スミ濃淡を織物でつくる
和紙に墨汁と筆とで描かれる濃淡には、独特の面白さがあるように感じています。
ちまたにはたくさんの画材がありますが、アクリルガッシュやポスターカラーや油絵具などのように、何度も上から色を塗り重ねられる画材とはその質感が全く違います。
”画材”として同じ目的のために存在しているにもかかわらず、その材質の違いが絵そのものの描き方も変えるし、同じような構図で同じような色味をえらんだとしても、全く異なる二枚の絵が出来上がります。
染料系のインクや水彩絵の具や墨汁なんかは、色が重なるのではなく、上からのせた色は下の色の影響をうけながら、お互いの色がまじりあいながら滲み、
広がっていくような重なりかたをする性質に起因して、その差が生まれてくるように思えます。
墨濃淡の絵を描いている時に一番ハイライトを要する部分については、白紙のままもしくは、本の少しの墨汁に水をたっぷり染ませた筆を紙にすっと引くだけで十分かもしれません。
そして、影の部分に少しづつ墨を落としていくようなイメージです。
失敗してしまったからと言って気楽に直せない、その場の筆の運びでその作品がきまってしまうような、
一期一会のであいのような、
その瞬間の作者の生きざまを写し取ったかのようなレアな何かを感じてしまう作品も少なくありません。
そんな、墨濃淡で描かれた瑞々しい偶発性のなかにある美しさが私はとても好きなのですが、書などにも同じような美を感じてしまいます。
そんな、偶発性に基づいて出来上がる”墨濃淡の美しさ”を織物に写し取ることができないかと、昨年からいくつか制作をしていました。
制作途中のものを以前記事にしていました。
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この果物柄については随分と後手にまわってしまっているのですが、もう少ししたら製織に回る予定でいます。
そしてこちらの『 山 』
こちらも見ていただいた通りの、墨濃淡で描かれた『山』です。
”山” という文字が二つ重なっていて、墨の滲み具合で独特の動きが作りだされています。
この図案をもとにして、イメージを膨らませて図を作り、織りあがったものがこちらです。
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春の霞に浮かび上る山の情景をイメージしたものです。
こちらは、春の霞・桜、夏の緑、秋の紅葉、冬の雪山。
それぞれの情景をイメージして糸を配色してみようかと考えています。
そして、今取り組んでいる新しい図案がこちらの椿の柄です。
椿は、冬になるととても美しい花を咲かせてくれます。
冬の寒さや雪の中に椿の赤の色をみつけると、いつもほっと嬉しくなります。
冷たさの中に血が通うような、そんな身体感覚すら覚えてしまうくらい、
その”赤”の色はいつも印象的にわたしの目の中へと飛び込んできます。
いつも心を和ませてくれる椿の花。
この図案をここ最近は、コチコチと描いているところなのですが、どのような印象の織物に仕上げていくかイメージを膨らませながら描きすすめています。
雪のクッションの上にそっと腰掛けているような、そんなイメージがふっと湧いてはきています。
きっと、試行錯誤しながら出来上がるかとおもうので、
完成は少し先になるかもしれませんが、椿の花が咲くころまでには製織できているように進めていこうと思います。
墨濃淡の絵がイメージ通りに織物へと昇華させられたときは、とても嬉しくてついつい眺めてしまいます。
やはり写真ではその面白さが伝わりにくいのが残念なのですが、
平面に見えてじつは、”立体”であり”三次元に属する”織物ならではの魅力について、言葉を重ねながら伝えようと努力してゆくことも「私のやることなのかしら」と思いはじめた今日この頃です。
フランスからスペインに抜けて進む、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼旅へいつか出たいと思っています。いただいたサポートは旅の足しにさせていただきます。何か響くものがありましたらサポートお願いします♪