クズ野郎の私より
民間就活生は一般的に「自己分析」というものをやらされるんだけど、その結果がなかなか尖っていたらしく(内定先が教えてくれた)、面白かった。
私は人に興味がないらしい。
なるほどね、言われてみればなんとなくわかる。保育園、小学校×2、中学、高校、と過去のコミュニティで知り合った中で連絡途絶えてない人、1人だけかもしれない。
まぁ中学も高校も、同窓会とか何かの拍子にご飯行ったりとかはあるけれど。コミュニティを離れたら基本後はつながらないことが多い。みんなそんなもんだと思うんだけどなぁ。
結果として協調性に乏しいらしい。社会人向いてなさそう。あと柔軟性に乏しいらしい。頑固ってことだね。というかそこまでボロクソに言うんだったら普通不採用では~?
他人に興味がないらしいので人にそんなに親切ではないはずなのですが、コミュニティによっては結構人に好いてもらえるんだなぁというのが最近の感想です。
というのも、先日7年ぶりに中学の同期から「会わないか」と連絡がありまして、特に断る理由もなかったのでお茶したんですよ。彼の言い分だと浪人していて就活をこれから始めるんだけど、県内で就職したいから県内就職者の話を聞かせてほしい、と。なるほど、ごもっともである。私は東京就職だけど、確かに学科の子やゼミの先輩は結構な数が県内就職しているわけだし、県外に進学しているなら県内進学の私より、そういった情報は手に入りにくいだろうし。
で、まぁ普通にお茶をしたり昔話をして、二時間ほどして解散したんですが、最後に「10年前から好きでした」と。
ごめん、私、10年前ソイツと話した記憶、ない。どうやら小学6年生の冬にあった、入学オリエンテーションとやらがきっかけらしい。私、何話したんだろうか。話さなさそう…。
で、そこから中学三年間だけでなく、高校、大学とずっと好きでいてくれたらしい。
ありがとう、うれしい、7年間音信不通で電話番号もメールアドレスも変わっている相手に一途でいれてすごいね?私は無理。というか中学のときもそこそこ仲は良かったものの、毎日楽しく話すような仲ではなかったよね?すごいな。
「10年前から好きでした」。
うーん、なかなかいい響き。私、10年間も想い続けてもらえるほどイイヤツだったんだなぁ。就活でボロボロになった自己肯定感が増していく音がするぜ。その子、そこそこきれいな顔立ちをしているって人気だったし、頭も普通にいいし、真面目だしで結構評判よかったのがさらに自己肯定感を後押ししていく。
で、まぁ彼はこうして告白してくれたんだけど、中学の同期で告白してくれるのはこれで6人目で、同期に男子は24人しかいなかったから、実に学年男子の4人に一人が私のことを恋愛対象としていたという結果になった。25%。お前ら、一人の女に引っかかりすぎでは?そして告白して振られた人たちは姿を消していくし、私は公の集まりには参加するほうだからその人たちは来なくなるし、サークルクラッシャーみたいになってきた。ウケる。
過去の5人はガキ大将・不登校・インキャデブ(告白したいからこの番号に電話かけてほしい、という意味不明な要求をしてきたヤツ)・ヤリチン(セックスの話しかしてこない)・腐ったオタク(「君に聞いてほしい曲があるんだ」と恋愛ソングを聞かせてきた)と、みなさんなかなか個性的だった。それに比べればダントツで普通のいい子なのは間違いないんだけど、10年間はちょっとこじらせてきている感がぬぐえない。人生の半分やんけ。早く新しい子に目が行くといいね(他人事)。
というわけで自慢話でした。高々6人くらいで何自慢してんだって思ってください。私にしては一大モテ期だったんです。それにしても中学生の頃の私、実はクソビッチだったのでは説が浮上してきた。実際中学生にしては男子と距離を置かないほうだったし、将棋とか政治とか数学とか、そのとき男子の間で流行ってたもの全般に強かったし、ほかの女子と群れて行動することも少なかったけれど。あと今より肌がきれいでハゲてなかった。うーん、そこかもしれない。うん、クソビッチだったっぽい。つらい。
22年間生きてきて分かったのは、特別な人っていうのはあとから上書きされていくのではなくて、居座り続けて、新しい別の席が増えていくっていうこと。私の中で特等席に座った人たちは、その後もずっと特等席で、その分野のトップであり続ける。中学の同期にも、高校の人にも、今の大学にも、何人かそういう人がいる。その分野は「東京を一緒に散歩する人」とか「一緒にゲームをやる人」とかそういうかなり細かい分類だけど。
たぶん、言ったのはやなせたかしだと思うんだけど、「幼少期、心に住んだキャラクターたちが座っていた席が、大人になってから大事な人を座らせるための席になる」らしい。というかざっくりこんな感じだったって言うだけで、正確には覚えてないけれど。私の中にいたアンパンマンが(私はノンタン派だったが)座っていた席に、もうアンパンマンはいなくて、アンパンマンの代わりに現実で出会った誰かが座っているのだという。「だから小さいころにいっぱいお話を読んだり見たり聞いたりしようね」っていうことなんだけど。でもどうやら現実の人の席は固定らしい。旅立つのは二次元だけなんだなぁと思いました。
とかなんとかかんとか書いていたら、告白してくれた子に申し訳ない気持ちになってきた。
10年も席占めちゃってごめん。まぁ椅子じゃなくて御座かもしれないけど。
何も返せなくてごめん。特に何ももらってないけど。
君を差し置いてほかの人を好きになったり付き合ったりしてごめん。でも別段、連絡取る気なかったんだわ。
多分、初恋だったんだろう。素敵な思い出を粉々にしてごめん。でも初恋って叶わないらしいから。高校時代なーんもなかったからその辺でコクってくれればワンチャンあったかもしれないのに。なんで7年も温めたんですかねぇ。
久しぶりに会って幻滅させてしまった感がすごい。ごめんな。でも勝手な幻想抱いた君も悪いんやで。
私、片思いって好きなんだよね。一番自由だと思う。大学で丸山眞男研究ののゼミにいたから、ついつい丸山眞男を引用してしまうのだけれど、彼の有名な著作(国語の教科書に載ってる)に『「である」ことと「する」こと』というものがある。覚えておいでだろうか。その中の一文に「自由であると信じている自由人は、偏見から最も自由でない。一見矛盾しているようであるが、それは、自分の思考や行動を点検しないからであるという逆説して成立する。逆も同じである。自分はとらわれている、自由でないと思っている者は、自由になり得るチャンスに恵まれている。それは、より自由に認識し判断したいと努力するからである。」というのがある。要するに、自由な状況に置かれている人ではなく、「不自由な状況で自由でありたいと努力する人」が真に自由なんだっていう話。
これ、片想いと同じだと思うのよね。真に両思いの安寧の中にいる人よりも、両思いになりたいと願ってそこに向けて努力している人こそが恋している人であると。
明日は会えるだろうか?
会ったら何話そうか?
あの子は夏祭りに行くって言ってた。自分も行けば会えるだろうか?
今何してるんだろう?
夢で会えたらいいな。
みたいなさ。永遠に考えていられる。永遠に好きでいられる。それでいて、幸せじゃなくて、ずっと足りない気持ちでいられる。
何をしてもよくて、何をアピールしてもよくて、どれだけ悩んでもよくて、絶望して、希望を抱いていたっていい。誰とデートしたっていいし、ほかにいい人ができたら心を変えていいし、また戻ってきてもいい。
恋人同士になると悩むことはあんまり許されない。
10年も片思いするのはどんな気持ちなんだろうか。ずっと楽しかっただろうな。私もそれくらい、誰かに執着できる性格なら良かったのに。そんなわけで、私は片思いが好き。今でも、片思いがしたいと定期的に思う。実際やったらダルいし何より相手がいないのでやっていないし、やる予定もないのだけれど。
ちなみに今やりたい片思いは私はA君のことが好きなんだけど、友達のBちゃんもA君が好きで、それをお互い知って、「一緒に頑張ろう」ってライバルでありつつも共闘関係になるんだけど、当のA君は私とBちゃんといつも一緒にいるCちゃん(優しくてふわふわで可愛い)のことが気になっている(本人はまだ恋と気が付いていない)っていう状況です。なんならもういっそA君に幸せになってほしくてCちゃんとくっつけるようなこともしてしまったり、それを後悔したり、Bちゃんと泣いたりしたい。どこの青春漫画なんだ、無理がありすぎる。でもすごく楽しそうだと思ってしまう。中学の時も、高校の時も、片思いしているときは毎日必死だった。
その必死さが好きで、今もその必死さだけを追い求めている。