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夏休みの宿題

毎年、夏休みが始まると同時に、私はある種の絶望感に襲われる。
それは、例の「夏休みの宿題」だ。

先生は「夏休みはたっぷり時間があるから、計画的にやれば大丈夫だよ」と言うが、私はその「計画的に」という言葉を信用していない。

なぜなら、毎年その「計画」が、初日から綺麗に崩れるからだ。

最初の一週間は、まだやる気がある。
「今年こそはちゃんとやるぞ」と、決意も新たにドリルを開く。

しかし、次の日には友達から「遊ぼう!」と電話がかかってくる。
そうなると、もうドリルの存在は頭から消える。

そして遊びから帰ってくると、疲れ果ててそのまま昼寝。
気がつけば、夕方になっている。

そのうち、宿題のことを考えるだけで嫌になり、ドリルを見ただけで頭が痛くなる。

私の中で、夏休みの宿題は「やらなければいけないもの」から「絶対にやりたくないもの」に変わっていくのだ。

母に「宿題は終わったの?」と聞かれるたびに、「まだちょっとだけ残ってる」と答えるが、その「ちょっとだけ」が一向に減らない。

そして、ついに夏休みの最後の週に差し掛かる。
ここでようやく、私は焦り始めるのだ。

ある年、どうしても終わらない自由研究があった。
テーマは「昆虫の観察」。

私は夏休みの初めに張り切って昆虫採集に行ったのだが、その後はすっかり放置していた。

結局、最後の一週間で焦ってまとめようとするが、観察日記がスカスカで、どうしようもない。

私は苦肉の策で、家の中にいるアリを観察し始めた。
アリの行動をメモし、絵を描き、何とかレポートに仕上げる。

提出日が近づくにつれて、私はどんどん不安になったが、母は「アリだって立派な昆虫よ」と、妙に励ましてくれた。

いざ学校が始まると、友達はみんな「夏休み楽しかった!」と話しているが、私はその会話に参加できない。

というのも、最後の一週間は宿題に追われていたからだ。

結局、夏休みの宿題というのは、毎年同じパターンで私を苦しめる。
来年こそは計画的に…と誓うが、その誓いが守られることはないだろう。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 これからも、日常に寄り添う記事を書いていきますので、またふらりと立ち寄っていただけると嬉しいです。