xvypcda 寓話 『 首相失在 』
何の事件も起きそうもない昼下がりに、その後の社会を突き動かすことになりそうな、それともなさそうな、一つの事件が唐突に起きた。ある国の元首であった一人の男が演説中に、背後から散弾銃で打ち倒された。
何の事件も起こりそうもない常日頃の、何の事件も起きそうになかった午後に、何の事件も起きないだろうと思いさえしなかった人々は、何かが事件として起こったことに戸惑い驚いた。
銃撃はどうしてか、一人の男によって殆ど同時に着々と二回、難なく達成されていた。一度目の銃声が響いた時、その場に沸き起こったのは、むしろ不可思議な静寂と一切の停止であった。何も起こらないだろうと思ってさえいなかった人々は、何が起きたのか、いやそれ以前に何かが起きたことさえもを認知できずに、ただその場に静止していた。
そのようにしてその場の全てが静止した静寂の世界で、動き揺らめいていたのは一撃目の硝煙と、二撃目を徐ろに構えた犯人の男のみであり、居合わせた多くの人がその一連のモーションを、映画のシュールなワンシーンのように記憶することとなった。そして絶対の安全に遵守されていたはずの元元首は、胸に銃弾を浴びたことにも気がつかぬまま、そのままに次に首に銃弾を浴び、そしてそのままゆるりと意識を手放し生命を終わらせた。
首に銃弾が触れた頃、元元首を取り囲んでいた人々は漸く通常の意識状態を取り戻し、必要とされる各種の行動〜要人の安全確保、犯人の身柄拘束、状況の理解と統制〜を開始ししたものの、要人の安全以前に生命が既に失われているようであり、目的を完遂した犯人なども既に幽霊のようにぐにゃりとして感触がなく、そしてこの現場という一点を中心した状況というものが、この瞬間を契機としてどのように推移していくのか、その時点の誰にも理解そして統制など出来るはずもなかった。
おもちゃのようなショットガンを手放した男を地面に押さえつけながら、警護に当たっていた数人の男達は、一体何が起こったのか、始まったのか、それは終わったのか、現在を形作る全ての切れ端について理解が及ばず混沌としながら、藁をも縋る思いで犯人の四肢を握り締め、体幹に抱きついていた。同じようにして元元首の死体に縋り付いている者もあり、役目を終えた二つの肉体のみがこの場を支えるリアルであるかのようだった。確かに実際、一人の男が一人の男を殺し、一人の男が一人の男に殺されたということ以外、どの時点の誰にとって何が分かるというのか、その時点の誰しもにとって理解の外であった。そして後に判明していくことだが、どの時点の誰にとっても、この事件の具体的な意味合いは何も分からなかったのである。数少ない人々は最初の時点で、微かに香る無意味の匂いを感じ取っていたようであるが、そのような人々は揃って遠くにあり沈黙していた。
さて、事件の直後にこの国の各種メディアは元元首が銃撃されたこと、そしてその後に死亡、というか死亡が確認されたことを報道し、それに合わせて各社各様に哀悼の意を表した。それらのことは海の外の外国メディアについても同様であり、また、国家という枠組み関係なく元元首を知る誰もが銃撃と死去の事実に言及し哀悼の意を表し、何よりもそして人々は、それら始まりの事実以上のことを知ることで、自分の心に起こった不分明な感情に行き先や意味合いを与えようとしていた。
しかしながらこの銃撃事件は、偉大よりもずっと虚無に近しい一つの悲喜劇であって、初めから自明であった主旋律〜一人の男が一人の男を銃殺したこと〜それ以外で聴き取るに値する有用な事実は一つも見つからなかった。どれだけ聴き耳を立てても、まるで幼い単調なメロディーか、細かな雑音の繰り返ししか響いてはこなかった。遺族にとっても何より辛かったのは、この事件に関するそのような感触、手応えの無さだった。いやはや銃撃犯は何者でもなく、果たして銃撃犯には何も無かったのだ。彼は隔離されたワンルームアパートメントで、孤独と情報に塗れて揉みくちゃにされた一人の中年男性であり、その密室で培養されたヴァーチャルリアリティは、過去からの惰性の上にほぼアトランダムに構成されていた。ただそれだけのことが後の捜査によって明らかになっていった。
しかしながら当初、身柄を拘束されてから男は、特に何も語りはしなかった。黙秘を決意しているというよりは、喋ることは何も無いという風だった。彼にとって重要であったのは、手製の銃で元元首を殺傷するという行為そのものであって、その先に何がどうなろうと彼にとっては無差別かつ無感覚であり、何がどうなろうと彼は自身の行為によって既に救済されているようですらあった。しかしながら同時に、既に自身の人生の主導権を何か〜過去や環境、または彼にとっての必然〜に譲り渡していた彼は、捜査に当たる善良な人々の求めに応じるように、微かながらも徐々に間欠的に、自らの動機や経緯そして契機を語り始めた。
実際のところ無内容な自分が、善良な人々の求めに応じて口を動かしていく感覚や感触は、彼にとって不可思議なものだった。意識と無意識の曖昧な狭間、意志による方向と環境に由来する圧力の狭間で、求めと求められのブレンド、そして偶然と必然のカクテルに酔いながらずっと自分でシェイクして吐き出しているような気分だった。出来上がった次の一杯に舌鼓を打ちながら、とある宗教団体に恨みがあって、と、彼は口にしながら耳にして、そうふんわりと伝えられた調査官は、お互いにとって納得のいかない証言を紙に太い黒ペンで書き写しながら、そしてその横で書記官が電子計算機にタイプしながら、そうだったのか、そうだったのか?と思いながらもそうだったのだと思い込むことにしてページを着々と埋めていった。
ページが最も進んだのは、男が手製の銃の製作過程について詳述した時であった。従軍の経験から銃に触れることに抵抗はなかったこと、そして意外にもシンプルな機構を自分で再現できると信じられたこと、実際に鉄パイプやその他の材料を買いに出た時の高揚感と、初めての試作品が爆弾のようにして弾け飛び、ちょっとした間違いで指の何本かを失いそうにもなったこと、そして何より、初めて予想通りの弾道と威力を実現した時のあの興奮と満足、肯定、自分の人生をコントロールしているという圧倒的な充実感、そして爆音と物理的破壊がもたらす耽美な征服。これらの語りの聞き手となった調査官は、不意に自分が中高生であった頃の文化祭の、名も無い祭りに紛れ込んだような高揚感や、ちょっとした暴力や乱行を許されたように思えて興奮した体育祭、それに日々激しかった部活動を思い出して、少しの間ペンを止めた。そして現在の現実の目の前の男に意識の焦点を結び直した時、自分にとっても不明瞭な意識に導かれて何となく、あなたは自分の学生生活にどんな思い出がありますか、と聞くと、男は興奮を鎮めて無表情に戻り、元の藁のようにぐにゃりとした。
つまりこの事件に関わった誰しもの深い認識においては、この事件についてどれだけ探求を費やしても、何も明らかにはならないし、どんな納得も起こらないだろうということが明らかであったが、無意識の闇に沈んだその不条理な真実に、意識の光を当てて自発的に溜飲を下げることのできる人はごく少数であった。
ということで銃撃犯の人格や生い立ち、そして犯行に至る経緯や歴史そして意志までもが、調査にあたったその都度その都度の調査官と犯人その人の間で、つぎはぎキメラのように紡ぎ出されていった。ということで最終的に、その男がどこで生まれて何をして、あの時あの場所でどうしてあんなことをしたのか、一応の交響曲が作曲されるに至った。各々は顔を顰めつつもその奇怪なメロディーを鑑賞し、形式的な溜飲を形式的に下げた。この一連の様式は形式に関する荘厳な儀式であり、そこでは人間の感情や感覚などは考慮されず、ただ文字と言葉の整合性だけが崇められ、そして永久に保存された。
ということでそんなわけで、元軍人である一人の男が、権威と迷信によって練り上げられた階級社会に対する、入り組んだ自己嫌悪様の恨みを、彼にとって象徴であったかつての元帥に投射し、そして打ち壊した、というそれっぽいストーリーが人々の内に共有された。一度これを聞いてみると誰しもにとり、それは確かにそうであるような気がした。しかし一部の人にとって何より辛かったのは、そのような筋書きが出来上がってしまったこと自体はしょうもない偶然であり、そのような些細な偶然の積み重なりの途中に、ちょっとした人間らしい接触がもたらされていたならば、多分こんなことは起こらなかったであろうし、こんな事件を起こした哀れなエネルギーは、また違う穏当な偶然へと落着していたように思えることだった。
官僚機構が紡ぎ出したつぎはぎシンフォニーの奇怪さに惑わされず、底を流れる通奏低音を聴き取ろうとした一部の人々は、上述のような憐れみを抱いた後に、男に関する一つのイメージを抱くこととなった。そのイメージの中で男は、社会、人々の繋がりから自らを遠ざけ、社会、人々の繋がりから自らを隔離しつつも、自分は人々にそうされたのだという被害者意識に苛まれながら、その狭間にある地獄のような密室で、アトランダムな情報の怒涛の流れに曝された後に、ある特定の渦や沼のような情報の坩堝に嵌まり込み、そこで苦しそうにもがいていた。そして件の元元首こそは坩堝の求心力となっていて、象徴としてその中心に磔にされながら、渦に巻き込まれた無数の人々に、怨恨をぶつけられ、執着を塗り付けられていた。神曲にでも描かれていそうなこんなイメージを抱きつつも、先のごく一部の人々にとっては、やはり犯人がこのような坩堝に嵌まり、そこで象徴に惹きつけられていったことは、どうしても必然というか偶然と呼ぶべきもののように思えた。そもそも必然とは、確固たる生理的基盤の上に強固な意志によって鋳造される一個の芸術であり、彼ら無力で偶然なる人々は、つむじ風のような回転に晒されては無為に消えていく、遺すということを知り得ない人々である。そしてだからこそ偶然によって確かな生命が失われたという端的な事実は、多くの人に咀嚼し切れぬ苦痛をもたらした。その姿形や段階は本当に人それぞれであったが。
そしてここで、人それぞれにもたらされた苦痛の多様性について、遂に言及しなくてはならない。何故ならそれが、実際は単調でしかないこの事件によって生み出された唯一の多様性であったからだ。さて、この事件に心を留めた多くの人々の内の数少ない人々にとって、存在や経緯、そして来歴について不明であったのは、この銃撃事件を奏でた犯人という一人の男についてだけではなく、この男に銃撃されたもう一人の男、我々のかつての元首についてでもあるように感じられ、つまりは何によって何が失われたのかの両面が分からないという苦痛がもたらされ、そして極々少数の人々においてはそれを越え、そのような両面不明な事件によって社会という一個の事態が、これからそれによってどう変異そして推移をしていくのかが分からないし、もしかするとどうもせずに何も起こらず、翻って本当は何も起きなかったのかもしれないという入り組んだ、故に強固かつ深淵な虚無のような苦痛が、しゃらしゃらと軽い音を鳴らして吹いていた。
この事件が起こるまでは、銃撃された元元首について、分かっていることは多いように思えていた。その国史上最長とも言える支配体制を組んでおり、その間に多くの大きな施策が打ち出され、何かが壮大に組み替えられたように謳われていた。しかしながら市井に生きる人々にとっては、全てが自然な衰退を迎えているという微かな変化の感触以外を、彼の長い任期の内に感じ取ったことはなく、またはシンプルに元元首が在任中に何をしたのかを問われると、彼の名前が冠された施策の名前を繰り返すだけで、社会という壮大な機構の奥底に、どのようにメスが入れられてどんな処置が施されたのか、やはり誰にもよく分からず、元首その人自身についても、善良ではあるということしか分からないようだった。トートロジーばかりが謳われる中で、失われて初めてこの人は何だったのかと自問する人も多かった。なのでこの人が失われたことにより、社会という事態の全体がどのように変異そして推移していくかなど、市井に暮らす殆どの人にとって分かるはずもなく、そのことがどうしてかどうしても、記憶に響く鈍痛のように残っていくのであった。
しかしながらこの種の曖昧な苦痛は、例えば元元首といった個人に責が帰されるような性質のものというよりは、人々が身を託す社会という舞台装置が、役者であるところの市民や元首の期待と予想を遥かに越えて大きく複雑になってしまい、よって観客にとってさえ全貌が見失われ、いつの間にか脚本や監督さえもが消え去っていたことにその責任が帰されるような、そういう種類の痛みであるように思えた。そのような意味で無責任な苦痛を、上手く処理できるような人は本当に少なかった。そもそも奇形な銃の引き金が引かれたのは、そのような無名の苦痛による誤作動によるのかもしれなかった。全体像を収めることが不可能な複雑怪奇が、人間の視界を逃れた何処かでそれとして調和を保ち、静かに回転しているかのようだった。
した者とされた者についての、何をどうしてそして誰、そうして起こったことに由来する、何がどうまたは何も、そして全体として本当は何で、それから何が。このような奥底の骨格の、どの節に引っ掛かるのかは人それぞれであり、よって人それぞれの困惑と苦痛が展開され、それはそれで一つの大きなメタ的な、不可思議で奇怪なシンフォニーを構成していて、それをそれとして聴き取り顔を顰めていたのは、この世に隠された幾人かのピエロだけであった。ピエロ達は、一人の人間が殺されたという素朴な段階の事実に対して自然な感情を即座に表し、よって素朴な苦痛に留まり浸ることのできる無垢の人々を羨みながら、自分達ピエロに特有の、これまた複雑怪奇な認識に由来する空虚な苦痛と、翻って抱かれる無垢な人々への羨望を表することもできないままに、周りに合わせてただ可哀想だと呟きながら、この事件が孕む本質的な空洞を見抜き、そして手に触れていた。
象徴のような偶然の無内容が、目に映った似たようで少し違うが少し似た象徴のような男を、鉄パイプに詰め込んだ無数の鉄球で殴りつけた。一瞬の静謐の後に、地震のような衝撃波は各地を襲いつつ過ぎ去り、プレートの歪みは刹那に解消されて、今は平行線に元通り。それによって地球と社会に何が齎された訳でもなく、ただ惑星の通常の運行が、いつの間にか再開されて、プレートはまた歪みと入り組みを、少しずつ少しずつ蓄えていく。
そして今日、現任元首が哀悼を重ね、同じ地平で何処かの誰かが部屋を出て、大根を買い、鉄パイプを買う。その人にいってらっしゃいと、呼び掛ける声があったりなかったり。そのようにしてこの日の午後も、あの日と同じように暮れていく。