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人の行く裏に花道ありという話

このことわざを私は天邪鬼な考え方だなと思っていた。
しかし普通ちょっと躊躇うことをあえてしてみることで、予想外に良いことがあったり楽しいと思うことがあった。
それはすごく大きなことでもなく、普段行かないようなところに行って新しい学びや知人を得たり、英語話者しかいないところに行って予想より楽しい時間を過ごせたりという些細なことだ。

なぜそのように感じるのか少し突き詰めて考えてみようと思う。

たくさんの人がやっていることは過当競争になりがち

多くの人があまり躊躇わずにできることは競争率が高くなりやすい。
例えばマッチングアプリをするでだったり、安定した企業に長く勤めるであったり、いつものメンバーで飲み会をするなどだ。
これらは必ずしも簡単とは限らないし、楽しいこともある。
とはいえ特に供給が限られているものは、勝者総取りになりやすい。
そして競争率も高い。
有名企業に入社するにはその過程で、有能な多くの候補者と戦う必要がある。
もちろん優秀な人はそこで勝てば良いのだが、そうではない人もいる。
ある程度やった上でそこの競争に勝てるかを見極め、時には諦めることも必要だろう。

何回もやっていることは結果がある程度見えている

高校時代友達とカラオケに行くのは楽しかったが、大人になると意外とそうでもない。
大学時代友達とオールするのは楽しかったが、最近はそうでもない。
これは私自身の老いに起因するところも大きいが、それだけだとは思わない。
人間は少なくともある程度の年齢までは、新しい物事に刺激を感じ、慣れたものからは最初ほどの喜びを感じられなくなる。
ビールは一口目が最も美味しいのは多くの人に普遍的な経験だろう。
よって結果はともかく普段のルーティーンを破ることそれ自体に楽しさがあると私は思う。
国内旅行ばかりであったら、海外に行ってみるのも良いし、昔からの友達とばかり遊んでいるのに少し飽きたら新しい人と話してみるのも良い。
また自分が苦手だと思っていることをあえてやってみるのも良いだろう。
意外とできるかもしれないし、やっぱり自分には向いていないとなるかもしれない。
新しいことをやり過ぎるのも疲れるが、無理ない範囲で生活に新しいことを取り入れるのは退屈からの逃避に有効であろう。

とはいえ人がやらないことばかりをやっていて成功できるわけでもない

もちろん人がやらないことは単にメリットがないからやらないということもある。
一般的にはその方が多いだろう。
街中で突然叫びだす人はなかなかいないが、やっても無視されるか警察のお世話になるかでリターンは少ない。
これは極端な例だが、ある程度生活に余裕がある上でその残りを使って何かしらの新しいことをしてみるのが良さそうだ。
そこで大切にするのは自分の興味関心であり、あたり周囲の人の意見に左右されすぎないというのが丁度よい塩梅かもしれない。

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