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尊敬する「人」と尊敬する「行動」を区別する。

「尊敬する人は誰ですか?」という問いに対して
1分間話す場面があり
正直該当する人が出てきませんでした。
なので「いません」と答えました。

尊敬する人がいないなんてどうなのか?と
思いましたが、
「尊敬する」という言葉の自分なりの定義づけが
曖昧であやふやだからなのか?と。

「尊敬する」という言葉を何だか大層なこととして捉え
まるで神様・仏様と言わんばかりの
雲の上の存在である人が
私にとっての尊敬する人なのか?
いやいや、何だか堅い。
もっと気軽に考えて良いのでは?
いや、気軽に考えると「尊敬する」という言葉の
重みがなくなるよね~。

と、むむむ~と考えていました。
バレンタインデーの2月14日に。

「すごい」と思う人、「好き」だと思う人、「素敵」と思う人は
たくさんたくさんいますし、そう言えばよく
「すごいですね」「好きです」「素敵ですね」と
自然と声に出して相手に伝えています。
でも「尊敬します」と言うことはあまりないような気が…。

友達に話してみたところ

「尊敬する人と尊敬できる行動は違うよね」

ということを言われました。

はっ!!なるほど!
そういった見方は私にはなかったな~。

例えば、○○さんが
周りから絶対無理だと言われていた契約を
独自の研究と分析と根性と粘りで契約に結び付けた
という行動-
この行動を自分は尊敬する。
でも○○さんという人自身を尊敬するかと聞かれれば
尊敬するというところまではいかない、みたいな。

その人の行動や結果の良い部分だけを見て
「その人のことを尊敬する」というのは違う気がする、と言われ
そういう見方をするのであれば私は

この人の○○な行動、尊敬できるな~

と感じる人は結構、いや、割といるな、と思いました。

その後調べてみると、尊敬するという言葉には

・その人の人格を尊いものだと認めて敬うこと
・その人の業績・行為などを優れたものと認めて敬うこと

ということがあることが判明。

周りの人たちの行動に対してすごいな~、素晴らしいな~、素敵だな~
と認めることは日々自然としているのでOKとして
敬っているかどうか?と聞かれると
「敬うところまでは…」が正直な私の感想。
いや、何を持って敬うことになるのだろう?

好き=敬う、違うよね。
すごいと思う=敬う、かな?
あ、立派という概念もあるね。

「尊敬する」ということについて深く考える良い機会でした。
そして私自身、尊敬される人になりたいと思いました。
改めて承認欲求(賞賛欲求?)の塊だとも思いました。


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