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人生初ヒッチハイク(名古屋→北海道)


2024年夏、人生初のヒッチハイクに挑戦した。その記録というか備忘録のようなものとして、出来事・感じたことなどを書き記してみた。



やろうと思った理由

僕の母の実家は北海道の函館にある。祖母と伯母が二人で暮らしていたが最後に訪れたのは2018年の夏だった。
その後2022年に祖母が他界し葬式に参列した以降、2年ほど函館に行っていなかった。そのため墓参りもできていない。
今回、お盆に墓参りをすると聞いたので、一緒に行こうと思い函館に行くことにした。

ラグビー部を引退し普通の大学生になったため、夏休みに多くの時間がある。そこで予定を立てずに、青春18きっぷで青森まで行き電車で青函トンネルを越えるか、フェリーで津軽海峡を渡るかしようと考えた。

いや待てよ。もっと面白そうなのがあるじゃないか。
ヒッチハイクだ。
なぜ頭に浮かんだのかは覚えていないが、とにかく頭に浮かんできた。
そしてこれを実際にやるところを想像するととてもワクワクした。これはやるしかない。もしやらなかったらいつか後悔する気がした。

さらに人見知りをせず初対面でも割と話せるという自分の特性がどのくらい通用するか試してみたくなった。
加えて
・やってみて失敗したらそれもそれで一つの学びになるはず。
・年齢的にこの辺でやらないと乗せてくれる人が少なくなり成功確率が下がる。
・シンプルに話のネタになるかなと思った。
この辺りも考えつつ、実行に移したのである。

※後付けにはなるが、「コンフォートゾーンから抜け出す」という、成長に必要だといわれていることも達成できると思った。

いろいろ書いたが1番の理由は「面白そうだから」というシンプルなものだった。


計画

名古屋から函館まで約1200kmある。
何日かかるか分からないため余裕を持って以下の計画を立てた

スタート:東郷PA (愛知県日進市)
ゴール:大間崎(青森県下北郡大間町)
予想所要日数:3泊4日
持ち物:携帯電話、財布、着替え、帽子、タオル、飲み物、スケッチブック、ペン
基本的に高速道路から降りないようにする。
※大間崎から函館へは津軽海峡フェリーにて移動する。
※+1日まで日程の余裕はあり、もし厳しかったら電車での移動に切り替えるつもりでいた。


実際にやってみて

東郷PA (愛知県)

スタート地点の東郷PA

このヒッチハイク旅は名古屋郊外にある東郷PAをスタート地点に設定した。当初は名古屋ICにしようとしたのだが、構造上かなり厳しいと思い、駅から近くにあり、外から入ることができる東郷PAをスタートとした。

東郷PAへは名鉄黒笹駅から徒歩10分ほどで到着した。
松屋で腹ごしらえし、いざ始めようとしたのだがなぜかここにきて、とても恥ずかしくなってきた。加えてまだやってもいないのに失敗することを考えてしまっていた。
しかしこのまま引き返したら後悔するし自分を責めることになる。どうなるか分からないけどまずやってみよう、そう思いスケッチブックを掲げ始めた。
そこまで大きくないPAであるため通る車は少なかったが、ほとんどのドライバーの方が興味深そうにこちらを見てきた。とても恥ずかしかった。時にはごめんと謝る仕草をしてくれる人もいた。たったそれだけでもとても嬉しかった。なんだかんだみんな優しいなあと感じつつスケッチブックを掲げること約40分、1台の車が止まってくれた。


1台目

名古屋から仕事で豊川に向かっている50代の男性に乗せてもらった。
釣りが趣味らしく、仕事の息抜きに趣味は絶対に大事。と力説しており、実際に次週福井に川釣りをしに行くと言っていた。
豊川ICの手前の赤塚PAまで乗せてもらった。

ヒッチハイクの進捗を知りたいと言うので連絡先(LINE)を交換し、ヒッチハイクが終わるまでたまに状況を報告していた。


赤塚PA (愛知県)

とりあえず旅の一歩目を踏み出すことに成功した。これは大きい。
この旅においては小さな一歩だが私にとっては大きな一歩である。
そして恥ずかしさはほぼなくなった。もう怖いものなんてない。そう思い、東郷 PAと同様にスケッチブックを掲げていると一人の若い男性が話しかけてきた。その人は東京から佐世保までヒッチハイクで移動したことがあるらしく、その時の経験からアドバイスをくれた。この時、その人はバスで移動していたため乗せることはできないけど頑張れ!と声をかけアクエリアスをくれた。人の優しさを感じているとすぐに2台目の車が止まってくれた。
赤塚PAに着いてからまだ20分ほどしか経っていなかった。


2台目

乗せてくれたのは50代くらいの説教好きなおじさんと言う感じの人だった。
やりたいことなどが特になく人生に迷いがあると言うと、目標を持ってしっかり生きろと言われた。(ほとんど聞き流してはいたけど)
なぜ乗せてくれたのかと聞いたところ、困っているだろうから助けようと思ったと言っていた。(少々恩着せがましく感じた) 
本当は豊川ICで降りなきゃいけないところ一つ先のICまで行ってくれて、その間にある新城PAまで乗せてもらった。

今回の旅で距離・時間ともにこの人が一番短かったことと自分にとって少し苦手な人だったこともあり、あまり覚えてないし思い出せなかった(笑)

まぁこういうこともあるだろうし、これも一つの経験だと思った。


新城PA (愛知県)

山の中にありかなり小さいPAなので苦労するだろう。そんなことを思いつつ2台目のおじさんがヒッチハイクやるならトラックに乗せてもらったほうがいいと言っていたので、トラックドライバーに声をかけることにした。10台ほど声をかけたが
・休憩中である
・すぐ高速から降りる
・会社の規則で乗せられない(ドラレコの発達で厳しくなったらしい)
 などの理由で断られてしまった。
最終的に、鹿児島ナンバーのトラック運転手の方に声をかけたところ、心よく承諾してくれて乗せてもらうことになった。


3台目

とても面白くいろいろなことを話してくれる50代のおじさんだった。
本当はこの人も会社の規則上、乗せてはいけないらしいがヒッチハイカーを何度も乗せたことがあるため、今回も乗せたと話していた。
鹿児島から来て、福岡で荷物を積み、茨城に運ぶ最中らしい。トラックドライバーとして長いこと働いており日本全国行ったことがあるそう。知床まで行ったことがあると言っていた。
鹿児島の焼酎、桜島の火山灰、方言、趣味のバイクについてなど様々な話をすることができてとても楽しい時間だった。

今回は横浜で高速から降りるらしく海老名SAまで乗せてもらった。途中馴染みのある駒門 PAで富士山の水を汲むのを手伝った。富士山の水で炊く米はとても美味しいと熱弁しており、地元民としてとても嬉しく思った。

このおじさんのおかげで静岡県を横断することができ、ありとてもありがたかった。

そういえばトラックの運転席に初めて乗ったのだが、高いところから見下ろす格好になるので、周りの状況がとても分かりやすかった。


海老名SA (神奈川県)

到着したのが17時半頃であったため、少し休憩をしてフードコートのラーメンを食べた。
ここでふと思ったのだが海老名SAは東京まで約50kmほどの場所にあり、東京へ帰る際の最後の休憩地点としてよく利用されている。そのため高速道路から離れずにヒッチハイクを続けるためには、東京で高速から降りずに北関東・東北方面へ向かう車を見つける必要がある。これがとても難しかった。
まずナンバープレートから北関東・東北方面へ向かいそうなトラックを探し、声をかけたのだがあえなく撃沈。同じことを一般車両でもやったが成果は得られなかった。1時間半ほど歩き回ったので休憩したのち再度同じことを行ったが乗せてくれる車は見つけられなかった。これをさらにもう1サイクル行い、合計で3時間ほど歩き回って探したがダメだった。

休憩中、インターネットで調べたところ東北自動車道の最初のSAは埼玉県の蓮田SAであり最寄りの蓮田駅からさほど遠くないことが分かった。そのため東京のどこかで下ろしてもらい電車で蓮田駅まで移動し蓮田SAからヒッチハイクを再開することにした。

そのため東京方面と書いたスケッチブックを掲げようとしたところ、ここでなぜか恥ずかしくなり躊躇してしまった。この日一番規模の大きいSAだからだと思う。実際、車も多く出入りも激しかったし、人の目もたくさんあった。
しかしこんなところで旅を辞めるわけにはいかない。日程にも余裕はあるしなんとかなると考え、1時間ほどスケッチブックを掲げたところ、一人の大学生に声を掛けられた。


4台目

乗せてくれたのは熱海旅行帰りの大学生三人組だった。
この旅において初めての同年代であったので、勉強の話などの大学生活に関する様々なことを話した。共感できることなどが多くとても楽しい時間だった。
ヒッチハイクについて多く聞かれ、ヒッチハイクをやっている理由などを話したりした。さらに初対面なのにBeRealを一緒に撮ったりInstagramを交換したりもした。
彼らのレンタカーの返却時間などもあったため用賀PAでおろしてもらった。


用賀PA (東京都)と移動

用賀PAに着いたのは日付が変わってからだった。
用賀PAはトイレと数台の駐車場・高速バスの降り場があるだけで望みはほとんどなかったが10分ほど車が来るのを待ってみた。結局来たのはタクシーか仮眠を取る車だけだった。

そのため予定通り蓮田SAに移動しようと思ったが終電がすでになかったため、渋谷駅まで歩きハチ公前広場で時間を潰し、始発に乗って蓮田駅に移動した。蓮田駅から蓮田SAに移動し、SA内に入ろうとしたが入口を見つけられなかった。ネットで調べて入口を見つけることはできたが南京錠で施錠されていたため、入ることができず諦めて蓮田駅の隣駅である白岡駅に向かった。白岡駅から小山駅で乗り換え、佐野駅に向かい栃木の佐野SAまで徒歩で移動した。
ちなみにこの電車移動で約30分の睡眠を3回ほど取ることができた。

朝4時頃の渋谷駅


佐野SA (栃木県)

まともな睡眠を取ってないことに加えて長距離移動で歩き疲れたので、栃木のソウルフードであるレモン牛乳を飲んだ後、30分ほど仮眠をとってからヒッチハイクを再開した。とても暑かったので熱中症に注意してスケッチブックを掲げたところ、約20分ほどで一台の車が止まってくれた。
この佐野SAも夏休みということもあり多くの人がいたが、もう恥ずかしさは完全に無くなっていた。

レモン牛乳に関してはレモン風味の甘い牛乳という感じで飲みやすかった。とても美味しかったが、何回も飲みたくなるようなものではなかった。(個人的な感想です)

同期のおすすめ レモン牛乳


5台目

5台目は湘南のあたりに住んでいて福島県田村市の実家に帰る途中の50歳くらいの女性に乗せてもらった。
ヒッチハイカーを乗せるのは初めてだと言っていた。

田村市は原発事故の影響により一部が避難区域にあるらしく、いまだにそんな現実があることを知りとても驚いた。

乗せてもらった女性は自分の母とほぼ同い年で自分と同じくらいの年齢の子供がいるらしく、母親の思いや子供の男女差などについて話したりした。

途中で東北横断自動車道に行くため、その手前の栃木北部にある那須高原SAまで乗せてもらった。


那須高原SA (栃木県)

小腹が空いていたため鮎の塩焼きとソフトクリームを食べた。ソフトクリームはとても濃厚で美味しく、鮎の塩焼きは塩加減が絶妙で炎天下で汗をたくさんかいた体にとても染み渡った。

休憩してからスケッチブックを掲げたところ、約20分ほどで次の車に乗せてもらった。

振り返って気づいたが実はこの日初めての食事


6台目

6台目は30代前後の夫婦に乗せてもらった。
それぞれ仙台と岩手の久慈に実家があり東京から帰省する途中のところらしい。とても不思議な女性と芸術家っぽい男性だった。

ヒッチハイクを始めた理由やトラブルは怖くないのかなどの話をした。
すると突然女性が「私、実は麻薬の売人なんです」と言い出した。何事かと思ったら、もしかしたらこんな状況になってトラブルに巻き込まれるとか考えなかった?と言われた。そんなトラブルは平和な日本では起きづらいし、起きたらその時に考えようと思っていた。

仙台で高速道路から降りるためその先の菅生PAまで行けるが規模を考慮すると国見SAの方がいいとのことで、福島県の最北にある国見SAまで乗せてもらった。


国見SA (福島県)

携帯の充電と30分ほどの仮眠をとり約2時間程度休憩した。
ここではスケッチブックを掲げ始めてから約30分ほどで乗せてもらうことができた。


7台目

郡山から仙台に帰る仕事終わりの30代二人組のサラリーマンのレンタカーに乗せてもらった。
片方の人が名古屋出身だったりもう片方の人がドミノピザで働いたことがあったりなど自分と共通点が多く、とても親近感が湧いたのを覚えている。

仙台まで帰る途中であり菅生PAまで乗せてもらうことになった。
6台目の夫婦の配慮が無駄になってしまった気がするが乗せてもらっているため、そんなことは言い出せずありがたく乗せてもらった。菅生PAで飲み物とずんだシェイクを奢ってくれた。ずんだシェイク美味しかった。

奢ってもらったずんだシェイク


菅生PA (宮城県)

東京を越えるのは苦労したが仙台を越えるのは流石に大丈夫だろうと思い、岩手方面と書いたスケッチブックを掲げることにした。
すると1時間ほどで乗せてもらうことができた。


8台目

小田原に住む20代の夫婦に乗せてもらった。それぞれ岩手と秋田に実家があり帰省する途中らしい。

いろんなことを話し、地元が近いためそのへんのことも話した。この日神奈川の方で地震があり、そのあたりのことで電話を頻繁にしていたことを覚えている。
またこの日自分があまり寝てないことと夜遅かったことから少しだけ寝させてもい、盛岡の手前にある紫波SAまで乗せてもらった。


紫波SA (岩手県)

盛岡近くの紫波SAには到着したのが21時半頃で疲れもあったので食事をとり、ここで一泊することにした。フードコートみたいなところにある机で寝ることにした。自販機やトイレなどで人の行き来があったため、しっかり寝ることができず寝て起きてを繰り返したが3時間ほど睡眠時間を確保した。

翌朝眠い目を擦りながら6時過ぎにスケッチブックを掲げ始めた。すると10分ほどで見た目がスポーツカーの車が止まってくれた。(2人乗りで車高が低く、スポーツカーのように見えた。実際はスポーツカーではないらしい。車種を聞いたが忘れてしまった。)

朝6時の紫波SA


9台目

目的地・大間のとなり町である大畑町に帰省する21歳社会人に乗せてもらった。
前日、東京で仕事をしてから徹夜で運転をしているらしく、眠気覚ましと話し相手が欲しかったから乗せてくれたらしい。かなりのスピード狂で平均して120~140km/hで走行しており、高速道路ではMAX180km/h、一般道ではMAX140km/hまで出すため何度か死を覚悟した。眠いとずっと言っていたので、自分が死なないためにも必死に話をした。(笑)

同世代であったので色々共感できることが多く、大学や就職についていろいろなことを話した。金銭的な面から大学には進学せず就職したそうで、今の自分がいかに恵まれているかを実感した。

のどかな田舎の町をいくつか通り、大畑の街の出口にある国道でおろしてもらった。


大畑町 (青森県)

今回の旅、唯一の一般道でのヒッチハイクだった。割と交通量もあり特に問題なさそうだったのでスケッチブックを掲げ始めた。

↓掲げた場所


10台目

大畑町の出口でスケッチブックを掲げたところ5分もしないうちに地元の大学生が乗せてくれた。銀髪でかなりイカつい髪型だったけどとても優しくいい人だった。訛りがあったのを覚えている。

大間の祭りの手伝いをしており、それに向かう最中だったそうだ。30分くらいかけて大間崎に送ってくれた。


ゴール地点:大間崎 (青森県)

地元の大学生に乗せてもらい、ついに目的地の大間崎に到着した。
東郷PAでスケッチブックを掲げ始めてからおよそ48時間後のことだった。

車に乗せてもらっていただけなので、しんどいことは何もしていないのだが達成感はとても大きかった

本州最北端 大間崎
天気がとても良く、北海道を見ることができた


その後

大間崎近辺で観光、名物のマグロ丼を食べた後散策した。公園の展望台に行き近くの寺に参拝してフェリー乗り場へ。90分間ほどのフェリーで移動し函館に到着。フェリー降り場に伯母が迎えに来てくれて、旅は終了した。

乗船した津軽海峡フェリー


やってみて

実際にやってみて、自分の人見知りをせず初対面でも話せるという特性はとても役に立った。(そもそもこれが無かったらやってないと思う) 相手が全く話に乗ってこなかったら自分も気を遣ってしまうため会話が弾まないこともあるが、ある程度相手からの反応があれば楽しく話せることが分かった。

そして何より自分の自信になった。人の目を気にせずやりたいことをやり切ったという経験はとても大きいと思う。しかし最初はとても恥ずかしかった。だが1台乗せてもらうことができただけでとても自信になった。10回もできたのだからとても成長したのだと思う。
今後も人の目を気にせずやりたいことを前面に押し出して行動していきたい。

またヒッチハイクをしたことを友人などに伝えると、とても驚かれどんな旅だったのかを詳細に聞かれることが多い。多くの人がやらないことをやったのだと実感し、これもとても自信になった。

散策時の写真。奥に見えるのが大間崎。

最初の方に計画と書いているが、実はほぼ無計画に近いものだった。とりあえずやって無理なら電車で移動しようぐらいのものである。実際、歩いた距離や睡眠時間を振り返ってみると異常なことをしている。それでもなんとかなったのだ。人生なんとかなるさ。このマインドを強く持つきっかけにもなった。

この旅では様々な人に乗せてもらった。色々な話をしたり飲み物を奢ってくれたりなど人の優しさに触れる機会がとても多く楽しい旅だった。乗せることはできなくても話しかけてくれる人もいて、多くの人とコミュニケーションを取ることができた。
どれも素敵な出会いであり、ヒッチハイクをやって良かったと心の底から思う

乗せていただいた皆さん、本当にありがとうございました!



記録

かかった日数:2泊3日
乗せてもらった車:10台
交通費:計5310円
  自宅最寄りの駅→名鉄黒笹駅:640円
   JR渋谷駅→JR蓮田駅:680円
   JR白岡駅→JR佐野駅:1170円
   大間崎→函館港(津軽海峡フェリー):2820円(学割使用)
歩いた距離:計28.8km (Googleマップにて計測)
   名鉄黒笹駅→東郷PA:1km
   用賀PA→JR渋谷駅:8km
   JR蓮田駅→蓮田SA:3km
   蓮田SA→JR白岡駅:3.5km
   JR佐野駅→佐野SA:4.7km
   大間崎→大間フェリーターミナル(散策含む):8.6km

フェリーからの大間


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