反骨精神旺盛な女子大生が旅で学んだこと
わたしは大学生の頃、両親に大反対されながら、自分のお金をせっせとつくって長期休みは旅にでました。
しかも、世界への憧れではなく、世界を知らない両親への反骨精神から海外へ旅することに決めたのです。
周りの人から反対され多くのお金をかけてまで、「世界を知って、自分の経験で、自分のことばで世界のことを話せる人になりたい」と、反骨精神だけで向かったわたしは何を得たのでしょうか。
わたしと同じように旅に行くなと言われ行く理由を伝えるのに参考材料を探している方、旅に出る前にモチベーションを上げたい方に、
”旅でなにを得たのか”わたしの一例を紹介します!
保守的な家庭から脱出
まずはわたしの背景を紹介します。
高校までは部活中心で360日くらい部活してた気がします。
それもあってか、大学生になったときの自由度には胸躍りました。
この機を活かすしかないと大学生になったらやりたいことを考える高校生最後の日々でした。
そんな中、わたしは両親との会話のなかで猛烈に海外に行きたいと思うようになりました。
それは両親はその土地に行ったことがないのにその国のことを非難していたからです。
「なぜ行ったことがないのに、1つのメディアから何がわかるというのだろう」とわたしは思いました。
わたしはメディアではなく自分の経験からでることばで意見を言える人になりたいと両親を反面教師にしたことで旅への意欲が加速したのです。
しかし、わたしの両親は海外に行こうとするわたしに揃って反対してました。危ないと。
でも、わたしは死んでもいいと思いながら旅に出ていました。
自分の命と同じくらい、世界を知りたい好奇心が爆発していた19歳大学生。
誰が止められるのでしょうか。
わたしは羽をはやしたように日本を飛び立ち、様々な国に降り立ってはお散歩して色んな人に出会いました。
”旅は人を育てる”
スキル面でも旅をすることで情報収集やコミュニケーション力の向上があると思います。
加えて、”旅を育てる”に込められる意味は”旅先での出会いで育てられる”という文脈も入ってるとわたしは思います。
ここからは、わたしが各旅先で学んだことをシェアしていきたいと思います。
旅をしたから学べたこと
旅先では日本でじっとしてるだけでは学べないことがゴロゴロ落ちています。
さらに、非日常の旅先では感覚が鋭くなり、その学びが経験としてグングン自分のなかに入ってくる、そんな感覚があるのです。
あぁ、書いている最中から旅に行きたくなりました。
「自分がしたいことっていうのはいつまでたっても分からない」@飛行機
大学生のわたしはすこぶる好奇心旺盛で、人の生き方や価値観にすごく興味がありました。
今考えるとうるさいくらいの社交性で世界へ飛び出したわたしは、慣れない飛行機で隣になった人や斜め後ろの人、そして飛行機の後ろでワインをばかすか飲んでる外国人旅行客にも話しかける小娘でした。
スイスの会社に勤める日本人の方はバケーションへ、赤いスカートの似合う女性は留学のため、神戸の不動産のおっちゃんは奥さんと旅行中。
そんな人たちに話しかけては人生観を探ってました。わたしの価値観を広げてくれるものはあるかと。
そこで神戸の不動産のおっちゃんは言ってました。
「自分で仕事してるけど、自分が本当にしたいことっていうのはいつまでたっても分からん」と。
「なんや自分で仕事してるような人だって見つけられるものやないんや」ということが、すごく腑に落ちたことを覚えてます。
就活で、もう生涯変わらないような”自分が本当にしたいこと”を探そうとしてしまったけど、それは誰しも見つけられるものではない。”いま、自分がしたいこと”ならあるかもしれない。そんなことを学んだのでした。
”お金は動く”ということ@インド
初めての海外旅行はインドでした。(初心者がくるところではない。笑)
それまで日本で少々負けてもらうことはあっても値札の数字を大きく動かすことなどありえないと思ってました。
でも、現実は違いました。値段って動くんです!笑
この事実には本当に衝撃を受けました。
それからは、「この値段はなにで成り立ってる?」と考え、店員さんに商品の話を聞いて値下げ幅を考え交渉するようになったのです。
インドでは物の背景と値段を考えるという学びを得て、どえらい成長を成し遂げました。
自分はなにもできないことを知る@タイ
タイの山岳地帯に嫁いだ高校の先輩を通じて、高校の同級生数人とタイに行ったときのことです。(山岳地帯の民族とご結婚、そんなことが本当にあるんです笑)
そこでは村民のみなさんが、どの草が食べれるか教えてくれたり、鳥の殺し方を教えてくれたり、髪を結ってくれたりしてくれました。
わたしは日本では「ほうれん草」など名札のついた野菜を買い、食べやすい状態でトレーに並べられた鶏肉を手に取り、髪の毛もYoutubeを見ながらやっとできるくらい。
彼らには頭の中に知識があったのに、わたしにはなんにもないと思いました。できることといえば、ググるだけ。
「自分にはなんにもできない」そんなことを、高床式住居が立ち並ぶ山あいの村で改めて気づかされたのでした。
自分の大切なものは手のひらに入るものだけ@カナダ
カナダのビクトリア半島という穏やかであたたかい地域でホームステイしていたときのことです。
とにかく沢山の価値観に触れたいわたしは色んな質問をしてました。
「どうしたら大切なものを守れるの?」
というような質問をした気がします。
一緒に暮らす中で、ホームステイ先のママとパパは自分達が大事にしたいことを守るためにはどうすればいいかという思考を持っていると気付いたのですが、わたしは「アレもしたい。コレも大事にしたい」そんな風に動いてしまってたので、生き方の秘訣を聞いてみようと思ったのです。
「自分が大切にしたいものは多くないはず。この手のひらに入るものだけだよ」
そんな言葉を聞いて、「すごくシンプル!そりゃそうか!」と腑に落ちる感覚がありました。
それから優先順位が付けやすくなりました。
大切なものは少し。それを守るだけ。そんな学びを、間接照明のやわらかい明りがあるリビングでワインを飲みながら得たのでした。
願うところにいきつくこと@フランス
1人旅で訪れた南フランス。とことん気ままにいこうと決めてました。
穏やかでかわいい街にいきたいなと思いながら、リヨンから電車で最後の駅まで移動しました。
それから最も美しい村と呼ばれる場所をめざしてバスを待ちました。
宿も取らず、わたしはただバス停で時刻を過ぎてもこないバスを待ってました。
しかし、いっこうにバスは来ませんでした。仕方ないので、小さなスケッチブックに絵を描きながら待ってると、1人の青年が声をかけてくれました。
このあたりでは英語を話せる人を見つけるのも一苦労。わたしは嬉しくて現状を伝えました。
「書かれていた時刻表は古いもので、もうバスは来ない。ママがこの先に住んでるから車で送っていってくれるかも」そんな甘いささやきに便乗し、オリーブ畑を青年と一緒に歩いていきました。
青年はこの街の歴史や家族の話をしてくれました。
丘に小さなお城があること、ママはよくプレゼントをもらう素晴らしい人柄ということ。
風景も穏やかで、心もあたたかくなりました。こんな場所に来たかった、と晴れやかな気持ちになりました。
そしてたどり着いた先には美しく明るいママと、庭には馬と犬、そして家の中にはふさふさの猫。
物語のなかに入ってしまったかとびっくりしました。
石造りの家の中には客間があり、桜の壁紙ステッカーと着物が飾られた部屋が!!もしや呼ばれた!?
南フランスのちいさな町。
あたたかいご家族に受け入れられ、「あぁこんな町に来たかった!」と思いました。ネットで調べた「美しい村」よりも、この小さな町の方がうんと美しく感じました。
「わたしは心から願うところに行きつくことが出来る」そんな自負を得たのでした。
やんわりとでも願う事は大事なのですね。
わたしは全部もっていることを知った@日本
東日本大震災がおき、津波の被害が大きかった福島県南相馬市。
わたしは学生のころ、ボランティアとしてその土地を訪れました。
大阪から福島の南相馬まで1人で向かいました。
わたしの初めての1人旅でした。
行った先は旅人たちが集まるボランティア団体。
夜は語らい、ときにギターを弾き、ときに流星群を一緒に見ました。
そこにはなんにもありませんでした。
もちろん家も学校も、お金も。
しかし、”わたしたち”はいました。
わたしたちはこうして集まり、なにかをつくったり、新しい世界をつくっていく。わたしは友人や家族、そして新しい出会い、すべて欲しいものは持ってるのだと、なんにもない場所でようやく分かったのでした。
この学びはどんな場所でも生きていける大きな自信になりました。
旅はもうひとつの大学だった
大学生の頃、長期休暇でした『旅』はわたしの中ではもうひとつの大学のような存在だったのかもしれません。
大人になるための単位を取っていくような、そんな時間でした。
わたしは旅をとおして、人との出会いで、沢山のことを学びました。
生きる自信もつけてくれました。
学生時代ほど、旅はできてませんが、今でもたまにゲストハウスへ行きます。
それも大阪から大阪内の。
遠くに行かなくてもまた、新たな生き方との出会い、そして自分と向き合う時間があり、やはり旅はやめられません。
近くても遠くても非日常の中での人との出会いはきっと何かの学びに繋がることでしょう。
旅するきっかけになれば幸いです!
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