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SNSは人を殺すかもしれないがマスメディアは実際に何人も殺してきた~atフワやす子ケース
某放送作家さんは「ネットは人を殺せるから重罪にしろ」などと言っていたが、こうした問題は対称形だ。
いまや危ない淵にいるのは誰なのか?ということ。
「テラスハウス」から何も学んでいないのはギョーカイ人とか著名人のほうだ。
自分も加担していたと反省の弁をした著名人が作家の朝井リョウ氏しかいなかったのがこの国の意識の低さ。もっといえばその朝井リョウ氏にしてもその後何かアクションを起こしたというハナシが聞こえてこないので単なる「アタマのいい人大喜利」だったのかもしれない。だとしたら残念、というか危うい。
リスクマネージメントの専門家みたいな人が謝罪文がなってないとか、そもそも最初の書き込み自体に人間性を疑うなどと首をつっこんでいたが、とんちんかんの極み。
己がカバーできる範囲を把握しているのが専門家だとすれば、テレビに出ているほとんどの専門家は専門家にあらず。弁護士と医者のあの無根拠な万能感とそれを妄信する制作スタッフには恐怖するおぼえる。
この問題を正しく理解するには芸人のボキャブラリーと芸能界の倫理観を理解する必要がある。もちろんこれが「vs一般社会」という構図だったなら一般常識が優先されるのは言うまでもない。
芸人のボキャブラリーといっても、ギョーカイ用語という次元のはなしでもなく、その多くはダウンタウンの全国区上陸以後にもたらされた方言(関西弁)マターといった次元の問題だ。
千原ジュニアは関西では挨拶のように使っていた「死ね」が使ってはいけなくなったらしいなどと残念がっていた。挨拶ってマジかよと思って「関西弁 死ね」で検索してみたら、出るわ出るわ、関西人らしき方々の関西弁講座のようなサイト。「死ねはいわれてもあまり気にしなくていいと思いますよ」などという、その説明自体がヤベーよ思ってしまうような記述も。
千原ジュニアの説明を聞いて以降、「死ね」に敏感になってテレビを視聴するようになったんだけど令和の2024年になっても「死ね」を連発する関西の漫才師がいた。
やす子さんにしたってなかなか下品なボキャブラリーじゃないですか?「クソつまんねー」と芸人以外のタレントに対しても(ロケ中の一般人に対しても)言ってるのよく見かけますよ。
前にも書いた国本梨紗さんとのラップバトル。勝ったら恐竜博の公式サポーターを譲ってねというよくあるバラエティ的な茶番。
「この恐竜博のあいさつでも1つもボケけれてないくらい、やす子さんはスケジュールが忙しすぎて相当御疲れのようなので、ここはわたしにかわって」という国本さんに対して
「私はお笑いだけでも儲けててウハウハ、おまえはスケジュールスカスカ、おまえはフジテレビのこの深夜番組でしか見たことない、日本テレビでいっしょになったときは全然活躍できてなかった」
という返し。
素朴なルックスなのに毒を吐くというギャップを売り物にする芸風なのだろうか。お笑いですでに充分もうけてるという主張はこの役目は他人に譲れないという理由づけとしてはむしろ真逆の状況なので、ラップの返しとしてもお笑いとしても成立しておらず何より感じ悪っという印象だった。
なのでフワちゃんとやす子の両者が同じくらい苦手な私でも、今回の騒ぎは、親子喧嘩の最中に通行人をみかけ「私は虐待されてまーす!」と急に叫んでいるような、あるいは芸人界の作法として一度はとりあえは受けなければならない「プロレス」という投げられた球を無視してひょいとよけてしまったように見えた。その球は一般社会に転がっていった。
フワちゃんのラジオ番組を降板に対して、岡村隆史氏の一件と比べてフェアじゃないという声があがっているが、結局これは無慈悲な人気投票の結果なのだ。岡村氏の一件のときネットをみていたら女性からの擁護が予想外に多いので驚いたが、それは日本の現状を反映しているとも思った。浮気は許せないけど風俗は許せるなどというラランドサーヤもびっくりの、現実を粘膜レベルで理解できない人が、「職業に貴賎はない」というこれまた概念レベルのプラカードをかざして正義の側に立っているかのような錯覚に陥っているのだろう。
そうした比較だったら、そもそも大活躍中の粗品氏はどうか?身長という身体的なことを揶揄するのは誰が相手でも許されない。
ハゲいじり、ブスいじりなどがなぜいけないかといえば同じ属性の人々を傷つけることになるからだ。
「(爆笑)田中はコンプラでチビという武器を奪われた」などと太田光代社長は嘆いていたが、超メジャーな漫才師を抱える超メジャーな芸能事務所の社長がこのありさまという惨憺たる現状。
「かつらはゆるさない」などと叫んでいた、ビートたけし氏の「かつらKGB」のDNAだろうか。テリー伊藤氏はこの「かつらKGB」についてこの2024年になってもラジオでふれていたが、さすがに令和の今からみたら黒歴史のように振り返ると思いきや、古き良きというか、たけしの天才性のようなニュアンスで語っていたので怖くなった。
一方ではヘアドネーションをしている小学生もいるというのに。こういう話題持ちだすと「子供はバカじゃないからわかってるよ」と遠い目で言いだすやつがいる。日本人が全員、お笑いファンだと思うなよ。お笑いファンだとしても笑えないものは笑えない。そもそもそんなものを武器にするなよ。
もうひとついうなら、フワちゃんの件は「芸人vs芸人」の案件だ。某師匠筋なら「やす子、他の返しはなかったんか?」と言いそうだ。とりあえずワンターン目は芸人的な返しをしてみて、果たしてこれはよくいう"プロレス"を仕掛けてきているのか?と間合いを見てみてもよかったのではないか?
それとも五輪は崇高なものだからすべてのお笑いモードは自動的に停止?
岡村氏や粗品氏なんかよりもっとフェアじゃない案件がある。
それは成田悠輔氏。彼はかつて「高齢者は老害化する前に集団自決するべき」などと発言し批判されサントリーは広告起用を解除したが、TBSやフジテレビはその後も彼を使い続けて、財務省や農水省も広報活動に使っていた。
ACは最近まであってはならない世界の現状として児童婚に関する啓発CMを放送していたが、その児童婚体験を武勇伝のように語っていた某登山家は今もテレビに出続けている。しかも娘まで。娘は別人格だから言うなというかもしれないが「セット売り」や「七光り」の手法に依存している場合はその限りではないと思う。
ホームレスは災害の避難所には来てほしくないなどと言っていたおぎやはぎは、波風すら起きなかった。
もうひとつ気になったのは、「ため口」を注意しておくべきだったという意見があるということに対して、あれはキャラだからそれをみんなでむしろ活かすのが芸能界…みたいなこと言いながらハナで笑っていた「ワイドナショー」の出演者たちの態度。
芸人ルール、バラエティルールといったギョーカイルールを当然のもののように視聴者に押し付けてきたハレーションの結果が今回の気持ち悪い盛り上がりの原因だというのに。
そもそも「ため口だめなんて誰が言ってるんですか?」「ホンコンさんです」と最後に笑っていたが、芸能界の中でコンセンサスのとれてない事項ということだろう。
その状況でアンミカというフワちゃんのお目付け役みたいな立ち位置を自称する人が「本当に今回のことは、強く相手を傷つける想像力の足りない稚拙すぎる言動です」などと言っている。
ここだけ見れば常識人の物言いだけど日常的に「ため口キャラ」を認めていて、「死ね」はあいさつ代わりという文化をもつ「関西人」ということを考えると偽善、或いは先手を打った保身にしかみえない。つまりこの方はフワちゃんを切り捨てているという無慈悲な人物なのだ