月ごよみ
私が今暮らしているところは京都市内といえど随分北の方で、京都の観光マップにはみだして、のらないくらいのほどよい田舎です。
20時ころになると周辺は真っ暗。車も人通りもほとんどなく、夜中に気配がするのはけもののものばかりです。
家の裏山には竹藪もあるので、シカやイノシシが草をはみに来たり、春のタケノコの生える季節には、シャリシャリという音がすぐ近くから聞こえてきます。
夏はなんといっても虫の声が多いけれど、この辺りは京都のなかでも少し涼しいせいか、ヒグラシの鳴き声がよく聞こえてきます。
秋になるとシカのなく声もよく聞こえるし、近所の友達が飼っているミツバチの巣箱をクマが手形を残して、はちみつごっそり持って行ったこともあるそうで、クマさんも同じ山に暮らしてる様子です。
だから、山に入るときは良く音の通る鈴をつけて入らないと少しこわいくらいです。
他には、走り去るハクビシンや、木に登り実を食べるおさるさん、駐車場の脇で私にみつかったものの逃げ遅れて固まるアナグマ(むじな)やゴミをあさりに来たタヌキなどたまにくるレアキャラもいます。
冬は、京都の町の方でふっていなくても、わが家のあたりでは真っ白になっていることもよくあり、それでもここ数年は、凍てつく日や雪に覆われる日は少なくなってきたように思えます。
そんな自然に恵まれた土地で暮らしていると、星や月がよく見えるものです。
特に家の立地が小高い山の中で、自宅の寝室は南東側にあるので東の窓から月があがり、南の窓の西側へ月が下りていくのもよく見えます。
だからなのか、満月の夜なんかはカーテンが少し空いていると、月の光がまぶしすぎて目を覚ましてしまうこともあるくらいです。
真夜中に目を覚まして、うとうとしながらぼんやり月を眺めることもよくあって、この写真は、眠れない夜に撮った満月の一枚。
そんな明るい夜には、山の獣たちもよく活動している様子で、カサカサという気配をよく感じるものです。
だからなおさらなのか、自分の体内のリズムが月の満ち欠けに呼応しているようで、満月周辺になると夜眠れなくなったり、寝不足からくるものもあるのか、時に感情的になってしまったりします。
自分自身の内面のリズムが、月と呼応している感覚は年を重ねるごとに強く感じてきています。
いつしか、月のリズムをテーマに帯を作りたいと思うようになりました。
月の満ち欠けを絵にうつし取り帯にしたものの写真が、冒頭の一枚。
そして、こちらの写真はその白バージョン。
月への憧れと、月のリズムを俯瞰的にみてモチーフにしたものです。
こちらの写真はわかりづらいかもですが、
上から見たら月の満ち欠けがはっきりと、下からみたら大きな丸い月がはっきりとみえるようになっています。
○○○○◎☆゜○●゜゜
話は少しそれるのですが、
私が前職の仕事(お守りの製造業)から、実家のこの仕事を手伝い始めるときに、星読みをする友達に私のホロスコープを作ってもらい、みてもらったことがありまして。
ちょうどそれが、2016年の初夏の頃。
高齢になってきた両親の介護やみとりまで視野にいれて、実家のこの仕事を手伝うことを決めた時のことでした。本当にこの道を選んでいいのか、決めたものの少し迷っていたので見てもらうことにしたのです。
星読みをしているその子とは、ライブや音楽イベントなどで会って挨拶をかわすほどの間柄で、ほとんどちゃんと喋ったことがありませんでした。
けれど、私のホロスコープをもとに伝えてくれる内容が、ドンピシャすぎて、あれ、私の事なんでそんなに知ってるの?って聞いてしまったくらいでした。しょっちゅうよく遊んでる友達でも、知らなそうなことを語りだすものだからびっくりしたものです。
その友達が新月と満月ごとにブログを更新して、「星読み」をもとに、その新月と満月のおすすめの過ごし方などを記事にしていました。
毎月二度ほど更新されるブログに書かれていることが、その時々の私のリズムにピッタリはまっていて、新月満月が訪れる時々に世界に満ちている波長があるんだっていうことに気づかさせてくれました。
sankalpaの橋 こちらからその友人のプロフィールへ入れます。ご興味ある方は、リンクへ飛んでみてください。
背に月の暦を負うことで、月の力とその時々に世界に満ちた波長を知り、そのリズムとパワーを取り入れながらも、月に振り回されすぎないような関係をつくれるように。
新月満月のリズムのなかで、手にしたものや、気付きを得たもの、大切だとわかったものをしっかりと抱きとめながら、いまより更なる高みを目指しながら成長していけるように。
そんな思いのこめられた帯です。