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きものリアルクローズ 3

 それでも私は半衿を縫う

 自他共に認める不器用です。針を持てば笑ってしまうような運針テク。それでも、半衿はなんとか自分で縫っています。衿芯には三河芯を縫い付けます。

 最初は、ジッパーで半衿をつける長襦袢や、半衿が独立しているタイプなど、いわゆる〝うそつき〟でしのいでいました。仕事を通じて、プラスチック芯を入れる衿つけを教わりもしました。その頃は、衿つけの良し悪し以前に、着付けがなってなかったので、〝うそ〟ついていても、気になりませんでしたが、次第に衿もとに違和感を感じるようになっていました。いや、正確に言えば、衿もとが決まらないのは、長襦袢と半衿に原因があるのではないかと、漠然ではあったけれども感じるようになったのです。

 私が半衿を自分で縫うようになったのは、森田空美先生との出会いからでした。先生は、半衿を自分でつけてこそ、衿もとがおさまるというお考えでした。二人三脚で始めた新雑誌での連載、私はこれまで自己流でやってきたきものへの疑問や悩みを先生にぶつけながら、納得したり、軌道修正したり、新たに大いに学んだりしましたが、衿を自分で縫うことが、実は最大の難関でした。

 衿を縫いつける、と考えただけで体が強張ってしまう。でも、新たに長襦袢をつくり、これまでの〝うそつき〟は処分して、自分を追い詰めました。なかなか思ったようにはいきませんが、ポイントを押さえることで、衿に柔らかさが出せるようになりました。三河芯を使って自分で縫いつける衿は、きものの素材に反発することなく、自然で美しい曲線を描きます。かなり前進できた気分になりました。

 そうなると、俄然人の半衿が気になります。ある時、カジュアルな紬をドレスコードにした集まりがありました。そこで気になってならなかったのが、プラスチック芯を入れた硬い衿もと。そこだけが人工的なのです。特に年配の方だと、肌や体ときものの風合いが馴染んでいるのに、白い衿がピンっとカーブを描いていて、異物感を醸し出しています。

 きものを長く着ているお年寄りが、グズっとした衿もとなのは、肌や体にそぐわしく、感じのいいものです。洋服でも、こなれ感という言葉を使いますが、三河芯を使った半衿は、着慣れた感じへの近道だと思います。

 チクチク縫いながら、時折針先を指に当てて、慌ててバンドエイドを貼りながらも、ようやく私らしい衿もとになってきました。手入れもマメにします。千利休が富豪から大金を渡され、これで何かいい道具を、という依頼に、新品の茶巾をたくさん買って渡したように、消耗品こそ美しく清潔に、ということを、イテテ、耳が痛いなあと思いながら、日々精進しています。


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