷を下げることができる点にあります(よくテキストと図が別れているスライドが多用されますが,図とテキストは一つ一つ対応させて,テキストを図に埋め込むように配置しましょう!).もちろん,論文の中にも図表はあり,こういったデザインの書籍が図表の作成の参考になります.
What Makes A Good Research Paper? Making A Paper Look Right -- Gestalt (英語) これは採録されやすい論文は見た目がキレイである,という残念な話ではあります.ただ,実際,自分が読むなら洗練されたデザインの論文を読みたいでしょうし,そういう論文を量産できるスキルが身についたら嬉しいですよね(自分にはなかなかセンスがない…).兎にも角にも,一度くらいは聞いておいた方が良いかもしれないPaper Gestaltのお話です.