どうにもめんどくさいやつで。
どうにもめんどくさいやつで、
どうしたら機嫌が良くなるのか、何が機嫌を損ねるのか。どうしたらこの落ち込みから引っ張り挙げられるのか、止まることができないこの人をどうしたら止められるのか。すぐ動けなくなるこの人を動かせるのか。
なんとも気難しく、繊細過ぎてなんて言葉をかけたらいいのか、何が地雷になるのか困ってしまう。
いつも想像を越えてくる。
日々試行錯誤、ほとほとまいっております。
弱いの。外界からのストレスに。刺激に。
化学物質にも、暑さや冷たさにも、湿気や乾燥にも、音にも、静けさにも。チクチクにもスベスベにも、天気にも気圧にも、天体の動きにも、唐辛子にも、人の想いにも。
皮膚も内臓も、心も。神経も過剰に反応しちゃってすぐにびっくりビクビクだし、ヒリヒリ痛いし、ドキドキだし、呼吸も苦しいし、心拍上がりすぎで全身しんどいし、心臓に血が行きすぎて手足は冷め冷め固まっちゃう。思考も止まっちゃう。
そんなんで生きているから、それでもがんばって生きてきたから心は防御線張りまくり。
どこまでは大丈夫でどこからがストップなのか。どこまでがわたしでどこからがわたしじゃないのか、もはや分からない。考えれば考えるほど分からない。
気をつければ気をつけるほど、考えれば考えるほど、自分のことも相手のことも観ることができなくて、うまくいかなくて、うまくいってないことだけは分かってどんどん機能が停止していく。
我慢し過ぎて考え過ぎて、出てきた言葉や出した手には〝わたし〟が伴ってなくて、相手を傷つける。
そうしてまたどんどん機能停止していく。その繰り返し。
わたしが機能停止することでその場に迷惑がかからないように。そうなることでわたしがその場に居られなくならないように。どこまでなら大丈夫?どうしたら大丈夫?
ここは合うところ?合わないところ?居てもいいところ?受け入れられるところ?
いろんなたくさんの条件が満たされないと〝安心〟って思えない。同じことを何回も繰り返して、いろんなパターンでやってみてちゃんと対応できて、ちゃんと対応できたことを認められて、
周りの環境、そこにいる人の人となり、関係性、仕組み、そういうものがなんとなく見えてきて、そこでのわたしの立ち位置が分かってきて、そこまで来てようやくわたしは、そこに自分の足で立てる。わたしを通して言葉が出てくる。
どうにもめんどくさいやつで、
わたしがしたいこと。好きなこと。そんなことはそうなってからしか出てこない。
だってわたしがしたいこと、好きなことって、誰かとみんなと何かをすることだから。
ひとりでやる好きなこともある、ひとりの時間もすごく大事、わたしの中で特別に興味関心があって深めていきたいこともある。
だけどそれは誰かとみんなと暮らし、世界を共に生きるためにわたしに必要なこと。わたしの中に芽生えること。
でもだからその為にはわたしがわたしで居ないと。わたしがわたしらしく生きる活動をしていないと。生活を繰り返していないと。
わたしが何をしていて、何をしたいか分からないと、そこに合わせることも、誘うことも助けることも助けてもらうこともできないから。
そこに反応が、いのちのやり取りが生まれないから。
誰かとみんなと呼応し合い、循環の一部となるように。循環を創るひとり(ひとつ)となるために。
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