群話 『 ウサインボルトの筋肉痛、葉緑体の緑、朝鮮人を虐殺、たった少女の自殺 』
更なる世界新記録を打ち立てたばかりのウサインボルト氏は明日か明後日、彼の若々しく雄々しい肉体にはすぐに訪れるであろう躍動の代償、彼の世界新記録並みの筋肉痛について思いを馳せていた。この後の会見で記者達は自分に、世界記録を更新した心境を問うて来るのだろう、しかし何と答えればいいのだろう、いや、何をどう答えようが彼らに何が伝わるのだろうか、もしかすると今回は、筋肉痛について一言を伝えればいいのかもしれない、つまり彼らが私に、私の躍動について私の、感想を求めたら、私は彼らに私の、すぐに訪れるであろう筋肉痛について逆質問をすればいい ーーー
ーーー 世界記録更新、おめでとうございます、心境は如何ですか?
世界というものを塗り替えたばかりの黒塗りの男はむしろ穏やかに問い掛けた。
ーーー 君は俺の筋肉痛を想像することが出来るかい?
この会見が執り行われた会場のある施設のバックヤードの一隅で、観賞芝生用のペンキ散布を逃れた本当に片隅の芝生のひとひらを構成する一つの細胞に、巣食う幾千の葉緑体の内の一つは、ここバックヤードを訪れるスプリンターの所有するピットブルの股ぐらから飛散されるブルシットをも免れながら、たった一つの命題にアタマと言えるような永久機関を悩ませていた。
ーーー 私はどうして葉緑体と呼ばれているのか
ーーー 緑は私にとって最も無用、無関係な光であるのに
ーーー 私は光の青と赤を愛し、緑を拒絶しているというのに
光合成を執り行うところの葉緑体クロロフィルは光の全体を愛しながらもその青と赤を選択的に受容することで結果的に酸素と炭水化物を生成し排出しつつ光の緑を不用として反射し透過する。つまり物事の本質をその働きに見るのであれば、葉緑体にとって光の緑とはその本質ではなく完全に無関係でありながら、観察者でありつつ言語話者であるところの我々に、奇しくも葉緑体と呼ばれている状況にある。更に言い換え、葉緑体はその働きにとり最も無用でありそしてその本質にとり最も無関係であるところのものによって名付けられており、すなわちこれは影によってその物の呼び名が決せられているようなエピファニーを代表している。エピファニーという語はここで完全に誤用であることだけは確かでありながらしかし、黒とは光の全てを吸収する広量でありまた、白とは光の全てを反射する狭量であると言うは何の間違いでもないだろう。問題として生起し得るは対応する範囲の広さや狭さについてどうしても感情が付いて回るということだ。しかし広さと狭さと優劣の関係は時代に応じてダイナミックにツイストさえする。
ーーー オラは朝鮮人でねえ、オラの名は ーーー
大規模な自然災害が起こった後にそれとは無関係にして朝鮮人が大規模に惨殺される。無関係とは言ったがそれは発端となった出来事の所属する自然の位相に於ける関係無であり、私達人間が実際かつ最終的に陥るところの位相である人為に於いては全く関係有る虐殺である。つまりあらゆる者共に関するあらゆる虐殺と惨殺につき問題であるのは、背景と動機そして原因と結果と言ったような先行する要因と後行する結果についての、自然と人為にまつわる異なりであるのだろう。天災とそれに続く人災は、天に於いては無関係でありながら人の間では絶対的な関係を有する。むしろ我々人間は、地震あれば朝鮮人を虐殺すると言うような現象の連なりを絶対的な因果として信仰した方がいいのではないだろうか。さすれば当然に対する人為としての意志と努力によって惨劇は回避されよう、されることはなくともされ得よう。しかし一人の少女の無名の死は、それが特に自殺である場合には絶対に誰によっても回避など出来はしない。それは世界という交響曲が歴史以前から欲する贖罪か蝶番、または清算混じりの帳尻合わせのようなものなのだから。
ーーー 本日未明、ヒースクリフで四歳の児童の死亡が確認されました、当局は死因の特定を急いでいます
アイスランドより東の土地でそのような報道が為された頃には、既に世界の東半分の各地で沢山の少女が朝日観測と同時に自殺を連続して遂行していた。この日きっかり地球全体二十四時間の間に、経度一度に一人くらいの割合と頻度で、世界各地の少女は少年に別れを告げて、まだ暗いという意味で文字通り未明の寝室を抜け出し、者によっては本当に初めて同伴者無く家を飛び出て、そのまま自然の突き当たりと呼べそうな場所までを疾走し、そして朝一番の白い陽光を浴びながら自殺した。そのような世界の挨拶と自死のリレーが都合三百六十回、各地一人の無垢かつ無名の少女によって執り行われ、この静かで厳粛なプロセスの途中から世界の他の人々は、それはこういうプロセスなのだという共通認識に達しながらも、対抗策と呼べるような何事かを実行することが出来ないままでいた。こうして地球の永い永い一日が終わり、終わった直後に集計したところ犠牲か贖罪は本当に三百六十人か三百六十回であり、この集計情報がまともなインフォメーションとして報道ネットにアップロードされた頃、世界を塗り替えたばかりの黒塗りの男は、自らの躍動と躍進に伴う贖罪であるところの筋肉痛の予兆に、他の誰にも分かりはしない痛みにまつわる短い呻きを、小さく一つだけ上げたのでした