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Twitterテーマはいかに思ったことをその場で書ききるか。自分の言葉を愛すということ。

こんにちは。

KinoKo(@kino_asami)きのあさみです。

わたしのTwitterは概ねあらぶっています。


Twitterはわたしのなかで直感置き場という場所になっていて、

そのためにだいぶとっちらかるのですが、


『ふと心に思ったことをいかにストレートに言葉におろすか』


が自分の中での唯一のテーマで、それをツイートに練りこむということをしているのであのようになります。





このお風呂のなかが一番直感に繋がりやすい環境なので、

お風呂でTwitterやりはじめたらもっとえらいことになるでしょう…





とくにピックアップしたツイートに深い意味はなく、

適当に目についたのを載せました。



振り返ってみても、

その瞬間、その140字におさめたそれらに思考を割いていた、ということを思い出すと、なんだか不思議。


過去の自分がそこにいて、

それを俯瞰して見ているような郷愁が感じられますね。


(どれだけTwitterが好きなのか…笑)



わたしの場合、いかにTwitterには息遣いやナマの思考をおろすか

そこだけを徹底して綴っているので、


まるで過去の自分がそこになまなましく浮かび上がるようなタイムトリップも起こせる記録装置にもなっています。


あのとき何にときめいて、なににとらわれていたのか、どんな自由を得ていたのか。


そんなことが、自分だからこそ、

あとからでも感じ取れる不思議な記録装置。



まるごと直感に従って、それを言葉にするという行為からなる文字列になるため、そこに、浮かび上がるものは本質的。


わたしにとっては、いかに自分の本質を表現するかという挑戦なのです。

だからわたしは自分のTweetが愛しくてたまりません。



ほんとうに見ていてなんて可愛い言葉たちだろう、

と思うときはとても楽しい。


自分でみて、

この言葉のセンスやばい、最高。


とやっているのがとにかく楽しい。



そして。

それが乱れるときというのもやはりあって、

それはやっぱり誰かがみてくれている、という他者の目が気になっているとき。


適度に心地のよい距離で、シンクロ率で、他者とふれあうことができれば、それもまた、楽しさに繋がるのだけれど。



全力でさらけ出しているからこその

みてくれている、とわかったときの恥ずかしさ。


しかし、なんかこう書いていても、この一連は純粋にかわいいものだなぁ。


わたしの場合はつぶやいている内容が

がっつりビジネスとスピリチュアルというジャンルに偏っているので、

つぶやきの内容は全然かわいくはないかもしれないけど


それを紡ぎながら

心境としてはただただ言葉への愛しさをふくらませて。


発信を楽しんでいきたいと思う。



ただ、直感的に言葉を発していると

ほとんどの人には理解されないこともわかっていて。

断片的、思考と思考の一部を言葉にしているだけだから、理解されないというのはそれは当たり前なので、


Tweetで直感を空中分解させない為に

一度文字にその場でおろして、

あとからその周りに漂う補足の思考もnoteで埋めていけるようにしたいと考えています。



断片的な言葉はただただ多動的であり、

相互理解の欠如から、ときにはトラブルにもなりかねないと心得ているのですが、

そこも含めてリスクを取ってでも自分の想いを発信することをしていきたい所存であります。


というわけで、自分の文章をさらに愛するためにも。


最近は落ち着いて読書をしたいなという気分です。

短文の摂取だけでなく、長文にも触れていきたいですね。


そして直感置き場に置き去りにされている思考たちを

もう少し装飾してネットの海に飾ってあげたいな〜と思います。


まぁなんと今回も内向的なnoteになりましたね。


さいごまでお読みいただきありがとうございます。

よければまた次回もお会いできましたら幸いです。

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