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#時空の森羅万象物語 第Ⅸ章第81節


今章は、主に鏡祐の語る昔話によって物語が進んでいきます。

この時空物語の表向きの主人公は浅葱ですが、それも浅葱の目を通して物語が展開していくというだけで、本当は誰が主人公なのかという事はあまり重要と考えていません。

今章の主人公は朔乃月鏡祐で、鏡祐はこの物語の裏主人公的立場でもありますが、織姫さんや他にも出てくる二人の人物にとっても大切なお話となります。



鏡祐の言っている【慶応】というのは、江戸時代最後の年号です。

今でこそ鹿児島の桜島は毎日のように噴煙を上げていますが、実はこの頃は火山灰なども降らせる事はありませんでした。

現在まで続く活動が始まったのは、1914年の大正大噴火と呼ばれる大噴火が起きた時からのようです。

(大正大噴火によって、桜島は大隅半島と地続きになりました。)

桜島は約26000年前に誕生したとされ、以来17回ほど破壊的な大噴火を起こしてきたそうです(最も古い記録は708年頃のもの)。

北岳は誕生以来活動し続け、約5000年ほど前に活動を休止、現在活動し続けているのは4500年前から活動し始めた南岳です。

あと、鹿之島(鹿児島)の著名人というのは西郷隆盛の事ですね。

西郷隆盛は1862年に徳之島に遠島になった際、ほんの少しの間ですが屋久島にも寄っていたそうです。



日本にガラス製の鏡を初めて伝えたのは、1549年に来日したフランシスコ・ザビエルとの事。

それまでは、日本ではずっと銅製の鏡を用いていたのでしょうか?

ただ昔の鏡は自分の姿を見て身だしなみを整えるものではなく、宗教的な儀式などで使用される事がほとんどだったのだとか。

ガラス製の鏡が広く一般に普及し始めたのは18世紀後半くらいからの事で、島という場所のタイムラグで「珍しい品」といった意味で舶来品としています。

(明治時代に入ると、もっと質の良いガラス製鏡が普及し始めたそうです。)

…先に書いておきますが、鏡祐の父親である雄飛さんが手に入れた鏡というのは、普通の舶来品のガラス製の鏡であるわけありませんね…σ(^_^;)

(余談ですが、鏡祐が愛用している眼鏡は、医者をしていた雄飛さんが使っていたものです。

 なんとなく古風な感じを出したかった結果、鼈甲の眼鏡になりました。)



屋久島は山が多く深い為か、特に子供の神隠しがよく起こると言われています。

三日三晩飲み食いもせずに、大木の下や岩屋の下でボーッとしているのが発見されたり、いくら探しても見つからず、探していた人達が帰ってみると家の戸口の前で泣いているのが発見されたりするそうです。

神隠しにあった子供が見つかればまだ良い方で、やはり行方不明のままという事もあったようです。



屋久島は時代ごとに様々な人々(種子島氏や豊臣秀吉など)から支配を受けていて、江戸時代は主に薩摩藩から支配を受けていた(屋久杉伐採が大きな目的らしい)そうです。

なので、雄飛さんも薩摩藩の藩医をしていたのでしょう。

(江戸時代、薩摩藩では傷口に焼酎で洗って縫合していたという話もあって驚きますが、本当かどうかは謎です;)

ところで帯刀はともかく、江戸時代の庶民の姓について少し気になったので少し調べてみました。

(こういった事を考えると、学生時代にもっとしっかり勉強しておけば良かったと思います;)

自分調べでは、一般民が名字(苗字)を持たなかったわけでも禁止されていたわけでもなさそうでした。

ただ土地を持たぬ者が公に名乗る事をはばかる風習があったらしく、土地を持って初めて堂々と表に出来るのが名字だったらしいです。

古くから武士は自分の土地というものに「一所懸命に守るべきもの」という意識を持っていて、土地を持たぬ者が武士などの前で名乗る事がはばかられ、そういった時代が過ぎるまで庶民は自分の名字を知らないという状況になっていたのだとか。

ところで奈良時代の戸籍には、田畑に一般民の名字が残されている記録があるそうです。

ただ政治の混乱で戸籍どころではない時代になり、中央集権的な名字の記録が途絶えてしまったのではないかとされているようです。

(この辺りの事情に詳しい方がおられましたら、ご教示いただけますと幸いです。)



今回も、ご愛読いただき誠にありがとうございます m(_ _)m






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東南浅葱@夢と絵と物語に関する記録
中高生の頃より現在のような夢を元にした物語(文と絵)を書き続け、仕事をしながら合間に活動をしております。 私の夢物語を読んでくださった貴方にとって、何かの良いキッカケになれましたら幸いです。