ハリボテと鼓動の狭間で
インドのグルガオンに住むアラサー女子は思う、この砂漠に大資本がつくりあげた世界はハリボテのようだ、と。
グルガオンは砂漠だったらしい。
10年前から住む人はそう言った。
あれよあれよと建物ができ、建物ができると人が入り、そして街になった。
昔の名残でグルガオンの街は少し砂埃が多い気がする。
そんな街にはキレイな側面もあるし、無法地帯みたいな一面もある。
道路はいたるところで陥没し、動物たちはあちらこちらに野放しにされ、物乞いや路上で寝てる人も多数いる世界。そんな世界で、日本よりも価格の高い飲食店やガラス張りのきらびやかなオフィス、会員制のお金持ち施設など「キレイ」な場所も多い。
ショッピングモールがいくつかあるが、各場所がまるでユニバだ。
その敷地に入ると、違う世界を生きている気分になるくらい雰囲気が異なる。
不思議ではあるが、どうしても「キレイ」な世界をハリボテと思い、路上で生きているような人の方がリアルだと思ってしまう。
私よりもずっと良い暮らしをしてキレイな家に住んでいる人は無数にいて、彼らももちろん「リアル」な生活をしているのにも関わらず、なんとなくハリボテな気がしてしまう。
わたしはそのハリボテの世界で主に生きているが(キレイなオフィスに行くし、ジャズバーで音楽を楽しむような華やかな場所にも足を運ぶ)、リアルな世界で生きている人と過ごす時間も好きだ。
路上でチャイを飲み、笑顔を交わす。
30ルピーの地元飯を食らい現地民と同じ時を過ごす。
たまたま優しい人に会ってバイクの後ろにのり風を感じる。
このような体験がなんとなく「本物」のように思ってしまう。
彼らの生きる鼓動を感じられる気がするのだ。
わたしはこれからもこのハリボテの世界で過ごしやすさを感じながら、ときおり生きる鼓動に耳を傾けわたしの心を弾ませていくのだろう。
この世界でも優しさ見つけて生きていきたいな☺️