#時空の森羅万象物語 第Ⅸ章第82節
第Ⅸ章は基本的に一節が長いので、時間のある時に気軽に読んで頂ければ良いかと思います。
旧暦の5月16日の話に関しては、第Ⅳ章第30節に詳しく書いていますね。
時間の概念については「巳の三つ時=午前十時」「卯の三つ時=午前六時」「未の一つ時=午後一時」と考えていただければ良いかと思います。
途中に出てくる牽牛花は朝顔(鏡祐のイメージ植物は琉球朝顔、第Ⅸ章表紙絵参照)の事で、七夕物語に出てくる牛飼いの牽牛と鏡祐をかけて、鏡祐と織姫の関係性を密かに表しています。
最後の方で織姫さんが言っている機織りの話も、ここに繋がってきますね。
当初、井戸は鶴瓶桶のついたものではなくポンプ式を採用しようかと思っていたのですが、ポンプ式の組み上げ井戸が使用され始めたのは大正時代からとの事なので不採用に。
今まで知らなかった事を色々と知る事も出来るので、必要に応じてでも興味を持ってでも良いので調べる事って大切だなぁと思いました。
寺子屋は主に「読み」「書き」、場所によっては「そろばん」などを教える場所。
ただ風雅は、それ以外の役に立つであろう事を老若男女の区別なく教えたい人だったようです。
夜は夜で、大人達に向けた勉学なども行なっていた模様。
リアル現実の薩摩藩には郷中教育という制度があって、年上の者が年下の者に学ばせる教育を行なっていました。
それが薩摩藩を明治維新の立役者にした一方、その学びの場は武家の男子に対してのみ与えられたものだったそうです。
当時は庶民や女性への教育に力を入れなかったというより、わざとその機会を奪っていたのではないかとも言われているのだとか。
以前も書いたかもしれませんが『南総里見八犬伝』の成立に関して、「文化11年=1814年」「天保13年=1842年」です。
「江戸時代」で総括される時代は長い分だけ様々な事件や凶事が起こり、その度に時代を新しくしようと様々な年号が出来ては変更され出来ては変更された時代でもあったようです。
なので、あまり長く続いた年号が無いわけですね(一年号が平均で7年と5ヶ月とか)。
雑記帳は、現在で言うところのノートです。
明治時代には雑記帳、江戸時代には手習草紙とも呼ばれていました。
鏡祐が第Ⅰ章第6節で偶然見つけた紙片は、この辺りのやり取りの時に風雅が破りかけていたものですね σ(^_^;)
今回も、ご愛読いただき誠にありがとうございます m(_ _)m