『日本』 にほん、を感じるためのガイド
2022年12月30日に初版が出版された、『日本』にほんというタイトルの本。
著者のyujiさんが3年以上の構想を経て紡がれたもの。
日本列島を63のエリアに分けて、そのエリアごとに流れている”バイブス”を鋭敏なアンテナでキャッチされ、豊かな言葉でそのバイブスを書かれています。
その土地に残された歴史や、刻まれたものの説明だけに止まるのでなく、今その場に流れているバイブスそのものが伝わってくる心持ちになるような描かれ方で。
読了後はその地に一度も訪れたことがないにもかかわらず、うっかり、旅したことがある気にすらなってしまいそうです。
ちなみにですが、私が一番よく知っているのは、もちろんのことながら生まれ育った京都市のこと。
私は京都市街地の北の際に暮らしていますが、父は京都府の海沿いの漁村でもある間人(たいざ)生まれで、母は京都府亀岡市生まれであるために、盆や正月には意外と広い京都府内を横断して、丹後や亀岡で過ごし、それぞれの土地にある雰囲気を浴びるように過ごしていました。
だから、京都府の表も裏もよく知っている私です。
著者のyujiさんがその高感度のアンテナでキャッチされた31京都と39丹後・丹波の”バイブス”については、「まさしく、そうなのです!」と何度も頷きたくなりました。
京都というかつての都の華やかさや雅さの裏側にある、歴史が作り出したのかまたは、積み重なった人々の念が重なっているからか、なんなのか?
街中で辻を越したり曲がったり、ふとした瞬間に「あれ?」と感じていたなんだか変な感覚がよくあったのですが、そんなちょっとした違和感などについても書籍の中で触れられていたのが本当に驚きでした。
それは、「霊的に異次元にいくようなフワッとした感覚」と書かれていたのですが、まさにそんな感じ!
歴史的な諸々、老舗の何々、学生の街…etc.
いろんな角度から切り取ることのできる京都なのですが、あの街中を歩いている時に感じていた”バイブス”を言葉にしてもらった爽快感。
そして、私の遺伝子的なルーツでもある丹波・丹後地方についても、つい惹かれて訪れてしまう理由がわかったような気がしました。
父が通っていた小学校の裏山には古墳があり、「小学校の裏庭を掘ったら埴輪が出てきたりした」なんてことを聞いていたのですが、この書籍を読んで、
確かに京の都ができる以前には丹後などの日本海側の方が栄えていたのかもしれないなと、yujiさんの推察・想像もまた妙に腑に落ちてくるのでした。
この、『日本』という本、本当に分厚くて493ページあります。
年末に手元に届いてから、63エリアのバイブスを自分に染み込ませるかのように、ゆっくりゆっくりと読み進めました。
読み進めながら思えてきたのは、各地に息づいているバイブスそのものが、
地球の声なき声のようなものなのかもしれないということです。
人とその土地ごとにあるバイブスが重なり、
人を通してそのバイブスが伝播され混ざり合って、
「日本」という舞台の上で紡がれてきた物語の数々。
この先もまた時代の変化と共に舞台は変われど、
より個々人に合ったバイブスに共振しながら、新たなストーリーが紡がれていくのでしょう。
これまでは、人や物や仕事が集まるところが栄えていましたが、
この先バイブスの共鳴によって人が引き寄せられていくのだとすれば、
この『日本』という本が果たす役割はきっと大きいものになる気がします。
観光ガイドブックには載っていない、地球のバイブスの感じ方、その日本バージョンを手にすることができた私たちは幸いだと思います。
この本を読んで、行きたい場所、暮らしてみたい土地がたくさんできました。
行ってみたかった所へなぜ惹かれているのかも、感覚的につかめるのでなおさら行ってみたくなるのです。
実際に現地に赴いて、バイブスを感じてみる楽しみも増えたので、日本という場所への探求が新たに始まりそうな予感がしています。
noteの上のこちらのマガジン👆で、
#街のバイブスを読んでみた を探すと書籍にまとめられた記事の原型を読むこともできます。