
会社員から見た鬼殺隊 モヤモヤする4つのこと
お正月休みで「鬼滅の刃」を読みました。
キャラクターが魅力的で面白かったです。
鬼滅は小学生にも人気だそうですが、私も小~中学生の頃、シャーマンキングにドはまりしていたことがあります。今の時代にそのくらいの年齢だったら、ドはまりしていたかもしれない、と思いました。
ただ、現在、アラサー会社員の私もが「鬼滅」を読むと、面白いとも思う反面、納得いかない設定があり、モヤモヤするのでつらつらと書こうと思います。
そのモヤモヤはこれまで読んできた漫画の影響と、現代日本で会社員をしている、という状況があるからだと思うのですが・・・
①鬼殺隊の最終選抜についてのモヤモヤ
鬼狩りの組織「鬼殺隊」に入るには、「最終選別」として、鬼がとじこめられている山で7日間生き残らなくてはいけない、という設定があります。
主人公の炭治郎の代でいうと、20人以上の子供たちが受けて5人しか残らないという過酷さです。
15人以上の子どもたちは鬼に食べられてしまったようなのですが、この試験は私としては不要ではないか、とどうしても思ってしまいました。
「最終選別」の名のとおり、最終までいく前にも選抜があります。
「育手」と呼ばれる師匠の元について、修行をするのです。
主人公の炭治郎の場合は2年くらい修行をしていたかと思います。
他の子どもたちもおそらく長い期間、修行をしていたはずです。
その手間暇をかけた人材を、「鬼がたくさんいる山で7日間生き延びる」という雑な選抜方法で殺してしまうのは非常にもったいないのではないでしょうか。
というか、私の感覚としたら、その15人以上の子供たちがかわいそう過ぎるのです。せめてリタイア制度を作るなり、鬼殺隊の制服と同じ素材の服を貸してあげるなりしてあげればいいのに・・・と思いました。
鬼殺隊を束ねる「お館様」は亡くなった鬼殺隊員のお墓参りは毎日欠かさずおこなっていたようですが、鬼殺隊に入れなかった子供たちのことはどうなのでしょうか、と思わずにいられませんでした。
「お館さま」は、山で生き残った子どもたちのことは「私のこどもたち」と表現していたかと思うのですが、死んでしまったこどもたちについての言及はなかったような・・・
また、この試験で錆兎という少年が亡くなってしまいますが、錆兎は一人でほぼすべての鬼を殺しています。一方、一緒に選別を受けた冨岡義勇は錆兎に助けられ、鬼を殺すことなく選別を終え、後に柱となっています。
運も実力のうちともいえるかもしれませんが、有力な才能の芽をこんな杜撰なやり方でつんでしまうのはもったいなすぎると思います。
鬼殺隊には剣士のほかに、「隠」とよばれる事後処理部隊がいます。最終選別はせず、別の方法で剣士に向いていない人を選別し、隠に回せばいいじゃないか、と思いました。子どもは社会の宝です。
②作戦に関するモヤモヤ
鬼殺隊には階級があったり、独自の戒律があるようですが、作戦立案者はいないようで、そこもモヤモヤしました。
たとえば、那田蜘蛛山での戦いです。
鬼は日の光で死ぬという明確な弱点がありますが、鬼殺隊が山に入ったのは夜でした。那田蜘蛛山の鬼ファミリーはずっと前からこの山を根城にしていたようなので、いきなり山に入ることはなかったんじゃなかろうか、とモヤモヤしました。訓練されたカラスもいることだし、昼間のうちに情報収集しておけば、あんなに人が死ぬことはなかったんじゃなかろうか、かわいそうに・・・とどうしても思ってしまいます。
さらに、炭治郎たちが山に入り、母親役の鬼を殺した後、さらに山奥に入ったことも疑問が残ります。敵の正体がみえない上、人質もいない以上、一度撤退したほうがよかったのではと私は思いました。
③鬼に関するPR活動がなされない点に関するモヤモヤ
鬼がどれくらいのペースで人を食べるかについては明かされていませんが、「家族を殺されて鬼殺隊に入った」という隊員が多いようです。
それにしては鬼の存在を一般人が知らなすぎるのでは・・・とちょっと感じてました。
たとえば日光以外にも、藤の花の香りを嫌うなど鬼の弱点はありますし、鬼殺隊がもうちょっと広報活動に取り組んでもいいのではないか、と。
④無惨を倒した後は幸せか、というモヤモヤ
鬼殺隊は多くの犠牲を払って、鬼の元凶であり最強の無惨を倒します。
こどもたちは「自分以外の誰かのために」と言って死んでいきますが、残された人達はそれで幸せだろうか・・・と思いました。
少なくとも、おそらく愈史郎は「珠世さん無惨もいる」世界と、「珠世さんも無惨もいない」世界だったら、前者のほうが幸せというのではないかと思いました。
冒頭にシャーマンキングにはまっていた話を書きましたが、「ドラゴンドライブ」も好きでした。(30歳前後でも知らない人が多いかもしれませんが・・・)
ドラゴンドライブの登場人物、メグルが自己犠牲によって世界を救おうとしたときに、主人公のレイジが言った言葉が好きです。
「人のためなら死んでもいい?そんなのおかしい!」
だって俺はメグルが死んだら悲しい、と続きます。
多くの犠牲を払って無惨を倒した世界、心から幸せでしょうか。
最終話は現代のお話で、死んでしまったキャラクターが転生して登場しました。もしかすると吾峠先生も、無惨を倒した後の世界が幸せだと思えなかったのかもしれないからこの最終話にしたのでは、と思ったのですが・・・どうでしょうか。
最後に
さてここまでながながと私のモヤモヤにお付き合いくださりありがとうございました!
モヤモヤはありましたが「鬼滅」面白かったです。