PCR検査の原理 ~原理面から考えた特異度と感度
ここまで、実際に行われた多数の大規模検査の結果から特異度について、また各種検査結果に基づいて書かれた多数の論文から感度について、それぞれ精度がどの程度と考えられるかを見てきました。
次に、この章では、PCR検査の原理から考えて、その精度についてどのような推論が成り立つかを検証したいと思います。前章までは、河下から考える検証、本章は、河上から考える検証、といえると思います。
さて、PCR検査で検査されるのは、体内でのコロナウイルスの有無です。
検査の精度を考える上で、この検査対象であるウイルスについて考えます。ウイルスとは一体何でしょうか?
ウイルスは細菌と混同されやすいですが、ウイルスと細菌は全く違うものです。
以下は、アメリカの大学の教養課程等で、生物学の教科書としてよく使われている本の中の、ウイルスについての説明です。(カラー図解アメリカ版大学生物学の教科書第2巻分子遺伝学 D. サダヴァ他 著 講談社2010年5月 20日)
■「ウイルスは細胞ではなく、細胞からできているものでもない。多くのウイルスは核酸と数種類のタンパク質のみから構成されている」
■「ウイルスの大半は、最も小さな細菌よりもはるかに小さい」(287ページ)
また、新型コロナの科学 出村政彬著 日経サイエンス社 2020年12月 28日、という本では以下のように説明されています。
■「バカっと開けると、中には核酸が入っているだけ。中では何も動いていません。ウイルスは単にDNAやRNAを運ぶカプセルなのです」(36ページ)
■「ウイルスはタンパク質の殻の中に、DNAやRNAがポツンと入っているだけです」(36ページ 図2-1の説明)
なお、以上、引用した2冊の本の中の説明は、特にコロナウイルスについてではなく、ウイルス一般についての説明です。
ウイルスは、DNAやRNAを、タンパク質の殻でおおっているだけのもの、と理解して大体よいと思います。上記、「新型コロナの科学」出村政彬著、によると、コロナウイルスは、ウイルスの中でも、「この殻がさらに脂質の膜で覆われているタイプ」、ということです。また、この脂質の膜は、エンベロープと呼ばれており、アルコールで消毒できるのは、この脂質の膜がアルコールで溶けるからだ、と説明しています。
このように、ウイルスでは、DNAやRNAをタンパク質の殻がおおっています。コロナウイルスの場合は、タンパク質の殻の中にあるのは、DNAではなくて、一本鎖のRNAだけが存在しています。DNAは通常、二本のポリヌクレオチド鎖が二本一組で形成する二重らせんの形で存在するものです。これに対して、RNAは一本鎖として存在します。
文章で見ても理解しにくいですが、図で見ると分かり易いです。Semantic Scholar というサイトにある論文に図が載っていて、それが分かり易いと思いますのでそちらのFigure3と4をご覧ください。
https://www.semanticscholar.org/paper/Discovery-of-DNA-Structure-and-Function%3A-Watson-and-Pray/9788c917dae2445fbd8ceacba2110ed60b6c72a7
DNAは全体構造としては、同じ構造のポリヌクレオチド鎖が二本組み合わさっています。そして、細胞分裂の時にその二本から成る組み合わせが外れて、それぞれの一本が、新たに同じ構造から成る新しいペアを作って「二本組が二つになる」形で増えて、細胞分裂して出来る二つの細胞に一つずつ分かれます。一方、RNAは通常我々の体の中で、DNAの情報を写し取って、その情報に基づいて色々な体の部分になるたんぱく質を作る働きをしているようです。
牧田寛は、著書「誰が日本のコロナ禍を悪化させたのか?」扶桑社 2021年8月24日(以降は、書名を時に「誰が日本のコロナ禍を。。」と表記します)で、以下のように書いています。
「PCR法は、確定的分析法ですので、求める遺伝子が「ある」か「ない」かの二元論しか存在せず、結果は「一意に定まる」ために推定する余地はありません」(261ページ)
私は、牧田寛が言っているのが何を指すかが完全に分かるわけではありませんが、基本的には、私も、PCR検査について、この言葉で表現されているのと、多分同じような理解をしていると思います。要するに、PCR検査では、結果は、例えば肺がんの画像診断のようにこの位の黒さのこの大きさの塊が見えるから、癌の可能性が高い、のように推定するものではなく、有無を検査しようとしている遺伝子が「ある」または「ない」という形で結果がでるため、前記肺がん診断のケースのような推定の余地はなく一意のものである、ということです。
なぜそのような理解になるのでしょうか。そうした理解になる理由を知る上で、PCR検査の原理と、DNA, RNAの構造を知ることが大切です。
DNAの立体構造は、先程挙げたSemantic Scholarというサイトの図などを見ると分かります。頭の中で想像できる平面構造は、縄梯子のような形をしています。実際に存在する形である立体構造は、その縄梯子を、とても長い丸い棒に、斜めにぐるぐる巻きつけていって、形状記憶のように固めた後、その丸い棒を引き抜いた後の、その縄梯子のような形状をしています。
DNAは、構造的には、前段落で形容したように、よじれた縄梯子のようですが、この縄梯子は、仮にそのぐるぐる巻きを巻き戻して、平らにした形を仮想的に想定すると、左側と右側に分解できるようになっています。縄梯子の、左右の長い縄を結び付けている中央の短い縄のところは、線路の枕木のようにも喩えられると思います。どこで分解できるかというと、枕木の一定箇所で分け目があって、枕木の左側部分と右側部分が結合しているという感じです。
この枕木部分に当たるところは、塩基対、と呼ばれていて二つの塩基が結合しています。この「塩基」については、「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」https://kotobank.jp/word/%E5%A1%A9%E5%9F%BA-38032では、「狭義には酸を中和する能力のある化合物,または水溶液中で OH- イオンを生成する化合物をいう」と説明されています。しかし、PCR検査の原理を理解するためだけなら、そこまで難しく考えなくとも、ある種の化学物質、というくらいの理解で十分だと思います。DNAのこの塩基対を構成している塩基は、アデニン、チミン、グアニン、シトシン、という物質だけです。このうち、対になるのは、アデニン=チミン、と、グアニン=シトシン、という組み合わせだけです。言葉が長いので、簡単に標識的に表すと、A-T と G-C の組み合わせだけ、ということになります。上記で、枕木に形容した部分は、左側のアデニンと右側のチミンが結合しているか、その逆か、または左側のグアニンと、右側のシトシンが結合しているか、またはその逆か、その組み合わせしかない、ということです。
DNAの遺伝情報は、このA、T、G、Cの四つがどういう順番で並んでいるか、という形で記述されている、というか決まっているものです。
必ずA-T と G-Cの組み合わせである、ということは、二重らせん型の2本鎖の形で安定していたDNAが、(仮想上の)左の鎖と右の鎖が、それぞれ1本鎖として分解されて別れた場合、分かれた後も、塩基対のそれぞれについて、元々対になっていた相手の塩基が何かは間違いなく分かる、ことです。必ず、A-T と G-Cの組み合わせなのですから、例えば一本鎖のDNAのある一部分にTGACの形で塩基が並んでいれば、もともと対であったのは、ACTGだと「一意に」決まります。
二重らせんの2本鎖として安定していたDNAが、一本鎖2本に分裂して、細胞分裂した二つの細胞にそれぞれ振り分けられると、各細胞で、それぞれ元の2本鎖のDNAの塩基対をなしていたが離れて無くなった、対になる塩基が復元されれば、両方の細胞の中で、前と全く同じ構造の、二重らせんの2本鎖ができる、と理解できると思います。元が、ACTG とTGACの形で向いあっていたのが、ACTGと、TGACにバラバラになりますが、バラバラになって対の相手を失ったACTGは、新しくA-TとG-Cの組み合わせを作りさえすれば、自動的にまたACTG とTGACの対合になるし、バラバラになって離れていったTGACのほうも同じ、ということです。
よく理解している方には、ちょっとくどいかもしれませんが、更に直観的に分かり易い言い方を考えて見ると、沢山の夫婦に、夫婦が隣合う形で一列に並んでもらった形を想像できると思います。夫婦は相手は決まっていますので、一回どちらかの(妻側か夫側の)列が解散しても、片方の列が解散せず元のままの並び方なら、夫婦で形成された元の列を復元するのは容易です。解散した人たちに「ご自身の夫(妻)のところに行ってください!」と言うだけでよいからです。
私は、単に分子遺伝学的なことに興味があるだけで、昔は化学も苦手だった、ただの素人ですので、以上の説明は、或いは、ある程度間違っている可能性はあると思います。しかし、PCR検査の原理を理解する上での、DNAの構造に関するおおまかなイメージとしては、大きな問題がある程度には間違っていないのではないか、と思います。DNAの構造について、ご自身で興味のある方、確実に知りたい方は、私が先に引用した「アメリカ版大学生物学の教科書第2巻分子遺伝学」Dサダヴァ他 講談社 2010年5月20日、で確認されるか、他の分子遺伝学の本等でお調べください。
さて、PCR検査は、細胞分裂の時とちょうど同じように、検査対象に数少なく存在しているDNAを、それぞれの2本鎖を分けることにより、各1本から新しい2本鎖を作り、倍、倍、と増やすことで、検出可能なDNAの数まで増やす方法を取っている検査です。私は素人なので、念のために言いますと正確にはちょっと違うかもしれませんが、全体的なイメージはだいたいそのようである、といえると思います。牧田寛の著書「誰が日本のコロナ禍を。。」では、「PCR法は、40回の核酸増幅反応(PCR)によって約1兆倍にDNAやcDNA<*>を増やしますので不確実性がほとんどありません」(221ページ)と説明されています。国立遺伝学研究所の川上浩一教授は、ツイッターでの2022年1月1日のツイートで、「PCRは、少量のDNAサンプルから特定の部位(部分)を大量に増幅する技術、方法です。検査は、その応用」と説明しています。要するに、PCR検査は、少量存在するDNAを、二倍、その二倍、という形で幾何級数的に全く同じものとして存在数を著しく増やす検査である、と言ってよいのでないかと思います。
さて、以上で、なぜPCR検査でDNAを増幅して増やせるか、ということは皆さんイメージが湧いたのではないかと思います。ただ、PCR法は、DNAを増幅する技術であるのに、コロナウイルスは1本鎖のRNAであって、DNAではありません。その点はどうしているのでしょうか。
この点については、牧田寛はこのように言っています。「PCRでは、RNAを増幅できないためSARS-CoV-2ではRNAを鋳型にコンプリメンタリDNA(cDNA)を合成し、このcDNAをPCRで増幅する」(「誰が日本のコロナ禍を。。」牧田寛 222ページ)
コンプリメンタリ、という言葉が出てきましたが、英語でcomplementは、生化学用語で「相補体」という意味があります。ですから、牧田の言うコンプリメンタリは、相補的、という意味と思われます。
RNAは、私が、この項の最初のところで書きましたように、我々の体の中で、DNAの情報を写し取って、その情報に基づいて色々な体の部分になるたんぱく質を作る際に使われる設計図のように働いています。なぜそういうことが出来るのでしょうか。先程、2本鎖のDNAが、分かれて1本鎖のDNAになって、各1本鎖のDNAが、それぞれ新しく2本鎖のDNAを作る、と説明しましたが、RNAは、その時の1本鎖のDNAと似た働きをするからです。
先程、DNAのこの塩基対を構成している塩基は、アデニン、チミン、グアニン、シトシン、だとお話しました。また、対になるのは、アデニン(A) =チミン(T)、と、グアニン(G) = シトシン(C)、のペアだということも言いました。一方、RNAの塩基は、アデニン、グアニン、シトシンの三つのDNAと共通する塩基と、別にウラシル(U)という塩基になっています。
RNAは1本鎖のDNAの塩基と結合可能で、その場合の塩基対の組み合わせは、アデニン(A) = ウラシル(U)、グアニン(G) = シトシン(C)、となっています。1本鎖のDNA同士の結合では、アデニン(A) = チミン(T)だったのが、1本鎖のDNA とRNAの結合では、アデニン(A) = ウラシル(U) となる点だけが違っていて、あとは同じです。
速く書かなければいけない時間の制限の中で私の知力と知識では、それがなぜかを明瞭に理解、説明できないのですが、あるDNAの1本鎖が、特定のRNAに結合するためには、塩基のウラシルが並んでいるところで、DNA側では必ずアデニンが並んでいなければいけない、ということを考えれば、特定のRNAに結合するための、特定のDNAを設計できる、ということができると思います。とても雑駁な話になりますが、これは、沢山の夫婦を連れてきて、夫婦の片方だけを一列に並べた列を作った時、綺麗に夫婦のペアで並ぶ列を作るためには、もう一列の夫婦の片側は、現在の夫婦同姓の日本であれば、きちんと反対側の「姓」の並びと同じ順番に並んでもらわないとうまく二列にならない、というのと同じと思います。たとえば、片方の列が、田中→佐藤→高橋→鈴木、となっていれば、もう片方も異性の田中→佐藤→高橋→鈴木の順に並んでもらわないと、夫婦でペアになりませんね。
このように、特定のRNAに対して結合するDNAは、塩基配列が決まってくるわけです。少なくとも私にはそう理解できます。そして特定のRNAに対して結合する1本鎖のDNAの塩基配列は一意に決まってくるのであれば、コロナウイルスのRNAに対して結合する1本鎖のDNAは、塩基配列が決まっている、と言えると思います。
技術的な話として、実際には、どこからどこまでの範囲の塩基の配列が決まっているのかとか、また変異株によるRNAの塩基配列の細かい差異もあると思うので、話はそう単純ではないとは思いますが、基本的には技術的知識と、工夫と微調整でコロナウイルスのRNAに対して結合する1本鎖のDNAの塩基配列を部分的にせよ、確定できるのだろうと思います。
PCR検査は、DNAを二倍、その二倍と、順々にコピー、増幅して検出可能なDNA量にするものです。ですから、まず、綿棒でぬぐって取った、あるいは唾液の検体の中から、下処理として、(存在する場合)コロナウイルスのRNAを抽出する工程を設定し、その後で抽出されたRNAに相補的な、つまりコロナウイルスのRNAとぴったりと結合するDNAを合成して、そのDNAを倍、倍と増幅すればいいということになります。
実際のPCR検査では、DNAの倍、倍のコピーの連鎖反応を始めるのに、プライマーというものを使っています。このプライマーは、短い1本鎖のRNAです。プライマーは、前出の「アメリカ版大学生物学の教科書第2巻分子遺伝学」では、DNA複製を始める際の、『「スターター」鎖』、という表現の仕方をされています。
最初に私は、2本鎖のDNAは縄梯子のようだ、と形容しましたが、1本鎖状態のDNAは、縄梯子を縦に真ん中で綺麗に切った時の片側、のような状態になっていますから、2本鎖の縄梯子のような形にしようと思えば、片側の長い縄を一から作っていく必要があります。片側を何もないところから伸ばしていくことはできないので、実際の作られ方は、最初のところだけ仮の短いものを作っておいて、そこから伸ばしていくようにしている、というイメージです。その仮の短い物、がプライマーです。本当の人体の中でのDNAの複製では、プライマーゼといわれる酵素がこのプライマーを合成するところから始まります。一方、人体内の生体反応でなく、人工的なものであるPCR検査では、このプライマーは最初から用意されているようです。プライマーがDNAの特定箇所に結合すると、そこを起点にDNAポリメラーゼという酵素がDNAをコピーして伸ばしていきます。プライマーは短い1本鎖のRNAですが、一連のコピーが完了した後のRNAについては、前出の「アメリカ版大学生物学の教科書第2巻分子遺伝学」では、以下の引用の様に説明されています。
「RNAプライマーは分解されて、その部位にDNAが挿入され、生じたDNA断片は別の酵素の反応によって連結される。DNA複製が完了すると、いずれの新しい鎖もDNAだけからなる」(194ページ)
こうした形で複製が完了します。
さて、これでPCR法の反応で登場する物質の説明は一通り終わりました。DNA, RNAの構造に余り詳しくなかった読者の方の場合でも、PCR検査の原理の理解は以前より容易になったのではないか、と思います。
なお、一応お断りしておきますが、私は分子遺伝学に興味はあるものの、実際には素人で、分子遺伝学を専門的に長く研究したりしたというわけでは全くありませんので、自分で調べた結果恐らくこうだろう、という事で話しています。正確には、違っている可能性がありますので、その旨あたまに置いてください。
先程説明しましたように、PCR検査では、綿棒でぬぐって採取された、あるいは唾液として取られた検体の中から、下処理として、(存在する場合)コロナウイルスのRNAを抽出して、それと相補的な、つまりそのRNAとぴったり結合するDNAが合成されます。(なお、牧田寛によると、検体をRNAの抽出処理無しでリアルタイムPCRできる試薬を販売している試薬メーカーもあり、それはDirect-PCRと呼ばれているそうです。RNA抽出行程は、通常3時間くらいかかるが、Direct-PCRでは、その工程が省けるため、最速で検体採取後1時間以内に結果が出るそうです(「誰が日本のコロナ禍を。。」267ページ))
コロナウイルスのRNAが検体の中になかった場合は、何も抽出されず、当然コロナウイルスのRNAとぴったり結合するDNAも合成されません。(つまりこの場合は陰性の検査結果になります)
そのコロナウイルスのRNAが抽出されて、相補的なDNAが合成されて存在するかもしれないし、あるいは、コロナウイルスのRNAがないから抽出もされず、当然、相補的なDNAも合成されていないかもしれない、そうした状態の中に、プライマーが加えられます。
プライマーの塩基配列は、コロナウイルスのRNAと相補的に合成されるDNAの塩基配列と、相補的になるように設計配列されています。
もしコロナウイルスのRNAと相補的に合成されるDNAが、そこあれば、両者、つまりプライマーと、そのDNAが結合して、鎖の伸長が始まり、やがてDNAは2本鎖になります。そこからは、DNAは2本の1本鎖に分かれ、それぞれが2本鎖になる、という流れで、どんどん二倍、その二倍、とコピーされていきます。一方、もしコロナウイルスのRNAと相補的に合成されるDNAが、プライマーを入れたところに「なければ」、プライマーが結合するものがないので何も始まりません。
牧田寛が、著書「誰が日本のコロナ禍を。。」で、「PCR法は、確定的分析法ですので、求める遺伝子が「ある」か「ない」かの二元論しか存在せず、結果は「一意に定まる」」(261ページ)、と言っていたのは、この意味です。DNAがたくさんコピーされた、こと、それ自体がコロナウイルスのRNAが存在していたことを示すわけです。論理的な帰納の関係は以下のようになります。
コロナウイルスの存在を示すDNAの存在が検出された→
プライマーによるコピーが開始されていた→
プライマーが、コロナウイルスのRNAと相補的なDNAと結合していた→
コロナウイルスのRNAと相補的なDNAが合成され存在していた→
コロナウイルスのRNAが存在していた。
論理的にこのように考えられます。
牧田寛は、著書「誰が日本のコロナ禍を。。」で、さらに次のように書いています。
「PCR検査は、原理的に特異度100%であり偽陽性はヒューマンエラーによる検体の汚染や書類の取り違えまたは試薬・検査機器の選択誤りでない限り考慮する必要はありません」(233ページ)
私は、この下りを読んだ時もそうですし、PCR検査ではほとんど偽陽性の生じる余地がない、と話す他の人たちの話を聞いた時もそうですが、自分の分子遺伝学の知識で、最初からまずそうだろう、と思っていました。
我々の体の中では、DNAを基に、驚くべき正確さで毎日、毎分、毎秒、新しい細胞ができていています。それでも、普通には一生に何回か癌になる程度の事はあっても、それらの僅かなコピーの失敗数を上回る天文学的に圧倒的多数の細胞は、正確に目的のものが出来ています。DNAの塩基配列によるコピーの正確さはそれ程のものです。人体とか臓器とか、それくらいの大レベルになれば、総体的なエラーの蓄積で癌のような不具合が生じることはありますが、塩基同士の結合は、単純な化学反応のようなものなので、間違った反応で出来るはずのないものが出来て来る、という可能性は実際上はほぼ無視してもいいくらいの珍しいことのように思います。我々の常識的な感覚としても、できるはずのものが出来てこない、とタイプのエラーなら、そういうことはありそうだな、という感じと思いますが、活字をランダムに並べて何かの間違いで川端康成の雪国の最初の10行くらいとまったく同じ文字の並びが出来てしまう、というのは全くありそうでもないことです。
ですから、PCR検査で10回、30回、40回と二倍、その二倍とどんどんコピーを重ねて、コロナウイルスのRNAと相補的なDNAが検出されたら、それはもうコロナウイルスのRNAがあったことにほぼ間違いないだろう、というのが科学的な意味で言っても常識だろうと思います。牧田寛は、その著書「誰が日本のコロナ禍を。。」で、起こりうるエラーの可能性として「ヒューマンエラーによる検体の汚染や書類の取り違えまたは試薬・検査機器の選択誤り」(233ページ) を列挙しています。岩田健太郎医師も、その著書「僕が「PCR」原理主義に反対する理由」で、検体の汚染や取り違えについて言及し、「現実世界は実験室とは違います」(85ページ) 「理想環境下で正しい手順を踏めば、PCRの偽陽性は起こらない--- これはいわば「地球に空気がなければ羽毛も鉄球も同じ速度で落ちる」と主張するようなものです」(86ページ)と強い口吻で書いています。もう少し言えば、「感染者が爆発的に増えると、検査技師さんの仕事も爆発的に増えます。問い合わせの電話がジャンジャン鳴って、(中略)、疲れてろくに休憩もできず(中略)睡眠不足になれば当然ミスがでます。場合によってはミスが多発します」(85ページ)とまで書いています。これを読むと、普通、我々も自分の仕事で忙しい時に、自分の弱さも含めて思い当たる点があるものなので、いかにもその通りだ。納得がいく、と思えてきます。
しかし、よく考えれば、書類の取り違え、試薬・検査機器の選択誤りは、病院での診断、治療において、佐藤さんのCTの写真で、田中さんを診断してしまう、或いは、吉田さん用の薬を高橋さんに出してしまうような事です。めったにありそうにも思えません。稀にある、病院で他人と間違えて手術がされた、というような報道から見て、新聞種になる程度にはある感じですが、いくら忙しかろうと、そんなにある事と思われません。検体の汚染は、尿検査で、Aさんの尿にBさんの尿が入るとか、血液検査で、先に検査したAさんの血が、Bさんを採血した時にまだ微量に残っていて、それが影響して、とかいう感じのことだと思います。ヒューマンエラー、と言葉だけ聞くと、「そうか、確かにありそう」と思ってしまいそうですが、明晰な頭で、冷静かつ、具体的に考えると、実際には極めて少ないと思います。1000件に1件も起こったら、それは十分に重大な問題、というレベルではないでしょうか。それに、前の項目で検証したように、実際に行われた多数の大規模検査の結果では、そもそも、陽性になった結果の全てが偽陽性であったというような、あまりありそうでないケースを想定してさえ、特異度は最悪でも凡そ99.95%レベル以上、つまり偽陽性率は0.05%レベル以下で、偽陽性率は常識的に考えればそれより低い可能性が高いと思われる中での話です。
牧田寛によれば、よく使われるPCR検査装置では、96検体を同時処理するものが多く、その場合、処理の際に、汚染や、温度管理が原因で起こる異常を検知できるよう、検体の1~2割を必ず陽性になる、または必ず陰性になるものにしておき、それらが正しく陽性、または陰性になることを確認する形で、失敗処理が検出できる仕組みが手順化されている、とのこと。(269ページ) また、「例えば豪州では、3プライマー、陽性判定は3つのプライマーが陽性を出さなければ陽性判定しません。さらに検体分割で陽性については他の検査機関で全数ダブルチェック」(272ページ)とのことです。
このように、起こりうる問題に対して、様々な予防措置が取られているわけです。
ここまでPCR検査の原理について見てきました。
検査結果として、コロナウイルスのRNAと相補的である、つまり鍵穴と鍵のように一対一対応で、他のものと取り換えの効かない形で特異的に結合するDNAが検出された場合、コロナウイルスのRNAは原理的に、まず間違いなく検体に存在していることが分かって頂けたのではないかと思います。
検査といえば、我々は健康診断をよく受けています。我々が受ける検査では、尿検査とか、癌の腫瘍マーカー検査とか、血液検査とか、結果の値がこの辺りにあったら疾病である可能性がXX%ある、という結果になるものが多いです。これらは恐らく「定量的な検査」といえるのではないか、と思います。量があまりに多い場合、疾病であることがほぼ確定する、というような検査です。
これに対して、PCR検査のような一意に決まる検査は、ほとんどの人にとってほぼ未知の検査ではないかと思います。確かにPCR検査はコロナウイルスのRNAと相補的なDNAを、最大1兆倍くらいまで増やして結果を取るので、量を増やすといえば、増やしてはいるのですが、量で結果を確定しているのではありません。あくまで、コピーして増やす前に、特定のDNAが「あった」か、「なかった」か、だけの判定基準です。
ある紙を100万枚コビーして、コピー結果で特定の書類が見つかったら、その書類のオリジナルがあった事は疑いがないです。その書類のオリジナルがなければ、その書類のコピーは存在しようがないからです。
全体に、これが、理論的に、PCR検査で偽陽性が生じない理由です。
理論的に生じないといっても、牧田寛が断っているように、偽陽性は稀にあることはあるでしょう。しかし、牧田寛が著書の「誰が日本のコロナ禍を。。」で書いているように、失敗処理を検出するための手順化された仕組み(269ページ)や、また豪州の例を挙げて書いている(272ページ)ように複数プライマーの使用など、極めて稀な偽陽性自体をさらに1桁も2以上も稀なものにしようという建設的工夫によって、実際的には実用上大きく心配する必要のないレベルにまで偽陽性率は下げられているものと思われます。その事は、前の項で検証した実際の大規模検査の陽性率(陽性率≧偽陽性率)からも、実証的に推測できます。
もう一度、DNAの塩基対合の1対1構造と、上記のコピー用紙の比喩を思い浮かべていただく事をお願いして、この項目を終えたいと思います。
PCR検査の原理から、なぜ精度が高いと考えられるかをお話ししました。
これまで、PCR検査の有効性を検証する目的で、以下の文を、基本的に一続きのものとして書いてきました。
PCR検査の特異度について、尾身会長発言、分科会資料等を詳細に分析してみた - 長文 検査拡大のために
これで終わりではなく、さらに検査抑制論を検証する文章を続きでいくつか書く予定です。一連の文は無料で公開する予定ですが、書くのにも相当の時間がかかって、お金の消費はとても大きいです。無料公開の一方で、まとめてAmazonで本にしたいと思っているので、もし読む価値があった、と思われた場合は、(無料公開はたぶん継続するものの)、Amazonや他のプラットフォームで本を買って頂けるとたいへんありがたいです。
以下は、私の他の文章、コロナに関して書いたものを挙げました。
江南 著作物、記事一覧
上記クリックで開きます。
検査抑制論と、抑制を主張した主な専門家、及び論者:コロナ新型肺炎とPCR検査
検査抑制論と、抑制を主張した主な専門家、及び論者 part2:コロナ新型肺炎とPCR検査
中国のコロナ対策 part1 — China vs Covid19 Information Source
以上