日々徒然14 自分を大切にして、優しくねって、違和感
自分に優しくね、大事にしてあげて
よく耳にする
(私お疲れモード、私頑張ってるアピールだけはしっかり発動しているからかもしれない)
でも、その言葉を耳にするたび、頭をよぎるたびに
「自分を甘やかすこと?
そもそも、私とんでもなく自分に甘いから、これ以上甘やかすって危険すぎる!どんなひどい人間を作ってしまう計画なんだ。恐ろしや~」と思ってしまう
私の「自分に甘い」
という評価は、自分の行動対して、言い訳の名人・達人・玄人である
と自覚しているところからだと思う
自慢できることではなく、自戒を込めてエピソード書かせてもらうと
例えば車で
一時停止を止まらず、側道から来た車がこちらに突っ込みそうになった時ですら、思いっきり自己弁護していた
「私ちゃんと止まったし。あっちが私に気が付かず、突っ込んできた!あっぶないな~」
くらい思っていたし、若干パニックになりながらも心で思いっきり悪態ついてた
でも、自分の行動を客観視したほうがいいと判断できる頭はかろうじて残っていたようで
落ち着こうと駐車場に入り、追突の危機の怖さで震えながらドラレコを見てみたら
私が一時停止を止まらずに、進んでた
確認した瞬間、本当に血の気が引く音が聞こえた
自分ではブレーキをちゃんと踏んだ感覚はあったが、止まったつもり、になってただけであった
全く止まってない
そして、危うく衝突事故をおこすところだった
本当に心の底から申し訳なく思う
もう二度と一時停止を止まらずに進むことはしないと、固く恐怖とともに刻み込まれた
映像で見た瞬間、否が応でも認めざるを得ないことを突き付けられて初めて、「私が間違っていた」
と思えたけれど、それまでは、ほぼほぼ100%に近いくらいで、相手を非難して自己弁護していた
そんなことをする、してしまう自分
この時だけじゃ無い
常に自分にいいように言い訳していると思う
これ以上甘やかしてしまったら、本当に大事故が起きかねないし、何なら誰かを傷つけてしまうかもしれない
そんな恐怖が、常に頭をよぎり、とてもじゃないけれど、これ以上甘やかすなんて怖くてあまり考えたくもない
でもね、それでも、か
そんなだからこそ、か
自分に常に言い訳をしてしまう私がいる
「自分を大切に、優しくして」
って聞くと
世間一般では(私がそう認識しているだけだけど)
自分にご褒美をあげる。好きな音楽聞いたり、好きなもの食べたり、好きな洋服に身を包んでみたり。好きな場所に行って、好きなことをする。
とか連想したり聞いたりするため、物理的な事は特に違和感がある
心を慰める行為は
むしろ、そんなんじゃ、心の闇は晴れないんだ
晴れずにもっと深まってしまう
でも最近は、深まっていいんじゃない
心が晴れなくてもいいんじゃない闇を感じて抗う気持ちがあってもいいんじゃない
嫌だけど、その嫌って気持ちもいいんじゃない
心、気持ちを、私が私を汲んで味わってあげる事
それだけは他の誰にも絶対出来ない
色々悩みや闇や葛藤を抱える事は、若い頃には不可能で、如何しても抱えることができないからこそ、誰かに認められることで消化してもらいたかったり、発散することで葛藤と向き合わずに済む事、圧倒的な自己擁護を求めてしまっていたけれど
ふと考えると、歳を重ねて来ている今
今であれば、若い頃出来なかった
自分の中で気持ちを抱えて、大事な箱に入れる事
そんな事少しは出来るようになってきたかもしれない
なんなら、時々その箱の中覗いてみてみたりして、ふたを閉めてみたり、少し味わって悶絶してみたり
一旦
色々な形の大事な箱、場所を沢山作ってみるのも悪くない歳のとりかたかも
それが老いの醍醐味になる日も遠くないかもね