
Photo by
selfphoto_on
あとから人を好きになるということ
恋愛至上主義が世を席巻してから長い。
最高の人と、最高の恋愛をして、最高の結婚をする。
恋に酔いしれた現代人はこのような理想を思い描いている。
しかし、私はここに違和感を覚える。
なぜなら昔はそうではなかったからだ。
聞くところによると、私の曽祖母は結婚する相手と「その日に」初めて会ったらしい。
「あの橋の下に行ってごらん、あなたの結婚相手がいるから。」
このように言われたら、現代的な感覚を持つ人だと飛び上がってしまうのではないだろうか。
いったいこれは何ハラスメントなのかと。
しかし結婚は上手くいった。
曽祖母と曽祖父と添い遂げたし、もちろん中には上手くいかなったこともあろうが
結果として、終生歩みをともにしたことになる。
翻って現代の恋愛文化はどうだろう。
まず先に理想の相手がいて、その人と燃え上がるような恋をする。
現代が考える理想的な恋愛だ。
だが曽祖母が示してくれた昔のお見合いの文化を考えるに
そのことは、恋愛しいては結婚の絶対条件ではない気がする。
その日、初めて橋の下で会った人と人生を全うすることができたのだ。
その日、初めて橋の下で会った人と一生を共にすることができたのだ。
このことが雄弁に語るのは、人は結婚するときなにも最初から好きである必要はないということだ。
時間を共有しているうちに、人生を共に過ごしていくうちに
結果として、あとからいいところを見つけていってだんだんとその人を好きになっていく。
そういう愛があってもいいのではないか。
だがしかし近年台頭するマッチングアプリなどはその逆をいっているような気がする。
何事も条件ベースで考え、まるでカタログショッピングをするように相手を探す。
そんな打算的な愛が私にはうまくいくと到底思えないのだが。