
クイズ王伊沢拓司くんってなーんか恥ずかしくないですか?
某アタマのいい人が、今は検索で出てくるような知識は全く覚える必要がないなどといっていたが、新しい思いつきというのはある程度の知識の蓄積があってこその「脳内ケミストリー」から起こるものだと思う。
いくら電卓があるといっても九九ぐらいは覚えてるほうが都合がいいのではないだろうか。検索も電卓も作業だ。作業に追われた状況ではひらめきも起きにくいのではないか。
さて、そういう理屈でいくと、クイズ王伊沢くんの膨大な知識は新たな生命が生まれるためのあらゆる元素を含んだ原始の海のようなものかもしれないと思い、何かやらかしてくれるのではないかと期待していたが、どうやらそんなこともなさそうだ。
彼の知識は単純にインプットとアウトプットをしているだけで相互に有機的にリンクしているわけではないようだ。
「●●にちなんだ雑学」といわれれば秒速で披露できるかもしれないが、何か新しいものを生み出すなんてことは到底無理なはなし。
そもそもクイズプレイヤーとはそういうものだといわれればそうなのかもしれないが、だとすると彼のあの「全能感」に満ちた態度はどこからくるのだろう。
運転免許試験の選択肢にケチをつけていたが、別に運転免許試験の出題は「論理的」に間違ってはいないと思う。
彼は不定期で関西テレビの「土曜の朝はナニする」の中の「ひらめきクエスト」というコーナーに出演しているが、これは店や工場などをたずね、そこで現場のスタッフや社員が出すクイズに答えるというもの。
おしゃれ生活雑貨のフランフランでのロケのこと。今度、新発売されるお皿は「あることがしやすい」設計なのですが、それは何でしょうという出題。
答えは内側の曲線が工夫されているので食物を…
「食べこぼしなくスプーンですくいやすい」
…なのだが、伊沢くんの解答は「電子レンジ対応」で不正解。
そもそも伊沢くんが意気揚々と「電子レンジ対応」とフリップをかかげた瞬間、現場もVを見るスタジオも失笑を通り越して悲鳴だったのだが、彼は自己の「非常識さ」が露呈してしまったことに関してはまるで意に介してないようだった。
芸術家とかスポー選手といった人種が庶民の日常の事柄について欠落しているのならまだわかるが、女性にふられた直後もなお、今後クイズに出るかもしれないからと花火大会の観覧を続行するような姿勢のクイズプレイヤーがあたりまえの常識を知らないというのはあり得ないハナシだ。
そしてなによりかれが重視する論理的という意味でも彼は空振っていた。「~しやすい」と聞かれているのだから、それに対応した形式にしなければにらないはずだ。「電子レンジに対応しやすい」では文が成り立たない。
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— 愛の聖漣舎~アイノセイレンシャ (@seirensha) August 28, 2024
論理の欠落ということでいうと、
彼は以前、月1のベースでTBSラジオ赤江珠緒たまむすびの中の「そんなことよりクイズです」というコーナーを持っていた。
2020年の11月11日の回は公開直前の「きんんしゃトーマス」の劇場版新作映画についてトークをしていたのだが、いちいちケチをつけてた。新キャラクターである日本からきた超特急のケンジについてデザインがへん日本人顔じゃないパンタグラフがない等々。
ケンジにパンタグラフはある。
おそらくはいわゆる企業案件というやつでペラ1枚の資料かなんかを渡されてそれを見ながらしゃべった結果なのかもしれないが、その時点で立派な専用webサイトが開設されていたのだから、礼儀として数分の予告編映像くらいは見ておくべきだったのではないのか?
というか予告編など見なくてもケンジのパンタグラフにはすぐ気づけたはずだ。
彼はケンジのモチーフとなった新幹線0系の連結器のフタの部分はハナであるべきで、そこを顔にしたデザインは違和感があるなどと持論を展開。
しかしこのデザインはトーマスその他の仲間たちと同じメソッドでデザインされており作品の一貫性を維持するという意味では大正解なデザインだ。きみは論理的なメソッドが好きだったはずではないか。
さらにケンジの顔が日本人に見えないなどという。私はちゃんとアジア人顔として書き分けられているように見えた。あの大谷くんのバブルへッド人形は似てないことも多いが、その場合でもちゃんとアジア人の顔にはなっている。ケンジの顔は少なくともあのバブルへッドと同等のクオリティはある。クイズ王の言う日本人顔というのはどんなイメージなのだろうか?
なんくせつけたいだけなのではないだろうか。彼のトークは終始どこか小バカにした口調だ。
クイズ番組の問題を考える作家は元々はクイズ王なのだと誇らしげに語っていたが、けっこう酷いミスに出くわすことがある。
2021年11月22日の「ネプリーグ」でのこと。
「光の三原色」は赤と緑と何?
という問題に
長嶋一茂氏が
「黄色」と答えたので
ひっかかったなぁと思って見ていたら
ピンポーン♪
正しくは青なのに。
逆に画素と答えても、ピクセルと答えてもいいような問題で解答者がピクセルと答えたら不正解にされてしまうなんてこともあった。今思えば彼らの知識が有機的にリンクしていない証左ともいうべき出来事だった。
知識そのものの正確性を扱う職業で人間だから間違いはあるなどと開き直るのはちがう。上級国民なんて言葉があったが、彼らは自分のことを上級国民だと思っているのかもしれない。そして国民はなめられている。
某バラエティ番組で京大の有名な寮が出てきて、そこの主みたいな学生がおおらかな校風がノーベル賞受賞者を生むのだのだと留年自慢をしていた。
国公立大学の学生がカメラの前で、つまり一般国民にむけて留年自慢をするのはどうかと思うが、上級国民の皆さまは一般人は人柱になれと思っているのかもしれない。
伊沢君のような人物がメディアに出続けているということは需要があるのだろうが、国民はドMの集まりか?
いや、一時期、明らかに好感度の低い女性タレントがテレビに出続けていたことがあったが、あれはウラになにかしらのギョーカイの力学が働いていたんだと思う。むしろ伊沢君の場合もそれであってくれ。
パンタグラフの件もそうだが、彼の見積もる「世間」のレベルは恐ろしく低いようだ。一方で彼は何かを生み出してきただろうか?
…とりあえず伊沢君は哲学からは一番遠いところにいると思う。